分類:歴
坂上田村麻呂将軍が植えた七本の松 「史跡七本松」 の由来は、延暦23年(804年)の、今から遡ること1214年前(平成30年の時点)の正月に、坂上田村麻呂という将軍が兵を引き連れて蝦夷征伐に向かう途中、鹿島の走熊に差し掛かった所で休憩をとった。 休憩の場所は T 字路で、そこは南に小名浜、北に平、東に江名を控えた鹿島の要衝ともいうべきところだったからだ。戦略家はいつ如何なる時であっても油断は禁物なのを如実に物語っている。 その際に、戦勝を祈念して七本の松を植えていったというのが始まり。 《中央に見えるのが初代目の松の木=明治40年代の頃》 初代の松は古木になり松喰い虫にやられたり、強風で倒れたりという記録があるが、その最後に残った一本を見た当時の鹿島村村長(昭和9~17年)、志賀直哉は、由緒あるこの松を何とか後世に残す方法はないかと考え、松を輪切りにして 『一圓融合』 と刻んで鹿島神社に奉納した。 昭和10年(1935)前後は鹿島に限らず、全国的に経済不況に見舞われていた時でもあったので、この松を利用して銘板を作ることを思い付いたのだった。 志賀直哉は第16~17代の村長を務めた人で、尊徳精神の『一圓融合』を村是とした。 《昭和12年以降に植樹された2代目の松=昭和32年》
鹿島には12の(大字)があったので、志賀直哉は全部落が一体になって、この難局を乗り越えていこうという強い意志を示したのだった。
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