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嫁送りの松 場所 : いわき市中央台鹿島3丁目
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《昔は村境の山の頂上で淋しい場所だった》
市立中央台南中学校のバス停付近に、松の木が1本植えられていて 「嫁送りの松」 と刻まれた石碑が建っています。
宅地造成前まで、この周辺は奥深い山林で、ちょうど鹿島村と高久村の境になる場所でした。鹿島から高久方面へ山を越えて嫁に行く時には、親戚縁者や村人たちがこの1本松のある所まで送り、また嫁を迎える家の人たちもここまで来て待っていました。
村から出ていくお嫁さんと名残を惜しんでお別れをした場所です。村の人たちは、いつの間にかその松を 「嫁送りの松」 と呼ぶようになりました。
お目出度くもあり、悲しくもあった印象深い松だったのです。
鹿島から高久、山口方面へ抜けるには旧、鹿島街道を通って行くと一旦、平に向かって途中の谷川瀬から迂回して行かなければならないので、遠回りで時間も掛かりました。
このため、結いの田植えとか稲刈りとか、冠婚葬祭が生じると村人たちは獣道のような細い道でも近道としてよく利用していました。
夜になって帰る時には必ず数人で行動をとるのが当然のことでしたが、事情があってどうしても1人で先(または後)に帰るようになってしまった人は、途中でキツネに化かされて一晩中、独り言を云いながら山の中を彷徨(さまよ)っていたという話も残っています。
鹿島のYさん(故人)が、昭和30年頃に高久へ田植の手伝いに行き帰りが一人になってしまい同じような体験をしています。その時は、翌朝になっても帰宅しないのを心配した奥さんが隣近所の人たちに話をして大騒ぎになり、何人かで山に入り声を掛けていたところガサ藪をかき分けて出てきたという実話があります。
この出来事を最後にキツネに化かされるという事例はプツンと途絶えました。
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