■黄色いレモン / 望月浩 (東芝)
掲載したのは、今となっては有名過ぎる、これが筒美京平の作曲家としての処女作「黄色いレモン」をA面に入れた望月浩のシングル盤です。
発売されたのは昭和41(1966)年9月で、歌っている望月浩は青春歌謡のアイドルスタアとして、当時は人気絶頂! ですから、この「黄色いレモン」にしても、筒美京平の盟友とも云える橋本淳が作詞を担当した爽やかなフォークロック調の仕上がりになっているんですが、なんとっ!
レーベルのクレジットを確認すれば、そこには作編曲に「すぎやまこういち」という、これまた偉大なるソングライターの名前がっ!?
という様な不思議な現実について、実はサイケおやじが諸々の真相を知りえたのは、既に昭和も末頃でして、この私有盤にしても、母が営んでいた洋裁店のお得意様だった某女史が望月浩の「おっかけ」だったらしく、それゆえに憧れのスタアのシングル盤が発売される度に母の店にも配られていたそうで、確かに我が家には望月浩のレコードが10枚以上は残っています。
ただし、サイケおやじは特段に望月浩のファンでは無く、なんとなく接していただけの話なんですが、前述したとおり、この「黄色いレモン」こそが、筒美京平の記念すべき初レコード化作品と知ってからは、聴き方も変わってしまったのが本当のところです。
で、何故に「すぎやまこういち」名義なのか?
この件については、当時の筒美京平は未だ「筒美京平」にはなっておらず、本名の渡辺栄吉として日本グラモフォンの洋楽担当ディレクターであり、特に重要な仕事は海外の歌手に日本産歌謡曲をカバーさせるという、例えばジョニー・ティロットソンの「バラが咲いた」を見事にヒットさせた実績は今や歴史でありましょう。
で、「すぎやまこういち」や「橋本淳」との関係も、サイケおやじにとっては聊か曖昧な知識ではありますが、「筒美京平」は「橋本淳」の紹介により、「すぎやまこういち」の薫陶を受けたというのが、これまた今日までの歴史である以上、おそらくは楽曲発表に至る過程において、日本グラモフォンの社員であった「筒美京平」が他社制作のレコードに関わる事は様々なゴタゴタを引き起こすとの判断があったものと思われます。
しかし、これまた後付けで知った情報ではありますが、この「黄色いレモン」は決して望月浩のバージョンがオリジナルではなく、同時期のちょい前に「筒美京平」が働いていた日本グラモフォンより、藤浩一と名乗る歌手のレコーディングバージョンが発売されていたんですねえ~~。
残念ながら、サイケおやじは問題のシングル盤を所有しておりませんので、クレジットは確認出来ませんが、楽曲出版の諸事情を鑑みれば、そこも「すぎやまこういち」名義になっているんじゃ~ないでしょうか? これは皆様からの情報を待つばかりでございますが、音源だけはカセットコピーながら持っているので、実際に聴いてみると、望月浩のバージョンよりも、さらにフォークロック風味が強い仕上がりになっており、好感が持てます。
ちなみに藤浩一は、後にアニメや特撮ドラマの主題歌等々で大ブレイクする「子門真人」である事は知る人ぞ知る!
ということで、これまた今では歴史になっていますが、「黄色いレモン」は当時、各社から数種類のカバー競作盤が発売されている事からしても、やはり業界から注目されていた名曲だったはずで、当然ながら「すぎやまこういち」よりは日本グラモフォン社員の渡辺栄吉、つまり「筒美京平」の存在は既に始まっていたのでした。
そして、前述のカバー競作盤の中から、サイケおやじの大好きな1枚を発見するので、それは明日ご紹介させていただく所存であります。