もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

180513 子供だましの低レベルな嘘をまかり通らせる愚劣な”嘘つき総理”が、北朝鮮の若造の独裁者から逃げ回っている。見苦しくて本当に醜い。

2018年05月13日 22時56分20秒 | 時代の記憶
5月13日(日):
谷間の百合」サイト:北を避ける総理のこころの闇。https://taninoyuri.exblog.jp/29488855/
                                2018-05-12 09:10 
金正恩(敬称略)が、なぜ日本は(拉致を)直接言ってこないのだと文大統領に洩らしたそうです。
いま総理はうまい言い訳を考えているところでしょうが、南北の融和を見た後に、もう話が通じる相手ではないとは言えなくなりました
なんども交渉の場を持ったと言うかもしれませんが、外務省のお役人や部外者が行っても駄目なのです。
大将(総理)が出て行かなければ話にならないのです。
お役人は、トップ同士の話し合いが前提にあってその下準備に行くだけです。
それにしても、金正恩のこの言葉は痛烈でした。
総理は世界に恥を晒しました
世界は金正恩と同じことを思っていたはずです。
なのに、日本国民だけが鈍感でした。

それだけ日米同盟の呪縛に慣れきっていたのということだと思います。
総理だけでなく、日本国民の恥でもあったのです。
わたしは、総理や家族会がアメリカへ陳情に行くたびに、なんでそんな回り道というより反対の道を行くのだろうと不思議でなりませんでした。

地球儀を俯瞰する外交を展開する総理の意識に、なぜか北朝鮮は入っていなかったのです。
なぜか北を避けているようでした。
北を避ける総理のこころに何か重大な秘密が隠されているのではないかと思いました。
口を開けば拉致問題解決は最優先課題だと言ってきた総理ですが、拉致を他に優先させたことが一度でもあったでしょうか
最優先の意味を知らないのでしょうか。
金正恩が、いつでも話し合う用意があると言った直後に総理が横田茂さんを見舞いに行ったことからすぐにも話し合いの準備に取り掛かるのかと思いきや、アメリカに飛び、次いで用もない中東へ用もない妻を伴って出かけたのです。
しかし、逃げおおせるものではありません。
それは北だけではなく、きのうの柳瀬さんの証言が決定的なダメージとなって後がない状況になっています。
何ごとにも終わりがあり、嘘はどこまで行っても嘘だということです。
総理も総理ですが、わたしは家族会も同罪だと思っています。
なぜ、総理に北へ行くことを求めなかったのですか。
言えない空気があったのかもしれませんが、その程度の思いだったのですか。
わたしには、むしろ積極的に総理の政治利用に協力してきたようにしか見えないのです。


【反響のコメント】  まったく同感!(もみ)
5. 2018年5月13日 09:15:23 : IRifmKERY6 : CIJseSCS07I[144]
「怖い」んだと思う
金正恩が怖い、もしくは、金正恩と会話すること自体が怖いんだと思う
そもそも自分の威光が通じない相手と対話するのが怖くてしょうがないんだと思う
だから、中韓との対話は極力避けてきた。
自国内では、身内にチヤホヤされるか安心して罵れる政敵を攻撃するだけ
米国には徹底的にへつらう
それ以外の外国にはカネをばらまいて安心する
全部、他者との対話が「怖い」から
臆病だから
考えてみれば、「圧力一辺倒」というのは
何も交渉せず安全なところから相手を罵っていればいいのだから
臆病者には一番都合が良かった


※アベって韓国の朴槿恵前大統領とすごく良く似ている。しかもやってることはははるかに卑劣で、下卑ている。首相退任後は必ず重く重く断罪されるべきだ!(もみ)

7 058 池上彰「考える力がつく本―本、新聞、ネットの読み方、情報整理の「超」入門」(プレジデント社:2016)感想4

2018年05月13日 03時08分05秒 | 一日一冊読書開始
5月12日(土):  

262ページ     所要時間4:10     ブックオフ200円

著者66歳(1950生まれ)。

池上彰さんの本としては、緩い印象の本だったが、後半にあたる「第7章 リーダーたちは何を読んできたのか」の対談者の選定と内容が意外と良かったので感想4とした。

池上さんが青春期に感銘を受けた作家が、外国人だとドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、日本人だと高橋和巳「邪宗門」「我が心は石にあらず」と知り、俺との共通性を強く覚えて嬉しかった。俺が「カラマーゾフの兄弟」を読んだのは、40代だし、「邪宗門」は50歳である。しかし、ドストエフスキーと高橋和巳は学生時代の俺にとって絶対に避けては通れない特別な関門だった。

学生時代、ドストエフスキー「貧しき人々」や、高橋和巳「我が心は石にあらず」を辛うじて読み、高橋の随想集「孤立無援の思想」「現代の青春」「人間にとって」「わが解体」などを日常的に持ち歩いていた。どこまで理解できていたのかは、今だって自信はないが、若い時から今に至るまで二人の作品は俺にとって神聖な何かであり続けている。

テレビで社交的に見える池上さんが、実は自らによって造り上げられた池上さんであり、出発地点が俺と同じであるのを知り、この人に対する信頼感が一層高まった。この人は、極めて真っ当な知識人である。

本サイトの「112冊目 高橋和巳「邪宗門(上)」(朝日文芸文庫;1966)  評価 5」と「114冊目  高橋和巳「邪宗門(下)」(朝日文芸文庫;1966) 評価 特5」を是非お読み頂ければ幸甚ですm(_ _)m。

【目次】第1章 考える力を身につけるためには :「考える力」とは何か/考える力を効率的に身につける方法/田舎のおばあちゃんにニコニコ動画を説明できるか/まずは「自分は何がわからないか」を知る/言葉の「由来」を探る/似た言葉の定義をハッキリさせる/「そもそもなぜなのか」と考える/全体像を把握するためのコツ/それで得をするのは誰なのかを考えよう/情報を流す側の動機を考える/専門用語の「仕組み」を理解する/「わかる」とはどういう状態なのか
第2章 「図解」で理解を深める :何でも図にして考える癖をつけよう/ニュースを図にして理解する/組織図は「樹形型」か「階級型」になる/「ベン図」でわかるアメリカ共和党の二大勢力/「ベン図」でイスラム教徒への偏見もなくなる/「相関図」で複雑なシリア情勢を整理/「座標軸」で日本がどんな国かわかる/考える力をつける、情報源の使い分け方
第3章 新聞の読み方 :私が新聞好きになったきっかけ/新聞の情報量は新書2冊分/新聞の魅力は、興味関心が広がること/公開! 池上流「新聞スクラップ」術/新聞の長所とネットの長所のいいとこ取り/専門用語は読み飛ばしてもいい/ニュースを読み解けば未来を見通せる!/知っておきたい日経新聞の注意点/隙間時間に気軽に読むべし
第4章 雑誌・ネット・テレビの見方 :私はこんな雑誌を読んでいる/雑誌だってスクラップしよう/英字誌のわからない単語は読み飛ばす/池上流・ネット検索テクニック/優れたブロガーを見つけよう/映画でニュースを学ぶ
第5章 人から話を聞くためには :相手に仮説をぶつける/聞き出す秘訣は功を焦らないこと/よい聞き手になるためには/「いい質問」をして情報を引き出そう
第6章 本の読み方・選び方 :もっとも情報収集に役立つのは本/社会人に読書が必要なわけ/速読は必要ない/大切にする本、酷使する本/「知的虚栄心」が人を成長させる/ビジネス小説で楽しみながら勉強/ビジネスパーソンに必須の教養とは/ニュースを読み解く、宗教のおすすめ本/歴史を学ぶには『世界史A』/人類の旅路がわかるおすすめ本/経済を知るならアダム・スミスは必読/漫画で勉強するのも大いにアリ
第7章 リーダーたちは何を読んできたのか :柳井 正 ファーストリテイリング会長兼社長/安田隆夫 ドンキホーテホールディングス創業会長兼最高顧問/古森重隆 富士フイルムホールディングス会長兼CEO/川村 隆 日立製作所 元相談役/星野佳路 星野リゾート代表/千本倖生 レノバ会長/松本 大 マネックス証券社長/出口治明 ライフネット生命保険創業者 

【書籍の内容】本、新聞、ネットの読み方など情報収集術、読書術から、情報整理の超入門まで、すぐに使える池上流「深く考えるコツ」を教えます。 なぜ、池上彰さんは、突発的なニュースにも素早く事件の本質を見抜き、常に良質な解説を続けられるのでしょうか。「似た言葉の定義をハッキリさせる」「全体像を把握するには、マクロからミクロへ」「相関図、座標軸、ベン図など図解ですっきりさせる」「情報を聞き出すために、相手に仮説をぶつける」考える力を身につけるために有効な、図解で理解を深める方法、新聞の読み方、雑誌・ネット・テレビの見方、人から話を聞き出す方法、本の読み方、選び方など、すぐに使える「深く考えるコツ」を教えます。また、最終章は「リーダーたちは何を読んできたか」と題し、柳井正氏(ファーストリテイリング会長兼社長)、星野佳路氏(星野リゾート代表)、松本大氏(マネックス証券社長)など、各界で活躍しているリーダーの愛読書にまつわる対談から、読書によって何が得られるのかを浮き彫りにしていきます。
〈 編集者からのおすすめ情報 〉
池上彰さんは、本書の冒頭でこのように述べています。「本書では、考える力を身につけるためにはどうすればいいのか、私の経験をもとに実践的な方法を紹介していきます。本、新聞、ニュース番組、雑誌、ネット。これら特性の違う媒体をうまく使い分けることができれば、あなたのビジネスも生活も今よりスムーズに運ぶはずです。何より、ものの見方、考え方が変わってくるので、あなた自身が『視野が広がった』と自分の変化に驚くことでしょう。/スマホが普及し、SNSが盛り上がり、ビデオ・オン・デマンドサービスも増え……今の世の中には、簡単に楽しめるものが増えたといいましたが、頭に楽ばかりさせていては、考える力そのものが衰えてしまいます。脳は筋肉と同じように、トレーニング次第という側面があるからです」

180511 一年前:6 065 吉田秋生「海街diary 4 帰れない ふたり」(小学館:2011)感想4+

2018年05月12日 03時01分22秒 | 一年前
5月11日(金):
6 065 吉田秋生「海街diary 4 帰れない ふたり」(小学館:2011)感想4+
5月11日(木):  190ページ    所要時間2:30     ブックオフ108円著者55歳(1956生まれ)。実を言えば、本巻を読むのに二週間ぐらいかかている。味......


180510 131万PV超:池澤夏樹【終わりと始まり】米国への「異様なる隷属」 主体的な思想なき政府  感想5

2018年05月11日 22時30分00秒 | 閲覧数 記録
5月10日(木):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2406日。   

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朝日デジタル【終わりと始まり】米国への「異様なる隷属」 主体的な思想なき政府 池澤夏樹
                           2018年5月2日16時30分(新聞掲載は5月10日だった。変!?)
 沖縄は何か罰を受けているのではないだろうか。
 広大な基地を押しつけられ、軍用機の騒音と米軍人の犯罪に苛(さいな)まれ、土人呼ばわりされ、あからさまに侮蔑される。異議を申し立てればまた叩(たた)かれる。
 これが罰でなくて何だろう。問題はいかなる罪に対する罰かということだ。なぜアメリカ軍はかくも横暴にふるまい、なぜ日本政府はそれを放任ないし助長するのか?
 過去をどこまで遡(さかのぼ)っても思い当たる節がない。ひょっとして、まさか、七十三年前にここが戦場になって、一万二千五百二十名のアメリカ兵が戦死したことではあるまい。だいいち、あの時はアメリカ軍と日本軍が沖縄を戦場にしたのだ。沖縄人の死者が最も多かった。
 沖縄における米軍の専横の根拠は日米地位協定である。その背後には日米安保条約がある。事実上これが日本国憲法より上位にあるのは、戦争に負けた以上しかたがないのだろうか
 同じように第二次世界大戦の敗戦国であり、同じように米軍基地を抱えたドイツイタリアではどうか
     *
 沖縄県はこの二月、三人の職員をドイツとイタリアに派遣して地位協定の運用を調査した。あちらでは事態はまるで違った
 日本の米軍は日本の航空法の埒外(らちがい)にある。いつでもどこでも飛び放題。しかしドイツでは自国の航空法が適用され、周辺自治体や市民代表と米軍司令官からなる「騒音軽減委員会」がある。基地内にはドイツの警察官二名が常駐しており、警察権が行使される。米軍の訓練・演習についてはドイツに許可・承認の権限がある。
 イタリアでは米軍基地はイタリア軍が管理し、イタリア軍の司令官が常駐している。自治体の要望で飛行ルートが変更されることもあるという。
 初めからこうだったわけではない。何度かの交渉を通じて地位協定は改定された。ドイツの場合は米軍基地がドイツの主権のもとにあることが確定した。イタリアも同じ。米軍機の事故の調査権も自国の側にある。
 日本では、二〇〇四年の沖縄国際大学ヘリ墜落事件の際、消防や警察でさえ現場に入れなかった。
     *
 なぜこうまで違うのだろう?
 歴代の日本政府はアメリカという言葉が出ただけで直立不動になり、頭が真っ白、判断停止状態になる。
 白井聡の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)がこの問いに対して最も根源的な答えを提出している。
 「国体」とはまたずいぶん古い概念だ。明治維新から昭和二十年までの間、日本の国の形を規定していた「天皇を頂点に頂いた『君臣相睦(むつ)み合う家族国家』を理念として全国民に強制する体制」。これは敗戦で崩壊した。
 しかし、大日本帝国憲法による天皇が消えた後の空白に「アメリカ」が入り込んだ。そういう形で国体は継続された。この論証が本書の最もスリリングなところだ。戦前の国体は力尽(ちからず)くで作られ(明治期)、安定したところで見えなくなり(大正期)、硬直化して矛盾のうちに壊滅した(敗戦まで)。
 同じ過程をアメリカを頂点に頂く戦後の国体も辿(たど)っている。敗戦から復興までが第一期、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたのが第二期、バブル以降の空白の三十年が第三期。
 歴史は過去をなぞり、我々は一九四〇年代と同じ間違いを犯している。冷戦後、衰退するアメリカにまだ日本がしがみついてきたのは、主体的に国を運営する思想基盤がないからだ。
 この日米関係を本書は異様なる隷属と呼ぶ。第三者から見れば不可解な事態なのに本人たちは気づかない。嬉々(きき)として滅私奉公に走る。この先、日本が相手にすべきはアジア諸国なのに、そちらとの仲は悪化するばかり。
 白井は言う――「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以(ゆえん)は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗(ひぼう)中傷する点にある。 
 今の国会でこの種の非難が与党議員の口から頻繁に洩(も)れる
 二〇一六年八月の今上天皇の「お言葉」は退位の意思を通じて、機能する象徴天皇の姿を改めて国民の前に明示するものだった。動かなければならない。動いて、国民の傍らに膝(ひざ)をついて、祈る。弱き者の側につく。今上はそれを日本国憲法のもとにおける天皇の姿として、三十年に亘(わた)って具現してきた。
 国体の頂点という危険な場所から距離を置くこと。貪欲(どんよく)な愚者どもの神輿(みこし)とならないこと。持てる者は放置して、何も持たない人々の側に身を置こう。
 天皇が働く場所は弱者の傍らしかない。

7 057 阿久悠「日記力 『日記』を書く生活のすすめ」(講談社+α新書:2003)感想3

2018年05月10日 00時08分57秒 | 一日一冊読書開始
5月9日(水):  

181ページ    所要時間2:00    ブックオフ400円

著者66歳(1937~2007:70歳)。兵庫県に生まれる。明治大学文学部を卒業。作詞家。作家。広告会社勤務、放送作家を経て、作詞を中心に小説、エッセイなどの執筆活動に入る。「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」など、5000曲以上の作詞を手掛けるヒットメーカー

本書を読むのは4度目らしい。前回は10年前の2008年4月に1:00で眺め読みをしている。著者は、若い時に結核、61歳の時に癌になっている。本書は亡くなる4年前に語り下ろしという形で書かれた。鼻歌のような内容であった。残念ながら、今の俺には本書を高く評価する感性が無い。下らないと言い切れるほどの自信はないが、とにかく内容にまとまりというか、締まりがないので困った。

【目次】第1章 ある日の阿久日記/第2章 阿久日記ことはじめ/第3章 情報の洪水を泳ぐコツ/第4章 日記から読む現代日本の病巣/第5章 昨日と違う今日の確認/第6章 日記に隠された創作の秘密/第7章 日記を書く生活のすすめ

【内容情報】テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット…。情報が氾濫する時代、逃してはいけない大切なことをメモにとる!自分なりに、情報を自由に書く新しい日記の書き方。

7 056 石牟礼道子「苦海浄土 わが水俣病」(講談社文庫:1969/1972)感想4

2018年05月08日 23時53分19秒 | 一日一冊読書開始
5月8日(火):    

330ページ    所要時間1:45     死蔵本(1972年初版、180円:姉の本)

著者42歳(1927~2018:90歳)。熊本県天草郡に生まれる。1969年、『苦海浄土』を刊行、水俣病の現実を伝え、魂の文学として描き出した作品として絶賛される。1970年、第1回大宅壮一賞に選ばれるが受賞辞退。1973年、マグサイサイ賞受賞。1993年、『十六夜橋』(ちくま文庫)で紫式部文学賞受賞。2002年、朝日賞受賞。同年、新作能「不知火」を発表。2003年、『はにかみの国ー石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞

今日は読書を諦めていた。しかし、少し元気はある。こういう日は、ふだん手に取ることのない硬い目の本を1ページ15秒で読まないで目を這わす。そしてその本の全貌だけでも捉えることを目的にした<縁結び読書>に限る!

ものごころついた時からずっとそば近くに置いておきながら、おろそかに読んではいけない本として手に取れなかった本書を「申し訳ない」と合掌して手にとった。そして、ほぼ1ページ15秒で目を這わせ切り、本書の構造は大体わかった。

感想4は申し訳ないが、そういう事情による。今度心を入れ替えて、じっくりと読めば感想5になるのは間違いない。というか、やはりうわさ通りの名著であり、テキストなので5以外の評価はあり得ない。

本書については、水俣病の被害者の生の声を著者自身がイタコ(巫女)となって著されたものという漠然とした印象を持っていたが、それは間違いではなかった。その上で著者がどういう形で表現したのかを感じることはできた。

面白かったのは、解説で「本書の中の生々しい被害者の声は、実は綿密な取材によるというよりは、被害者自身の声を写実的に記録表現したものではなく、被害者が語ることができないでいる心中の声を著者が読み取って、まさに成り代わって表現したものということ」であった。

著者は、被害者たちの家に何度も何度も足しげく取材したわけではないのだ。それでも著者なりの被害者たちとの人間関係の中から彼らの言葉にならない声にまさに言葉を与えたのだ。その意味では、本書は著者の創作といえる。しかし、それに対して後世に響き渡る高い評価を受けているわけで、この表現活動は賞されるべき内容なのである。

【目次】第1章 椿の海/第2章 不知火海沿岸漁民/第3章 ゆき女きき書/第4章 天の魚/第5章 地の魚/第6章 とんとん村/第7章 昭和四十三年/あとがき(1968年)/改稿に当って(1972年)/【解説】石牟礼道子の世界(渡辺京二)

【内容情報】*公害という名の恐るべき犯罪――”人間が人間に加えた汚辱”――水俣病。昭和28年1号患者発生以来十余年、水俣に育った著者が患者と添寝せんばかりに水俣言葉で、その叫びを、悲しみ怒りを自らの痛みとし書き綴った《わがうちなる水俣病》。凄惨な異相の中に極限状況を超えて光芒を放つ人間の美しさがきらめく。第一回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1972年版/*工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき“いのちの文学”の新装版。2004年版

180507 どうして前原詐欺師と手を握れるのか。国民不在の政治屋集団が「国民党」を名乗る皮肉。

2018年05月07日 20時29分14秒 | 時代の記憶
5月7日(月):

どうして前原詐欺師と手を握れるのか。その手を凝視(み)ている国民は不在の新党。自民党に対抗する野党共闘の障害物。日本政治の癌”前原詐欺師”の分身たち国民不在の政治屋集団がこねくり回して無理やりひねり出した名前が「国民党」とは皮肉の一語に尽きる。理念なし。センスなし。運なし。覇気なし。意味なし。あんたらの言う<国民>って何だ?時代遅れ。自分が見えてない!

彼らが自己主張すればするほど、国民は混乱させられる。今後の政治は、彼らを無視することで正常化する。維新とともに彼らがすみやかに消えてくれることを願う。

朝日新聞国民民主党が結党、62人参加 幹事長に古川元久氏  5/7(月) 14:30配信
 民進党と希望の党が合流する新党「国民民主党」が7日、結党した。新党には両党から62人(衆院39人、参院23人)が参加した。東京都内のホテルで開かれた新党設立大会では、民進の大塚耕平、希望の玉木雄一郎の両代表が共同代表に就任。幹事長には古川元久氏、総務会長に平野博文氏、政務調査会長に足立信也氏、国会対策委員長に泉健太氏らを充てる幹部人事を決定した。
 新党設立大会では綱領や規約、安全保障法制の違憲部分の「白紙撤回」、原発の2030年代ゼロなどを盛り込んだ基本政策も承認された。
 他の幹部人事では、代表代行に原口一博氏、幹事長代行に増子輝彦氏、選対委員長に大島敦氏を選んだ。
■国民民主党の参加議員
 《衆院39人》青山大人▼浅野哲▼泉健太▼伊藤俊輔▼稲富修二▼今井雅人▼大島敦▼大西健介▼岡本充功▼奥野総一郎▼小熊慎司▼城井崇▼岸本周平▼吉良州司▼源馬謙太郎▼後藤祐一▼小宮山泰子▼近藤和也▼斉木武志▼階猛▼篠原孝▼下条みつ▼白石洋一▼関健一郎▼玉木雄一郎▼津村啓介▼西岡秀子▼原口一博▼平野博文▼古川元久▼古本伸一郎▼前原誠司▼牧義夫▼緑川貴士▼森田俊和▼山岡達丸▼山井和則(もったいない…ね)▼柚木道義▼渡辺周
 《参院23人》足立信也▼石上俊雄▼礒崎哲史▼伊藤孝恵▼大島九州男▼大塚耕平▼大野元裕▼川合孝典▼古賀之士▼小林正夫▼桜井充▼榛葉賀津也▼田名部匡代▼徳永エリ▼長浜博行▼羽田雄一郎▼浜口誠▼浜野喜史▼藤田幸久▼増子輝彦▼森本真治▼矢田わか子▼柳田稔

180505 一年前:170504 重松清ドラマ「とんび」(NHK版:2012年)を観ながら(感想5)気持ちよい涙が止まらなかった。

2018年05月06日 05時38分28秒 | 一年前
5月5日(土):
170504 重松清ドラマ「とんび」(NHK版:2012年)を観ながら(感想5)気持ちよい涙が止まらなかった。
5月4日(木):  職場の下らない春の親睦会を2件キャンセルして1万円(4千円+6千円)のあぶく銭があった。「これを本の購買にまわすぞ!」と考えていた。そして、今日、ブックオフ......


7 055 姜尚中「在日」(講談社/集英社文庫:2004/2008加筆)感想 特5

2018年05月06日 05時20分18秒 | 一日一冊読書開始
5月5日(土):  

256ページ     所要時間4:40    ブックオフ105円

著者53歳/57歳(1950生まれ)。熊本県熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。ドイツ、エアランゲン大学留学後、国際基督教大学准教授などを経て、東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学、政治思想史

2度目。前回は2010年1月4日に1:40の眺め読みをしている。今回は、じっくりと休まず一気に読んだ(読めた)。

非常に「誠実な内容」の本である。この本は評価を超えた<祈り>をもつ特別な本である。読後感は「うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ」「盗人に とりのこされし 窓の月」「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛)、著者の根底には、何のかけ引きも、欲得もない。ただただ、『在日』の先人たち(父、母、叔父、亡友他、『在日』の一世たち)に恥じない生き方をするのだ、という覚悟だけがある

ただ、こういう生き方を誠実に行えば行うほど、激しく波打つ人生を突っ切って生きざるを得ない。本書を読んでいて去来したイメージを漢字にすると、悲痛、哀切、哀惜、鎮魂、憧憬、感謝、希望、失望、残念、孤立、覚悟、敢行、瞑目などとなり、全体に喜びよりも悲嘆の比率が多くなる。裏切られ迷い動揺し続けながらも、著者は絶望を拒み、逃げ出したい思いを抑えてとにかく前を向く、はってでも前進しようとしている。

そして、当然の帰結として、当初若い時は<光栄ある後衛>として、一番後方を守っていたはずが、気が付けば最前線にたった一人で立って、激しい攻撃を受けながらも前衛として闘い続けなければならなくなっている。俺は、そんな著者の生き方を応援せずにはいられない。父、母を尊敬する姿勢にも共感せずにいられない。

終盤、読んでいて何度も「2018年の現在を論じてるのではないか?」という錯覚に襲われた。本書の文庫化で大幅に加筆されたのは、2000年の金大中大統領と金正日の第一回南北首脳会談後も不調だった南北関係が動き出した2007年、盧武鉉大統領と金正日の第二回南北首脳会談について著者の見解を述べている部分が、現在の文在寅大統領と金正恩の第三回南北首脳会談に一々適切な解説として当てはまっているからである。

二度と朝鮮戦争を引き起こしてはならないという著者の信念、そのために「東北アジア共同の家」という著者の構想が如何に適切なものであるかが、現在の国際情勢から見てよくわかる。また、第一回、第二回で南北に日米中ロを加えた6カ国協議が成立していたのに対して、現在6カ国中で日本だけがはしごを外されて孤立していることで、今のアベ政権の外交が如何にでたらめであるかもよくわかった

ちょっと、力尽きてきたので、寝ます。

【目次】第1章 朝鮮戦争のときに生まれて/第2章 「在日」一世の軌跡ーふたりのおじさんの人生/第3章 「尚中」が「鉄男」を捨てた夏/第4章 故郷と異郷のはざまで/第5章 父の死と天皇の死と/第6章 時代に押されるように/第7章 時代の飛沫をあびて/第8章 恩讐を抱きしめて

【内容紹介】*一九五〇年、朝鮮戦争が始まった年にわたしは生まれた。なぜ父母の国は分断されたのか。なぜ自分たちは「みすぼらしい」のか。「在日」と「祖国」、ふたつの問題を内奥に抱えながら青年期を迎えたわたしは、今まで抑圧してきたものを一挙に払いのけ、悲壮な決意で日本名「永野鉄男」を捨て「姜尚中」を名乗ることにした。在日二世として生きてきた半生を振り返り、歴史が強いた苛酷な人生を歩んだ在日一世への想いを綴った初の自伝。文庫化にあたり大幅に加筆。
・わたしの原点になったのは、母(オモニ)だったのではないかとつくづく思うことが多くなった。あふれるような母性的心情と繊細さ。母はわたしの避難場所であったし、母もまたわたしを自分の繭の中で保護することを望んでいた。「在日」であり、同時に「文盲」であることは、終生、母に付きまとった「宿題」であったに違いない。「在日」であることが、わたしの思春期に暗い影を落とす宿命的な桎梏(しっこく)であったとすれば、母にとって「在日」を生きるとは、無念に失われた故郷の記憶を異国の地で新しく再生させることを意味していた。――<プロローグより抜粋>

7 054 青木裕司「大学入試 世界史講義の実況中継(上)」(語学春秋社:1990)感想5

2018年05月05日 01時29分07秒 | 一日一冊読書開始
5月4日(金):  

289ページ     所要時間7:00     蔵書

著者34歳(1956生まれ)。

超ロングセラーの初版本である。何度読み返してきたのかはわからないが、とりあえず2005年12月18日に4:35で読了したメモがある。これより新しい版で、書き込みノートと分冊化したシリーズも全巻持っているが、今回は分冊化する前の一番古いのを読み直した。

本のページの劣化は、この手の本らしくかなり進んでいる。黄ばんだ本に既に多くの線が引かれ、ページの耳が折られていたが、今回の読書(お勉強?)で大量の付箋が貼られた。

内容は、ギリシャ世界/ローマ帝国(1)(2)/中国史(1)~(8)/イスラム世界(1)(2)である。忘れかけていた世界史の知識にもう一度丈夫なつっかえ棒をできた気分になれた。特に、中国史をまとめて見直せたのは大きいよろこびだった。それに、ギリシャ・ローマ史も、イスラム史も思い出せて良かった。

ただ、アレクサンドロス大王の東方遠征が丸々バッサリと書かれていなかったのはちょっと疑問だった。また、人名や事件などの歴史事項で異常に細かい知識をしかも記述できることを前提として話されていたり、宦官の鄭和の大遠征で「おかま」を茶化したり、「時代が変わったなあ」と、28年という歳月を感じさせられたりもした。

素直に、いい本だと思うが、初版本の内容は少し古い。読むなら、もう少し新しい版のを読んだほうがよかった。けっこう読むのが、お勉強になってしまったのもしんどかった。



180504 一年前:170503 「2020年改憲の年にする」とか?学ばぬ「子供だまし」。国民を舐め切った愚か者総理。

2018年05月05日 00時15分07秒 | 一年前
5月4日(金):
170503 「2020年改憲の年にする」とか?学ばぬ「子供だまし」。国民を舐め切った愚か者総理。

5月3日(水):「教育無償化」で「お試し改憲」とは…?、あきれ果てる。なめてるのか!まず「奨学金制度」の充実を先にするべきだろう。「教育無償化」は、学費の問題だけではダメ!学費......


180503 130万PV超:朝日新聞【社説】安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか

2018年05月04日 12時52分03秒 | 閲覧数 記録
5月3日(木): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2399日。   

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朝日新聞【社説】安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか  2018年5月3日05時00分
  憲法施行から70年の節目にあったこの1年で、はっきりしたことがある。それは、安倍政権が憲法改正を進める土台は崩れた、ということだ。
  そもそも憲法とは、国民の側から国家権力を縛る最高法規である。行政府の長の首相が改憲の旗を振ること自体、立憲主義にそぐわない。
  それに加え「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかになっている。憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態である。とても、まっとうな改憲論議ができる環境にない。

 ■統治原理ないがしろ
  この3月、森友学園との国有地取引をめぐる公文書の改ざんを財務省が認めた。
  文書は与野党が国会に提出を求めた。改ざんは、憲法の基本原理である三権分立、その下での立法府の行政府に対するチェック機能を損なうものだ。民主主義の根幹にかかわる重大事なのに、政権はいまだに改ざんの詳しい経緯を説明していない。
  いま政権を揺るがす森友学園と加計学園の問題に共通するのは、首相につながる人物に特別な便宜が図られたのではないかという疑惑である。
  長期政権の下、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法の定めが、大きく揺らいでみえる。
  昨年の通常国会の閉会後、野党は一連の問題を追及するため、憲法の規定に基づいて臨時国会の召集を要求した。首相はこれを放置し、野党の選挙準備が整っていないことを見透かして、衆院解散に打ってでた。憲法を無視したうえでの、「疑惑隠し」選挙だった。

 ■普遍的価値も軽視
  この1年、社会の多様性や個人の尊厳を軽んじる政権幹部の言動も多く目にした。
  象徴的だったのが、昨年7月の都議選の応援演説で、首相が自らを批判する聴衆に向けた「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉だ。
  都議選の惨敗後、いったんは「批判にも耳を傾けながら、建設的な議論を行いたい」と釈明したのに、今年4月に再び、国会でこう語った。
  「あの時の映像がいまYouTubeで見られる。明らかに選挙活動の妨害行為だ」
  財務事務次官によるセクハラ疑惑に対し、被害女性をおとしめるような麻生財務相、下村元文部科学相の発言もあった。
  憲法が定める普遍的な価値に敬意を払わないのは、安倍政権発足以来の体質といえる。
  この5年余、首相は経済を前面に立てて選挙を戦い、勝利すると、後出しじゃんけんのように「安倍カラー」の政策を押し通す手法を繰り返してきた。
  国民の「知る権利」を脅かす特定秘密保護法、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使に道を開く安全保障関連法、捜査当局による乱用が懸念される共謀罪の導入……。合意形成のための丁寧な議論ではなく、与党の「数の力」で異論を押しのけてきた。

  1強ゆえに、内部からの批判が声を潜め、独善的な政権運営にブレーキがかからなかったことが、現在の問題噴出につながっているのではないか。
  ちょうど1年前のきょう、首相は9条に自衛隊を明記する構想を打ち上げ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と宣言した。与野党の対立で国会内の機運はすっかりしぼんだが、首相はなお任期中の改憲に意欲をみせる。
  自民党は首相の意向を受けて、自衛隊明記に加え、教育、緊急事態対応、合区解消の計4項目の改憲案をまとめた。憲法を変えずとも、法律で対応できることが大半で、急いで取り組む必要性はない。

 ■優先順位を見誤るな
  「21世紀の日本の理想の姿を、私たち自身の手で描くという精神こそ、日本の未来を切りひらいていく」。首相は1日、新憲法制定を目指す議員連盟主催の会合にそんなメッセージを寄せた。
  透けて見えるのは、現憲法は占領期に米国に押し付けられたとの歴史観だ。人権、自由、平等といった人類の普遍的価値や民主主義を深化させるのではなく、「とにかく変えたい」という個人的な願望に他ならない。
  本紙が憲法記念日を前に実施した世論調査では、安倍政権下での改憲に「反対」は58%で、「賛成」の30%のほぼ倍となった。政策の優先度で改憲を挙げたのは11%で、九つの選択肢のうち最低だった。「この1年間で改憲の議論は活発化した」という首相の言葉とは裏腹に、民意は冷めたままだ。
  いま首相が全力を尽くすべきは、一連の不祥事の全容を解明し、憲法に基づくこの国の統治の仕組みを立て直すことだ。それなくして、今後の政権運営は立ち行かない。
  首相の都合で進める改憲は、もう終わりにする時だ。

7 053 井上章一「関西人の正体」(DENIM books/朝日文庫:1995/2016)感想4+

2018年05月04日 01時40分57秒 | 一日一冊読書開始
5月3日(木):  

263ページ    所要時間2:35     ブックオフ108円

著者40歳(1955生まれ)。京都市右京区生まれ。宇治市在住。「京都ぎらい」(朝日新書:2015)の著者である。

距離感の取りにくい著者である。波長が合わない時は少し腹立たしく「バカじゃないか」となるのだが、波長が合うと結構腹を抱えて笑えるのだ。今日は、読書を諦めていたが、「こういう日にこそ、ブックオフで買っておいた著者の本なら(なんとかなるか)?」と手に取った。

本書は、気楽に笑いたいような時に読めばよい本である。内容は大阪、京都を中心に関西を論じた「現代社会論」である。20年以上前の本だが、まあ好き勝手放題、言いたい放題に書きまくっている。

はじめ、まじめな気分で読み始めた時には、「何を分かり切ったしょうもないことを書いとるんや。こんなんじゃあ感想3+が精いっぱいやなあ」と思いながら眺め読みしていた。

しかし、半ばを過ぎたあたりから、「わかり切った内容やけど、結構笑かしてくれるやないか。まじめな本やと思って読むから突っ込みや反発も起こるが、読者を笑かすための<話芸の本>として読めば十分に笑えるし面白い。逆に、そこから観れば、著者が実は筋目の正しい?学者であることも本書の笑いにプラスαの安心感を与えてくれているとも言えるし、心地よいかな?。」となっていった。

終盤には、著者と波長が完全に合ってしまって、十二分に笑かされてしまっていたので、すでに感想4になっていた評価をさらに感想4+まで引き上げてしまわざるを得なかった。ただし、さすがに俺自身の鼎(かなえ)の軽重を問われかねないので感想5は付けられなかった。しかし、ここで感想5を付けきれなかったところが俺の読書の器の小ささを示していることになるような気もしないではない。まあ、存分に楽しめたので良かったかな、と思っている。

【目次】第一章 関西弁の真実 :●きたない! ?関西弁/●関西弁は議論に向かないという知識人/●オマーン港をなんと読む?/●京都、女言葉のインド人留学生/●マスコミのつくる関西弁/●東京女は「好きや」がきらい
第二章 大阪の正体 :●「大阪のパワー」と人がいうとき/●「風俗発祥の地・大阪」というぬれぎぬ/●ホルモン焼き誕生秘話/●江戸こそ食いだおれの街/●大阪の女はケバい/●カニはフグには逆らえない/●笑いと道化の大阪文化
第三章 京都の正体 :●辺境文化の光と影/●京都の景観なんて、どうでもいい/●本音を吐かない京都人/●皇室の京都復帰と東京の無礼/●京の町家/●ぼんさんがへをこいた/●邪馬台国畿内説vs.九州説の深層/●「京都にもある銀座」の話/●不快な京の雅び/●編集会議の京都人
第四章 関西全体への大誤解 :●値切れる関西人/●近畿の本当の意味/●ナットウぎらいの関西人/●阪神ファンでないひとの運命/●悪役レスラーは外国人から関西人へ/●関西国際空港の名に潜む卑屈/●関西に告ぐ、この没落を肯定せよ
あとがき //文庫版あとがき //朝日文庫版へのあとがき

【内容紹介】*かつての都、日本文化の中枢であった大阪・京都は、没落しきっている。しかし、没落の先進地帯である関西には、現在の日本全土の低迷期に役立つ知恵がたくさんある。ベストセラー『京都ぎらい』の著者による、知的興奮に満ちた関西論。//*関西弁は議論に向かない、京都を首都だと言い切る京都人、何でも値切る関西人。典型的な関西に対する偏見の数々を、ときに茶化し、ときにまじめに打ち壊す。読み終えたとき、あなたの関西を見る眼は変わっています。京都のはずれから考える、独創的で面白すぎる関西論!

180503 一年前:170503(論壇時評)日本国憲法 改正されずにきた訳は 歴史社会学者・小熊英二

2018年05月03日 19時37分01秒 | 一年前
5月3日(木):
170503(論壇時評)日本国憲法 改正されずにきた訳は 歴史社会学者・小熊英二
5月3日(水):  朝日デジタル:(論壇時評)日本国憲法 改正されずにきた訳は 歴史社会学者・小熊英二  2017年4月27日05時00分  日本国憲法には、どんな不備があるの......


180503 再掲:170724 お薦めTV:NHK「亜由未が教えてくれたこと」(170722:再放送)感想5

2018年05月03日 10時44分55秒 | 考える資料
5月3日(木):

昨夜、NHKで昨年夏に若手ディレクターが自らの家族を撮って制作したドキュメンタリー「亜由未が教えてくれたこと」の再放送を偶然だがじっくりと観た。いくつもの「こんなシーンがあったのか」という思いとともに、このドキュメンタリーの投げかけている問題意識の重要性と適切さ・妥当性に心を打たれた。以下、雑感のメモです。

・あゆちゃんを(価値のない)障害者としているのは、あゆちゃんではなく社会のあり方のほうだ。(※これはケイパビリティの思想に通じる大事な提議だ)
・障害者であるあゆちゃんはいつも幸せそうにしていなくちゃならないの。そんなの普通の人だってあり得ない。
・障害者の家族も不幸せだったら殺されなくちゃいけないの?(障害者の家族でなくても不幸せな人はたくさんいる)。
・障害者の家族や子供を持てば、家族は間違いなく大変な苦労をしなければならない状況になる。しかし、そのことと不幸を短絡的に結び付けることは間違いだし、ましてやそれによって障害者の生存権が否定されることは絶対にあってはならない。きれいごとを言うなという馬鹿どもには、障害者及びその家族を孤立させない社会の制度設計そのものが大事なのであり、そのように作られたマイノリティの人々に対して懐深く多様性を認める社会は、障害とは縁のない市民にとっても実はすごく優しく住みやすい社会になっているのだ。逆に、マイノリティの存在を否定する社会は、自らをマジョリティだと勘違いしている多くの馬鹿どもにとっても息苦しい社会・国家なのだと言いたい。ヒトラーのナチスのホロコーストの露払いをつとめたのは障害者の殺戮であった。映画「火垂るの墓」で亡くなったのは幼子であった。
・このドキュメンタリーに出てくるあゆちゃんの両親は、どう見ても現在の日本社会で考えられる最高水準の障害者問題の思想家であり、かつ実践家である。この人たちを当たり前の障害者の親と考えることはあり得ない。そして、この両親をして、特にあゆちゃんの1時間ごとの姿勢介助のために週5日間徹夜をやり続けている55歳の母親をして「もう限界がすぐそこに見えている」と言ってもう一人の娘に弱音を吐いて泣きつかざるを得ない状況を作っている日本社会、政治のありよう、そして傍観者でしかあり得ていない俺自身の現実に絶句する。
・障害者の家族が苦労することは、仕方のないことかもしれないが、これほどまでにその家族が追いつめられる日本社会のあり方はどう考えてもおかしいし、「障害者は不幸しか生み出さない」からと殺しまくった殺人者を自分とは全く関係のない愚か者のしわざと決めつけて見ないふりで済ませようとする日本社会、日本政治、そして俺自身もまさに度し難き状況だ。

以下、再掲する。

170724 お薦めTV:NHK「亜由未が教えてくれたこと」(170722:再放送)感想5
                      2017年07月25日 00時18分18秒 | 映画・映像
(2017年)
7月24日(月):   

NHKの若手製作者が、自分の家族に対する取材だから実現した、ある意味で奇跡的なドキュメンタリー。世間で東大理Ⅲに4人兄弟を送り出した母親が注目されている時代の対極の作品。しかし、実は、母親のすごさは同じだ!

【内容紹介】今年の5月9日に、『ハートネットTV』では、「亜由未が教えてくれたこと」という番組を放送しました。NHK青森の坂川裕野ディレクターは、神奈川県の津久井やまゆり園で殺傷事件を起こした植松聖容疑者の「障害者の家族は不幸」という言葉を否定したいがために、実家に戻り、亜由未さんにカメラを向けることになりました。坂川ディレクターの妹の亜由未さんは、肢体不自由と知的障害のある重症心身障害者です。
  坂川ディレクターの実家は、東京の板橋区にあります。小さい頃から妹とは自宅でともに暮らしていましたが、世話や介助をしたことはありませんでした。しかし、今回は、番組のために妹さんの知らない一面や家族の苦労を知ろうと、1か月間介助をしたいと両親に申し出ました。
  「亜由未が教えてくれたこと」
介助の目標はただ世話をすることではなく、妹を笑顔にすることでした。「自分の家族は幸せなんだ」と示したくて、がんばりますが、妹の亜由未さんは思うように笑ってくれません。そんなときに、母親の智恵さんは、「結果的に笑顔なのと、笑顔を求めるのは違う」と息子をたしなめます。
  「障害者は笑顔でないといけないの?」という智恵さんの問いかけは、坂川ディレクターだけではなく、メディアすべてに向けられた問題提起でもある
ような気がしました。昨年、バリバラでは「感動ポルノ」というテーマで、「障害者が非障害者を感動させるための道具にされていないか」という問題提起を行い、大きな反響を呼び起こしました。しかし、その一方で、昨年の津久井やまゆり園の事件の後には、さまざまなメディアが「幸せな障害者像」や「明るい障害者像」を示すことで、犯人の優生思想に対抗しようとしました。
  そんな中、母親の智恵さんは、「障害者を無理に笑顔にする必要なんてない」と言います。それはなぜなのか、ご自宅を開放したコミュニティスペース「あゆちゃんち」に話をうかがいに行きました。
  不幸だと生きていてはいけないの?

木下:「障害者の家族は不幸だ」という植松聖容疑者に対抗する意味で、息子さんは妹の亜由未さんを笑顔にしようとがんばります。それに対して、母親である智恵さんは、「結果として笑顔になるのと、笑顔を求めるのは違う」と戒めますよね。あの言葉の真意は、どこにあるのでしょうか。

坂川:犯人の植松容疑者は、「障害者の家族は不幸だ」と言ったわけですが、それに対して、「いや、私たちは不幸じゃありません」なんて言い返すよりも、「不幸な人間は殺されなければならないのですか? 生きるのが許されるのは幸福な人間だけですか?」という根本的なことを問いたいのです。
  「見た目は不幸に見えるかもしれないけれど、実は幸せです」なんて言う必要さえないと思います。「不幸で何がいけないの」と言いたいですね。人生、幸せだと感じたり不幸だと思ったりいろいろなんですから、「不幸なら生きている価値はない」なんて、冗談ではないと思います。

木下:亜由未さんは、いつも笑っている、明るいイメージが強いですね。その姿を視聴者に見てもらって、植松容疑者の言葉を否定したいという、坂川ディレクターの気持ちはよくわかります。

坂川:どうしてもSNSなどに上げる写真は笑顔のものが多くなりますから、いつも笑っているように思われてしまうのです。でも、ふだんは笑っていないことも多いですし、体調によって、全然違います。だから、ネットの中だけの亜由未しか知らなくて、初めて介助に来られる方は、「え、あゆちゃん、笑わないの!」と不安になられることがあるようです。でも、私たちもそうですけど、年がら年中笑ってるわけではないし、笑ってなくても充実していることってあるのに、笑顔ばかり求められたらしんどいと思います。

木下:介助する側にとっては、利用者の笑顔は仕事をしていく上で、大きなモチベーションになると言いますが。

坂川:学生時代に読んだ本で、安倍美知子さんという障害当事者の方が書かれた『ピエロにさよなら』という本があるのです。著者の美知子さんが、リハビリ中に一生懸命足を引きずりながら笑顔でがんばっていると、お父さんも先生もみんな笑顔になっていく。でも、本当はそうするのは辛くて、シンドイことだったのです。でも、「私が笑わなくなると、みんな去っていくのではないか」、そう思って、いつも笑っていたというのです。私はその本のことが忘れられません。
  亜由未はたまたま笑う障害者ですけど、表情がわかりにくかったり、笑わない方もおられます。明るい笑顔の障害者だけに人気が集まり、そうでない人には支援が手薄になるとしたら、それもおかしなことです。人間はいろいろな表情をもっていて、一日のうちでも変わりますし、逆に一日中、機嫌の悪い日だってあります。亜由未もいろいろな顔をするし、私は、それが「いいな」と思っています。詩人の相田みつをじゃないですけど、「人間だもの」と言いたいですね。
木下 真

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)