分類:観
鹿島町を見て歩こう
いわき市鹿島町下矢田町前原 殿様が一泊した薗部家の門
幕政時代に平の殿様が馬に乗って、平から上矢田村へ来たところで獺沢(おそざわ)の長瀬家で休息をとった後、下矢田の薗部家で一泊した史実は、その時に手土産として頂き両家に残されている色紙や書き物などによって証明されます。
・長瀬家では 「たらよう」 の木1本と安藤公の祖先である松平覚海公御筆の和歌を認めた2枚の色紙。 ・薗部家では 「たらよう」 の木1本と 「白もみじ(楓)」 1本を贈り、更に書き物を1枚。 平の殿様という表現は口伝によって知られているのですが、年代を確定する資料や殿様が誰であったのかを決定づける物証を得られないのは残念です。只、「たらよう」 の木が植樹されてから後の育ち具合(※現在ではどちらも枯死して存在しない)から推定して、文化11年(1812)に就封した安藤対馬守信義侯か、又は文政12年(1829)に就封した安藤対馬守信由侯あたりだろうとされています。 《殿様が通った門の原型を保持して造られた門》
下矢田の名主薗部家には、殿様ご来駕の情報は早くから家臣より達しを得ており、次の条件など細部に亘って準備を求められたそうです。 ①殿様専用の通用門を建てること。 ②殿様の泊まる部屋の続き間に槍を立てておける高さの部屋を用意すること。 ③殿様専用の厠(かわや=トイレ)を一間四方(約3,3㎡)の広さに造り、その厠の中と、そこへ通ずる 廊下には畳を敷くこと。
通用門は名残りとなるものですが、現在の通用門(写真)は、当時の原型をそっくり再現して造られているもので、賢固で迫力のあることが往時を偲ばせます。
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