■Bouree / Jethro Tull (Reprise / 日本ビクター)
ネットやMTVなんてものが無かった昭和40年代の我国洋楽事情において、ラジオや音楽雑誌が大きな情報源だった話は、これまでも度々書いてきたことですが、その「音」と「静止画像」による伝えられ方は、場合によっては大きな誤解と妄想の原因にもなっていました。
例えば本日ご紹介のジェスロ・タルというイギリスのグループは、まずバンド名が奇異な感じでしたし、雑誌に掲載された写真では、メンバー全員が丸っきり老人のようなルックスで……。
しかもステージ写真では中心人物とされるイアン・アンダーソンという老人(?)が、薄汚い風采で片足上げてのフルート演奏という、完全に当時のロックのイメージから逸脱した佇まいが?▼☆!△◎???
どうやらやっているのはジャズっぽいロックらしいことは文章からも知れたのですが、そんな頃の昭和44(1969)年にラジオから流れてきたのが、掲載したシングル盤A面曲の「Bouree」でした。
う~ん、なんとそれはバッハが書いたクラシックのメロディをロックジャズで演じたインストだったんですが、その格調高くて真摯な雰囲気は、雑誌で見ていたジェスロ・タルのホームレス集団のようなイメージとは完全に逆のものです。
律儀な4ビートから始まり、何時しかポリリズムに依存したロックジャズへと進展していく演奏の見事な纏まりは、当然ながらアレンジとアドリブが共存共栄した作り物ではありますが、そんな真っ当なことをやるには、ジェスロ・タルという写真でしか見たことのないバンドのイメージが許せるものではなかったのです。
後に知ったところでは、1968年にレコードデビューした当時のジェスロ・タルはミック・アブラハムスという優れたギタリストを擁したブルースロックの正統派だったそうですが、最初のアルバムを作った時点からグループ内にゴタゴタが頻発し、ミック・アブラハムスが脱退して以降は、イアン・アンダーソンが完全に主導権を掌握し、英国流儀のフォークやジャズ、さらにクラシックの要素までもゴッタ煮とした独自の音楽性を目指す活動に入ったようです。
そしてこのシングル曲「Bouree」をヒットさせた時のメンバーはイアン・アンダーソン(vo,fl,key,g)、マーティン・パレ(g,fl)、グレン・コーニック(b)、クライヴ・バンカー(ds.per) という4人組になっていて、既に当時からステージでは「狂気のフラミンゴ」とまで称されていたイアン・アンダーソンの異才が強烈!
特にローランド・カークからの影響が大きいフルートの妙技は、リアルタイムから新鮮な驚きとなっていたようですし、実際、サイケおやじはローランド・カークを知るより以前にイアン・アンダーソンを聴いていましたから、本家のローランド・カークをイアン・アンダーソンの影響下にある人だなんて、本当にバカなことを逆印象したほどです。
現実的には日本でどの程度の人気があったのか、ちょっと知る由もないのですが、ルックスが意図的にしろ老成していましたから、パッとしたものではなかったはずです。しかし音楽雑誌等々のレコード評は高得点!? また来日公演も1970年代にあったと記憶していますから、決してマニアックな存在ではなかったのでしょう。
しかしサイケおやじは、この「Bouree」が全てというか、ロック喫茶あたりで聴く機会もあった名作アルバム群にも、イマイチ食指が動きませんでした。それでもレコード屋に行けば、相当数出ているジェスロ・タルの諸作が気になったりするのですから、やはり存在感は強く印象づけられているんですよね。
実際、このシングル盤を買ってしまった前科も打ち消せません。
まあ、それもイアン・アンダーソンという鬼才ゆえのことだと、妙に納得しているのでした。
コメント、ありがとうございます。
今でも奇態なインパクトが大きすぎますよね、ジェスロ・タルは!
ちょっと前に我が国でも「たま」なんてバンドが売れましたけど、双璧?
分けがわからないを通り越して、逆に妙な迫力をも感じますね~。