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当ブログ(11月9日参照)で既報の通り、恒例の第30回ふれあい鹿島公民館まつりが開催されましたが、鹿島歴史の会では毎回参加しており、今年は 「鹿島の石碑(いしぶみ)を探る」 というテーマで写真に説明を加えてパネル展示をしました。
会員同士が一致協力して収集した資料を、このままお蔵入りさせてしまうのも勿体ないのでブログを通して紹介したいと思います。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b2/a67882f078576cb3f3b5c36fd9d07ad7.jpg)
《看板右側が鹿島歴史の会のブース》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/5e/3f93cee960d13422a6c770a99ddb6967.jpg)
《鹿島小学校体育館に設けられた展示コーナー》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b9/c2b30e65a7704b4566d58e3467197292.jpg)
〈鹿島町の概要と企画展の趣旨〉
「鹿島」という名は、明治22年に旧12ケ村(御代・船戸・飯田・久保・下蔵 持・上蔵持米田・走熊・三沢・下矢田・上矢田・松久須根)が合併したことにより「鹿島村」が誕生し、それ以降、12地域を総称して呼ぶようになった地名です。
「鹿島村」の地名は、上矢田に鎮座する延喜式内社、鹿島神社が古くより各村民の氏神として崇められていたところから、その社号を採り入れられて決定されたものです。
その後、小名浜町(三沢・上矢田・松久須根は湯本町に編入)との合併をはじめとして、磐城市(3地域は常磐市)、いわき市という市名の変遷は合ったものの、現在でも鹿島町の地名として引き継がれています。
昭和40年代に小名浜=平線(通称、鹿島街道)が新たに開通したのと同時に鹿島は俄かに脚光を浴びて、いわき市の交通・商業の要所としてなくてはならない程の発展を遂げてきました。
そういう中で、鹿島地域には古くから名所・旧跡が点在している文化的資産が数多くあることも忘れてはなりません。
私たちの会では今回 ゛ 公民館まつり ゛を好機に、鹿島の史跡と貴重な現存物を写真にして展示することにしました。
改めて、身近にある名所・史跡を再認識して頂けたら幸いです。また現地を散策されようとする方々の参考として、所在地図も加えましたので合わせてご覧ください。 鹿島歴史の会
▲上記は展示会の挨拶文で、当ブログ上では地図を載せてありませんのでご了承ください。
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《村名の由来になった鹿島神社への入口》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/7e/6ae3ea92c0984f624fd5dfd191946030.jpg)
《延喜式内社と称する鹿島神社》
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