■恋をおしえて / ザ・ヤンガーズ (フィリップス)
今回の衆議院選挙立候補者の中には、政党が自前で集めたというよりも、公募で選ばれた者が多数出馬していますが、結果的に大勝ちした自民党は殊更、そうした新人が多いんじゃ~ないでしょうか。
まあ、そうしたサイケおやじの推察は当選結果が載った新聞記事からの分析(?)ではありますが、世襲やしがらみや因習が必要以上に強い地方の小選挙区において、少なくとも保守票を一本化するためには、それが正解でした。
さて、そうした積極的スカウト方式は、もちろんスタアを作り出す目的において、芸能界では当たり前の遣り方が既に定着しています。
例えば本日ご紹介のヤンガーズは、GSブームが急沸していた昭和42(1967)年、某ジャズ喫茶が企画したプロジェクトのひとつであり、全国から募集選抜のメンバーで誕生したグループ!?
その経緯の詳しい内情は知る由もありませんが、とにかく翌年に公式レコードデビューした時には、そうしたプロフィールが実力派の証明に繋がっていたと記憶しています。
メンバーは窪孝(vo)、西仁(g)、鈴木陽一(g)、岬健次(key)、堀内久雄(b)、永井光男(ds) の6人組で、なかなかコーラスワークも良かったというのが、実はテレビでしかヤンガーズを見たことのないサイケおやじの印象です。
しかし流石は実力派と言われただけあって、歌と演奏の力量も相当にあったんじゃ~ないでしょうか。
それは2枚目のシングル盤として昭和44(1969)年に発売された本日の1枚、特にA面収録の「恋をおしえて」を聴けば納得!
作詞:橋本淳、作編曲:筒美京平の黄金コンビによる、これぞっ! 和製ソフトロックの決定版という世界を屈託のないボーカル&ハーモニーで歌っていくヤンガーズは、ここでのイヤミのないオーケストラアレンジを抜いたライプの現場でも、これをやれるだけのテクニックと音楽性を持っていたはずです。
そうでなければ、既にメジャーデビュー時に熱狂的なファンが大勢で熱くなっていたという現実は、売り手の作為だったと言われても反論出来ないでしょう。もちろんきっちりしたファンクラブや興業形態が立派に機能していたと言われています。
ところが、これほどのグループが大ブレイク出来なかったところに、当時の芸能界の充実と厳しさがあるんですねぇ……。
サイケおやじが知る限り、それでも4枚のシングル盤が残されていますが、中にはメンバー自作自演の作品もありますし、ひとつひとつの仕上がりの完成度は、なかなか良い感じだと思っています。
そして流石は実力派と認定されていただけに、ヤンガーズ解散後のメンバーの活動も侮れません。
中でもドラムス担当だった永井光男はジョージ・ナガイとして、昭和56(1981)年に「キッスは目にして」の大ヒットを飛ばしたザ・ヴィーナスでも、敲きまくりの大活躍!
また窪孝は絵川たかし(?)と改名して、里見洋と一番星へ参加していますが、他のメンバーも多くの歌謡曲スタアのバックバンドで活動していた事は、昭和芸能史の真実でしょう。確か、お笑い芸人に転身したのは、誰!?
ということで、最初っからそれなりの仕事を見込まれて表舞台に登場する者は、覚悟が違うというか、やっぱり良いものを残していると思います。
しかし、それが政治の世界であれば、直ぐに結果を出さなければならない点において、厳しさは芸能界以上ですから、今回は大勝利の自民党にしても、仕事が停滞したら即、オセロの如くひっくり返ってしまうのが小選挙区制度の怖さでしょう。
おそらくは自覚しているはずと思いますが、そんな事が頻繁にあっては国民が惨め過ぎますよ。
せっかく当選した先生方におかれましては、高慢にならず、自分達はある意味での芸人、人気商売の極北という気持で、ウケ狙いでも良いですから、国民になんらかの夢や希望を与えて欲しいと願っています。
おれミッシェル、しくよろ~♪みたいな感じで。
きっとその某ジャズ喫茶なんかそういうのオンパレードだったんでしょうね。
ザギンのズージャの店でヤノピ弾いたらヨ~
ラーギャがシーメ付でゲー万だぜ~!とかいって。
When I was younger So much younger than today~♪
コメントありがとうございます。
当時の日本人は西洋文明にノー文句でひれ伏していたんですよ。サイケおやじも同様、なんでもアメリカ一番の教育を受けてましたから(苦笑)。
そんな嘘っぱちの思想の統一を破ってくれたのも、やっぱりジャズやロックだったんですけどねぇ。