5月19日(金):
317ページ 所要時間3:25 ブックオフ108円
著者77歳(1889~1977:88歳) チャップリンが生まれたのは、日本の憲法ができた年(明治22年)である。第一次世界大戦の始まった年(1914)に彼は25歳である。
本書は1966年版の自伝の内、最初の3分の1が、1981年に「My Early Years」のタイトルで再出版されたものである。従って、最後までいってもチャップリンは20代半ばである。
まともな読書ではない。眺め読みである。だが、良い読書体験にはなった。チャップリンが、早くに父に死に別れ、母も精神の病に倒れ、兄とともに貧民院や孤児院を転々とする極貧の中で、10代で旅芸人一座で稼ぎ、イギリスのあちこちをまわり、フランスにも行き、アメリカに渡り、一度目はうまくいかず、イギリスにもどり、再度アメリカにわたって映画と出遭う。
決して聖人君子ではなく女遊びもするし、出演契約の駆け引きで吹っ掛けもするが、生きるのに精一杯で懸命に道を探す中で映画に出会う。それはあまり幸運な出会いではなく、当時の映画の常識は、チャップリンの感覚や考え方とはずいぶん離れていた。しかし、そのことは逆から観れば、チャップリンの映画に対する考え方が如何に斬新で彼が未開拓な可能性に満ち満ちたフロンティアの前に立っていたかを示すものであった。
初めのうち、理解されないまま不遇であったチャップリンは、何とかして自分の演技、ギャグ、笑いを映画に盛り込もうとするがことごとく阻まれていたが、偶然に機会に例のだぶだぶズボンに蝶ネクタイ、山高帽にちょび髭のキャラクターを急ごしらえで作った後、しばらくして映画会社の彼に対する態度が変わり始める。あとでわかることだが、チャップリン出演の映画の注文が伸びていたのだ。
その当たり役を得た20代半ば以降のチャップリンの映画界での出世の速さは一気呵成であった。西海岸から東海岸への5日間の列車の旅の先々で彼を大歓迎する人の群れの中、ニューヨークに着いたチャップリンは年額67万ドル(20億円ぐらいか?…)の契約を結ぶというところで終わる。
まだ、「モダンタイムス」や「街の灯」や「独裁者」など彼の代表作といわれるものは一切出てこない。あくまで本書では彼の子供時代から世に出るまでの話だけが出ているに過ぎない。訳者の中野好夫が言うように、残り3分の2も読めれば読みたいと思うが、とにかく彼の人生の出発点の惨めさと波乱万丈ぶり、そして絶望することなく自らの才能だけで一気にかけ上がった見事さが印象的だった。
【内容紹介】
*突然声の出なくなった母の代役として五歳で初舞台を踏み、母の発狂、父の死、貧民院や孤児院を転々とし、ついに地方まわりの一座に拾われて役にありつく――あの滑稽な姿、諷刺と哀愁に満ちたストーリーで、全世界を笑いと涙の渦に巻き込んだ喜劇王チャップリンの生いたちは、読む者を興奮させずにおかない。神話と謎につつまれたその若き日々を、みずからふりかえって描く。/*ロンドンの薄汚れた劇場で、母の代役として五歳で初舞台を踏んだチャップリン。母の精神病院収容、継母の虐待、アル中の父の死…度重なる苦難に襲われ、救貧院・孤児院を転々とした少年は旅回りの一座で子役にありつく。やがてコメディアンの才能を見出され渡米すると、草創期の映画界に引き抜かれ、夢のような日々が始まった。大スターまでの階段を一気に登りつめた「喜劇王」の前半生。
【著者情報】チャップリン,チャールズ(Chaplin,Charles)
1889-1977。ロンドン生れ。両親とも芸人。母のヴォードヴィルのカーノー一座と共に渡米。1913年キーストン喜劇映画会社に入り、浮浪者スタイルや、笑いと涙、風刺と哀愁に満ちた作品で卓越した評価を受ける。’52年赤狩りで米国を追われ晩年はスイスに居住。’75年3月には英国王室から大英帝国勲章第二位(ナイト・コマンダー)を授与される。