サイケおやじの優柔不断により……、仕事関連のミーテイングが縺れておりまして…… (>_<)
本日は……、これにて失礼させていただきます <(_ _)>
サイケおやじの優柔不断により……、仕事関連のミーテイングが縺れておりまして…… (>_<)
本日は……、これにて失礼させていただきます <(_ _)>
■恋のエンジェル・フィッシュ / エミー・ジャクソン (日本コロムビア)
エミー・ジャクソンが所謂レコード歌手として本格的に活動していたのは昭和39(1964)年からの2~3年間だったと記憶しているんですが、もちろん、それなりにステージギグはやっていたにしろ、前述の期間中に出していたシングル曲は国産洋楽とも云うべき、これがなかなかに素敵な楽曲ばかり (^^♪
本日ご紹介する「恋のエンジェル・フィッシュ」にしても、発売されたのが昭和41(1966)年8月でしたから、芸能界の潮流はGSブームに傾いていたとはいえ、作詞:なかにし礼&作曲:中島安敏が彼女に与えたのは王道の和製洋楽、つまりはオールディズ風味のアメリカンポップスであり、ご丁寧(?)にも歌詞は全てが英語だったんですから、これは彼女のヒット曲「涙のゴーゴー」を見事に踏襲した仕上がりなんですねぇ~~♪
ということは、もちろんバックの演奏はジャッキー吉川とブルー・コメッツであることはジャケットスリーブ裏の記載を確認するまでもなく、ドライな響きで弾けるドラムスや熱いテナーサックスにシビレさせられるんですから、当たり前だのクラッカー!?!
そして個人的には「涙のギター」みたいなイントロのギターも大好きなんですよ (^^♪
また、肝心のエミー・ジャクソンのボーカルが我々日本人にも分かり易い発音での歌いっぷりに聞こえるのはサイケおやじの思い込みかもむしれませんが、いかがなものでしょう。
実はジャケットスリーブ裏に記載されている歌詞は当然ながら「英語」でありながら、ちゃ~んと「日本語訳詞」も併記されているのは、当時の親切心でありましょうか (^^;
ということで、こ~ゆ~懐メロポップス歌謡はサイケおやじの心の安寧の源と申しましょうか、告白すれば前述したエレキギターのイントロパートを密かに(?)コピーし始めているのも、そんなこんなの理由からでして…… (^^;
まあ……、やれるうちが「花」ですねぇ~、人生は (^^;
本日も我々、高齢者バンドの練習場改修に勤しみましたが、こ~ゆ~作業も実に楽しいものですねっ!
一応の区切りがついたんで、軽く音出しをやってみたら、なかなか使える感じでした。
あぁ~~、次の練習日が待ち遠しいですね (^^)
高齢者バンドの新しい練習場を今日は、DIYで改装大工仕事でした。
もちろん、電気工事は専門の業者に頼んでいるんですが、何事も経費節減 (^^;
写真スタジオで使うみたいな二つ折の大きな衝立とか、音の吸収と反響を簡単に移動調節出来る道具とか、あれやこれを作りつつ、楽しく疲れてまいりました。
本日の1枚は休載、ご理解くださいませ <(_ _)>
■想い出のセンチメンタル・シティイ / 伊藤咲子 (東芝)
阪神淡路大震災30年目の慰霊式典に参列させていただき、あらためて追悼の思いを強くしております……。
…… 実際、帰路の車中でも、あれやこれやと諸々の感情が混ざり合ってしまい、気持ちが湿っぽくなったのは自然の道理でありましょう。
そこで本日のご紹介は、そんな気分で取り出した、昭和51(1976)年晩秋 ~ 初冬に伊藤咲子がヒットさせた掲載のシングル盤A面曲「想い出のセンチメンタル・シティイ」です。
う~ん、いきなり言い訳みたいになりますが、曲タイトルの「シティイ」は決してサイケおやじの誤入力でも、またジャケットスリーブの誤植でもなく、実際に阿久悠の綴った歌詞が裏ジャケに掲載されているんですが、ちゃ~んと「シティイ」になっているんですから、きっちり意図された言葉と納得するしかございません。
短絡的なサイケおやじなんかは、「シティ」と綴ってしまいますからねぇ~~ (^^;
で、その歌詞の世界は恋人同士の別れの場面における、女の未練と書いてしまえば、如何にも演歌っぽい感じを与えてしまうかもしれませんが、三木たかしの作編曲はミディアムテンポの哀愁ポップス歌謡が王道路線のド真ん中 (^^♪
ですから、秀逸な伊藤咲子の歌唱力と相乗効果と申しましょうか、これが何度でも聴きたくなる仕上がりなんですねぇ~~♪
もちろん、聴く度に、そこはかとない胸キュン状態は、お約束以上だと思っています。
ということで、今夜は……、こ~ゆ~センチメンタルな歌や演奏を聴きながら、飲んでも酔わない酒でも……、なぁ~んていう気分です。
明日は……、明日、それが必ずやってくるものでは無いと思いつつ……。
■涙のブルーハーバー / 李朱朗 (Dan / 徳間)
韓国出身の李朱朗は所謂「在日」だったと云われていますが、それはそれとして、昭和47(1972)年の日本芸能界デビュー曲「あの人はいま札幌」、そして続く「マジック・ナイト」という「ベンチャーズ歌謡」2連発は、なかなか琴線に触れる仕上がりではありましたが、結果的にヒットしたとは言い難く……。
だからでしょうか、同年11月に3作目として出した本日掲載のシングル盤A面曲はアップテンポのファンキーロック歌謡!
もちろん、「ベンチャーズ歌謡」と云っても、例えば欧陽菲菲が昭和46(1971)年に大ヒットさせた「雨の御堂筋」を例に出すまでもなく、当時は「ベンチャーズ歌謡」そのものが「エレキ歌謡」よりは、「ブラス&ファンキー歌謡」っぽくアレンジされるのが普通(?)になっていたところを鑑みれば、「ベンチャーズ歌謡」で売り出されながら、イマイチ足踏みしていた李朱朗に作詞:三谷ケイ&作曲:彩木雅夫、そして編曲:深町純というクレジットが確認出来る「涙のブルーハーバー」が与えられたのは、無理からん企画だったと推察する次第です。
そして、これが不穏な雰囲気が提供されるロッキンソウルなイントロから、どっかで聞いたことがあるようなメロディの断片を繋ぎ合わせた曲展開に熱愛破局の歌詞の世界を節回す李朱朗のハートフルな歌声が、今となっては温故知新!?
随所で炸裂するニューソウルなギターやフィリーソウルに由来するドラムスのリック、ジャズっぽいブラスの響き等々、深町純の丁寧なアレンジも見事じゃ~ないでしょうか?
このあたりはトーシロのバンドじゃ~、おそらくはカバー&コピー不可能な領域でしょうねぇ~~~ (^^;
ということで、ここまでやっても李朱朗は大きなブレイクを果たせず、今となっては忘れかけられているのかもしれませんが、サイケおやじが知る限りではシングル盤6枚、そしてLPも2枚ほど残しているので、毎度の事ではありますが、コンプリートな復刻を強く望んでおります。
う~ん、それにしても昭和40年代後半の歌謡曲の充実度って、侮れませんねぇ~~♪
あらためて、そ~ゆ~思いを再認識させられているのでした。
■赤い皮ジャン / 竹越ひろ子 (キングレコード)
所謂度量の大きいボーカルスタイルで一世を風靡した竹越ひろ子ですから、昭和41(1966)年に出してくれた本日掲載のシングル盤A面曲「赤い皮ジャン」がズベ公&女流れ者の雰囲気を満点に表出させた侠客歌謡に仕上がっているのは言わずもがな、時代性からエレキ歌謡のポイントもがっちり押さえたプロデュースは、作詞:永井ひろし&作へ曲:桜田誠一という、あの「東京流れもの」を担当した制作スタッフの実にイイ仕事でありましょう (^^♪
なにしろ、それはイントロからソリッドなエレキギターがメインのサウンドが鳴り響くミディアムアップの哀愁演歌で、だからこそのコブシを聞かせる竹越ひろ子の堂々の歌いっぷりがリスナーをシビレさせること、請け合いの名曲名唱!
いゃ~~、こ~ゆ~歌が令和の芸能界で消失しているのは、何とも勿体ないと思うサイケおやじにしてみれば、例えば同じカラオケで門松みゆきが唸ってくれたら、本当に嬉しいんですけどねぇ~~ (^^)
そ~ゆ~願望を抱きつつ、今年も歌謡曲を聴いていきたいと思っております。
ということで、世界中を驚愕させていロスの大火では、サイケおやじの友人宅も全焼という知らせが入って、心配している次第です。
いゃ~、全く火事は恐ろしいという思いを再認識するばかりですが、今回のロスの大火では駐停車中の車のガソリンタンクに火が入っての爆発が被害拡大要因のひとつ?
そんなこんなの推測もあるらしいので、何かの時には注意が必要なんでしょう。
明日は我が身という気持ちを引き締めていくしかありませんねぇ……。
一刻も早い鎮火を願うばかりです。
■扉を開けて~TAKE A CHANCE~ / 大東恵 (CBSソニー)
サイケおやじにとっての「大東めぐみ」はバラエティタレントとしての認識しかありませんでしたが、実は……、そ~なる以前には「大東恵」として堂々と歌手活動をやっていたという証拠物件が、本日掲載のシングル盤です。
―― というか、結論から述べさせていただければ、これまでも度々書いてきたとおり、サイケおやじは昭和62(1987)年3月から異郷の地へ島流しにされ、それから7年後に許されて帰参が叶った時には、既に彼女は「大東めぐみ」になっていたという顛末!?
それすらも後追いで知ったサイケおやじとしては、このシングル盤を例によって纏め落札出来た某ネットオークションからのレコードの山に発見した時、そんなこんなは幻の出来事でありました。
だって、ここにA面収録されている「扉を開けて~TAKE A CHANCE~」に何気無く針を落としてクリビツテンギョ~~~ォ!?
それは厳かなイントロから一転、ビシバシのビート&リズムをバックに初っ端から力強く歌われる歌謡ロックであり、しかも表現力も豊かな安定した歌いっぷりを披露する大橋恵のブレないボーカルは、本当に素晴らしいと思うばかり (^^♪
そこで慌てて制作クレジットを確認すれば、やはり作詞:阿木燿子&作曲:大内義昭、そして編曲:佐藤準という、歌謡ロック&日本のロックを創成してきた縁の下の力持ちが関わっていたんですから、さもありなんっ!
―― なぁ~んて、独り納得するばかりとはいえ、何故に彼女がロックボーカリストの道を外れ、バラエティの世界へ転身してしまったのかは、これが世に出た昭和63(1988)年6月の芸能界諸事情があったにせよ、一般のリスナーにはハード過ぎるアイドルソングという受け取られ方があったのかもしれません……。
しかし……、だとしても、これだけ歌える歌謡ロックシンガーがブレイク出来なかったのは本当に残念だったと、後追いで聴いているサイケおやじは痛感するばかりです。
そして現在の「大東めぐみ」が歌っているかは知る由もありませんが、歌っていて欲しいなぁ~~。
心底、そ~願っているのでした。
ということで、本日は高齢者バンドの新年初練習日だったんですが、以前書いたとおり、練習場所が変わったもんですから、音決めのリハみたいな感じでした。
広さは問題無いんですが、やっぱり……、コンクリートの壁に囲まれているので反響が厳しく、まあ……、そのあたりは今後の課題という次第です。
うむ、それにしても、こ~やっていられる幸せに感謝 <(_ _)>