分類:地
鹿島街道を行く
能花歯科医院
いわき市鹿島町久保1-1-5
惜しまれながらの閉院になってしまった
県道、小名浜-平線(愛称:鹿島街道)が開通した昭和40年代から50年代にかけてモータリゼーションが急激に進み、鹿島街道に車の台数が飛躍的に増え出した頃の昭和57(1982)年に、象のマークで知られる『能花歯科医院』は開院しています。
《家具センター「ニトリ」脇にあった能花歯科医院》
写真(上)は左側に鹿島街道が走り、小名浜方面へ向かう車中から撮ったものです。
診療・治療は原則として予約制の対応で待ち時間が少なく、常にスムーズな診療が行われていたので評判が良い歯科医院でした。そういう小生も患者の1人で実感しました。
《惜しまれつつ閉院を告げる玄関入り口のお知らせ》
分かり易い説明と丁寧で正確な技術は勿論のこと、患者とのコミュニケーションを心掛け、痛みやストレスを最小限に抑えるための努力や工夫が伝わってきました。
開院から閉院までの40年間、院長先生をはじめスタッフの皆さん、長い間本当に有難うございました。
鹿島街道を行く
能花歯科医院
いわき市鹿島町久保1-1-5
惜しまれながらの閉院になってしまった
県道、小名浜-平線(愛称:鹿島街道)が開通した昭和40年代から50年代にかけてモータリゼーションが急激に進み、鹿島街道に車の台数が飛躍的に増え出した頃の昭和57(1982)年に、象のマークで知られる『能花歯科医院』は開院しています。
《家具センター「ニトリ」脇にあった能花歯科医院》
写真(上)は左側に鹿島街道が走り、小名浜方面へ向かう車中から撮ったものです。
診療・治療は原則として予約制の対応で待ち時間が少なく、常にスムーズな診療が行われていたので評判が良い歯科医院でした。そういう小生も患者の1人で実感しました。
《惜しまれつつ閉院を告げる玄関入り口のお知らせ》
分かり易い説明と丁寧で正確な技術は勿論のこと、患者とのコミュニケーションを心掛け、痛みやストレスを最小限に抑えるための努力や工夫が伝わってきました。
開院から閉院までの40年間、院長先生をはじめスタッフの皆さん、長い間本当に有難うございました。