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名越切通と大切岸&まんだら堂やぐら群 その2

2021-05-15 20:08:04 | まち歩き・神奈川

③法性寺(ほっしょうじ)

地図によるとこっちの車道を行って・・・。あれ?

自動車道にいきなり山門。しかも「猿畠(さるばたけ)山」って。

ちゃんと白猿がいるし。HPはこれ。こっちの方が分かり易いかな?

「多くの伝説を持つ日蓮宗の寺院。1260年(文永元年)10月、日蓮が松葉ヶ谷草庵の焼討ちにあった際、白猿が日蓮をこの地まで導いたといわれています。白猿は山王神のおつかいであり、山を登った本堂の側に山王様が祀られています。」

車道の左側に新しい本堂があって、さらに坂を登ると

ある意味、分かり易い道案内だ。なので、山の上へ。

登る。

頂上!

頂上の本堂。

この左側が日蓮が猿3匹に導かれて避難した岩窟。

登っていいみたいなので、階段を上がって覗いてみる。

↓ で、日蓮の前に現れたのは、かつて修行した比叡山の山王権現(日吉大社)の白猿だったのだという事で、山王権現を祀った神社がある。

階段を上がる。

↓ 山王権現から見る、日蓮の弟子日朗の廟所。

↓ 上から見た墓所。この先が名越切通らしい。

墓所を進むと、また道案内の標識。

標識のあと、いきなり山道になる。

岩を削ってるじゃん。

まずは右の「大切岸」をめざす。

④石廟

「石廟は、鎌倉時代後期から南北朝期のものといわれ、内部に火葬骨を納めた蔵骨壺が納められていたと考えられている。鎌倉時代には、一般的に木造の墳墓堂が造られたが、石造の墳墓堂は珍しく、他に見当たらないもので鎌倉市の文化財に指定されている。」

こちらから引用させていただきました。

二つある。右(下)の祠の中には、誰かの名前が刻んであるらしい。

で、この先をちょっと歩くと

⑤お猿畠の大切岸

鎌倉幕府が三浦一族からの攻撃に備えるために、切通の整備と一体のものとして築いた、鎌倉時代前期の防衛遺構で山城などで敵の侵入を防ぐ人工的な崖の意味で切岸と言われていたのに。ちゃんと調査したら14~15世紀の石切り場の跡だったなんて。

歴史って面白い!長年信じられてた伝承が、調査でコロって覆されてしまうなんて。

石切場の跡とだけど、どんなふうに切り出したんだ? なんで、こんなに横縞なんだ? 横に板状にして切り出したのかなあ?

こんな風に穴があいてるのは、風化?

やっぱり不思議だあ!

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