もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160508 一年前:150504 4年目書籍&ブログリスト 1 140903~150128 まだ39冊とほほ

2016年05月08日 22時20分13秒 | 一年前
150504 4年目書籍&ブログリスト 1 140903~150128 まだ39冊とほほ: ファシズム橋下大阪都・原発反対

5月4日(月):「表題をドラッグ、クリックyahooで検索」してもらえれば、そのページが出ます。今後ともよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。状態 タイトル 投稿日...

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5 054 佐藤優「ケンカの流儀 修羅場の達人に学べ」(中公新書ラクレ:2015)感想3、評価3

2016年05月08日 19時40分43秒 | 一日一冊読書開始
5月8日(日):  

236ページ   所要時間 1:45   ブックオフ108円

著者55歳(1960生まれ)。

 この著者の作品にしては、冗長でどうでもいいような内容の本に思えた。たくさん書き過ぎて筆が荒れてきたのか。体調が悪いのか。一方で、創価学会に対する秋波の強さは阿諛追従を感じさせるものだった。「大丈夫か?佐藤優!」

 1ページ15秒ペースでよかった。とりあえず品定めはできた。旧約聖書「ヨブ記」の記述では絶対に落としてはいけない部分(神に切れたヨブと神からの呼びかけのシーン)が意図的なのかはわからないが出ていなかった。それって致命的な凡ミスだよねと思った。

 俺の読みが足らないのか?、またの機会に読んでみようと思う。

紹介文:憎らしい相手との闘争に巻き込まれた時、どうすべきか?個人や組織レベルの「日常」から、国家レベルの「非日常」まで、各種の修羅場をサバイバルするための極意を伝授する。ヘーゲル、池田大作、プーチンら「修羅場の達人」や、著者自身の獄中経験から、究極のノウハウを学び取れ。

【目次】1 修羅場脱出、僕の方法(逮捕されるまで悔い改めなかった僕の「やりすぎ」/あえて修羅場を作って自分を追い込め)/2 日常にひそむ修羅場(漱石の「猫」に学ぶつまらぬ世間の渡り方ー『吾輩は猫である』/硬直化した組織を変えるには?-『かもめのジョナサン完成版』/憎しみの乗り越え方ー『八日目の蝉』)/3 非日常の修羅場(創価学会の強さのルーツー池田大作/池上彰氏に学ぶマスコミ業界の叱り方ー池上彰/「イスラム国」暴挙の果ての三つのシナリオ/ピンチをチャンスに変えたロシア大統領ーウラジーミル・プーチン/ロシア流ケンカとイスラエル流ケンカー核をめぐって)/4 修羅場の達人に学ぶ(試練には意味があると信じられる強さーヨブ/失脚しても絶望するなーヘーゲル)/対談 相手の「拍子抜け」を誘って切り抜けろ!-中瀬ゆかり
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5 053 斎藤美奈子「たまには時事ネタ」(中央公論新社:2007)感想4、評価4+

2016年05月08日 15時35分07秒 | 一日一冊読書開始
5月8日(日):

301ページ   所要時間 1:35     ブックオフ200円

著者51歳(1956生まれ)。文芸評論家。

紹介文:*小泉政権とともにあった2001〜06年、ニュースは事件をどう伝えたか。斎藤美奈子が新聞にTVにつっこみを入れる! 婦人公論の人気連載時事コラムに、最新の視点で大幅加筆し堂々刊行
*『婦人公論』で連載中の人気コラムに大幅加筆訂正して単行本化。米同時多発テロ、韓流ブーム、ホリエモンから靖国問題まで、著者があのニュースに独特の切り口でツッコミを入れる! 奇しくも連載開始は小泉政権の発足した年。この5年間を本書と共に振り返りたい。(北)


 東京新聞「本音のコラム」で、もみさん一押しの評論家。ブックオフなどで見つけると、中身も観ずに買ってしまう数少ない著者の一人である。2カ月ほど前に買って、手元に置いてあったものだが、リハビリ読書用に1ページ15秒のペースで読み進めた。付箋をしたので少し時間オーバーになった。このペースだと、目を這わせるだけで細かい情報はほとんど入ってこないが、後味が虚しいかというと全くそうではない。確かに何かが残っている。心も多少充実感を得ている。読み切れていなくても、やっぱり読書は良い!心のお薬だ。

 これを「きちんと読まなければならない」と身構えれば、まずこの本との縁はなかったことを思えば、1ページ15秒、1時間に200~240ページというペースは、忙しい日々の中で読書生活を維持する上で追求すべき方法論だと思う。1冊90分、ブログに30分ならば、何とか忙しい毎日でもやりくりができそうな時間である。

 本書の内容は、15年前~10年前の日本を思い出し、考える非常に価値の高い文献になっていると思う。日本が本当におかしくなり始めたのがあの時期からだったことを思えば、現在を考える資料として読むことができる。内容は、古くなっていない。

目次:二〇〇一年五月~一二月(一九四一年と二〇〇一年の気になる符合/小泉新内閣の女性閣僚を勝手に採点 ほか)/二〇〇二年一月~一二月(小泉語録を選んだ流行語大賞の大衆迎合/反近代のスローフードは女の敵か味方か ほか)/二〇〇三年一月~一二月(「ゴミ屋敷」は環境の問題なのか/就職難の時代に夢を語るって大変 ほか)/二〇〇四年一月~一二月(一〇〇年前の日露戦争、今日のイラク戦争/田村改め谷亮子の結婚は意外な最先端? ほか)/二〇〇五年一月~一二月(学力低下をめぐる文科相のトンチンカン/過疎化する郊外、郊外化する都市 ほか)/二〇〇六年一月~一二月(自民党憲法草案のキモはここ/「入籍」と呼ばないで ほか)
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5 052 ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄 (下)」(草思社:1997:2000訳) 感想3+

2016年05月08日 00時24分33秒 | 一日一冊読書開始
5月7日(土):  副題「1万3000年にわたる人類史の謎」

349ページ  所要時間 3:00    アマゾン 284(27+257)円

 著者60歳(1937生まれ)。米国ボストン生まれ。専門の生物地理学や生理学に加え、文明論の著作もある。1998年のピュリツァー賞受賞作『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』(ともに草思社)など著書多数。

 1ページ30秒読書では、意味を取り切ることはできない。また、細かな内容を知り切る義理を感じる本でもなかった。

 「歴史は、民族によって異なる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものであって、民族間の生物学的な差異によるものではない」ということを1万3000年前にさかのぼって、1492年を大きな画期としつつ叙述されている。著者は歴史と人種問題に対する謙虚さを強調しながら、俯瞰的に歴史を縦横無尽に語って見せて、さぞかし気持ちよいことだろうが、読んでる側から見ると中国や日本に対する叙述の内容の粗雑さに強い違和感を覚えさせられ、それは全体の叙述の粗雑さの反映ではないか?、と疑問符が付き始めると、あとはどこまで著者の自己満足についていったらいいのか、という気分にもさせられた。

 感想3+は、俺自身の読みの能力の問題によるのだが、たとえ十二分に読み込んでも4+が限界だろう。感想5にはならないと思う。理由は明らかで、上に述べた通り、著者の議論の進め方に独り善がりを覚えるからだ。もう一つ踏み込んでいえば、謙虚を装ったWASP的な傲慢さ。1万3000年という長いスパンで歴史を語っているというスタイルをとりながら、その実、悠久の歴史の一瞬に過ぎないこの100年ほどの欧米の優位を絶対的な前提として説明している自己矛盾に対して鈍感さを覚えるのだ。

 著者は、医学部教授の理系の学者が俯瞰的に世界史を叙述することに快感を覚えているようだが、世界全史を叙述するにはあまりにも知識が疎漏なのではないか。論じられる東アジアの国々の一員として強い違和感を覚えたことを記しておきたい。

 もっと著者の趣旨を汲み取って「人種によらず、居住環境によって世界史は動いてるんだ」という部分を評価して味わうべきだろう、という指摘があれば、俺には二つの答えがある。一つは、その通りかもしれません。本書をもっと楽しむべきかもしれません。揚げ足取りだけではもったいないのかもしれませんね。しかし、もう一つの答えは、こんな独善的な部分をたくさん抱えた世界全史を有難く拝読するほどの暇な時間は俺にはありません。あしからず。だ。どっちの答えが、良いのかは、またの機会に置いておく。

 本書を、初めて知ったのは、ひょっとしたら立花隆さんあたりが紹介していたかもしれないが、直接的には最近のNHKスイッチインタビューで京大の山極総長が、対談の中で紹介していたのを観たからだ。なぜ紹介していたのかの理由が、ポリネシアやオーストラリア、アフリカへの言及が本書に多かったことであるのは理解できた。

 しかし、著者自身の談論風発、縦横無尽、侃々諤々の「いいこと言ってるでしょう!」という独り善がり?のいい気分には付いて行けない。世界史の総括本としては「人種への見せかけの謙虚さなんていらないから(そんなことは当たり前すぎて今さら強調することでもない!)、もう少し細部への緻密さがないと読み手としては話に乗れない」というのが正直な感想だ。

<下巻目次>
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第3部 銃・病原菌・鉄の謎(承前)13
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第12章 文字をつくった人と借りた人: 文字の誕生と発展 14/三つの戦略 16/シューメル文字とマヤ文字 18/文字の伝播 26/既存文字の借用 27/インディアンが作った文字 32/古代の文字表記 34/文字を使える人びと 38/地形と自然環境の障壁 43
第13章 発明は必要の母である: ファイストスの円盤 47/発明が用途を生む 51/誇張された「天才発明家」 54/先史時代の発明 56/受容されなかった発明 59/社会によって異なる技術の受容 62/同じ大陸で見られる技術の受容のちがい 65/技術の伝播 69/地理上の位置の役割 72/技術は自己触媒的に発達する 76/技術における二つの大躍進 78
第14章 平等な社会から集権的な社会へ: ファユ族と宗教 85/小規模血縁集団 88/部族社会 92/首長社会 96/富の分配 100/首長社会から国家へ 104/宗教と愛国心 108/国家の形成 110/食料生産と国家 113/集権化 115/外圧と征服 118
--------------
第4部 世界に横たわる謎 127
--------------
第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー: オーストラリア大陸の特異性 128/オーストラリア大陸はなぜ発展しなかったのか 131/近くて遠いオーストラリアとニューギニア 134/ニューギニア高地での食料生産 140/金属器、文字、国家を持たなかったニューギニア 143/オーストラリア・アボリジニの生活様式 148/地理的孤立にともなう後退 153/トレス海峡をはさんだ文化の伝達 156/ヨーロッパ人はなぜニューギニアに定住できなかったか 162/白人はなぜオーストラリアに入植できたか 166/白人入植者が持ち込んだ最終産物 168
第16章 中国はいかにして中国になったのか:中国の「中国化」 171/南方の拡散 175/東アジア文明と中国の役割 181
第17章 太平洋に広がっていった人びと: オーストロネシア人の拡散 189/オーストロネシア語と台湾 193/画期的なカヌーの発明 198/オーストロネシア語の祖語 202/ニューギニアでの拡散 206/ラピタ式土器 210/太平洋の島々への進出 214/ヨーロッパ人の定住をさまたげたもの 218
第18章 旧世界と新世界の遭遇:アメリカ先住民はなぜ旧世界を征服できなかったのか 221/アメリカ先住民の食料生産 222/免疫・技術のちがい 226/政治機構のちがい 230/主要な発明・技術の登場 231/地理的分断の影響 236/旧世界と新世界の遭遇 247/アメリカ大陸への入植の結末 250
第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか: アフリカ民族の多様性 257/アフリカ大陸の五つのグループ 260//アフリカの言語が教えてくれること 265/アフリカにおける食料生産 272/アフリカの農耕・牧畜の起源 278/オーストロネシア人のマダガスカル島への拡散 282/バンツー族の拡散 284/アフリカとヨーロッパの衝突 291
エピローグ 科学としての人類史: 環境上の四つの要因 297/考察すべき今後の課題 302/なぜ中国ではなくヨーロッパだったのか 304/文化の特異性が果たす役割 316/歴史に影響を与える「個人」とは 319/科学としての人類史 320
訳者あとがき 329
索引 350
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160505 朝日新聞【社説】子どもの貧困 学び支え、連鎖断ち切ろう

2016年05月06日 00時09分06秒 | 時々刻々 考える資料
5月5日(木):
朝日新聞【社説】子どもの貧困 学び支え、連鎖断ち切ろう  2016年5月5日(木)付
  最も貧しい家庭の子どもが、他の多くの先進国と比べて、厳しい状況に置かれている――。
  4月に公表された国連児童基金(ユニセフ)の報告書は、そんな日本の現状を浮かび上がらせた。最貧困層と標準的な層との格差を国ごとに分析しており、日本の格差は41カ国の中で8番目に大きいという。
  所得が真ん中の人の半分に満たない人の割合を示す「相対的貧困率」でも、日本の子どもは6人に1人が貧困層にあたり、先進国の中で悪い方だ。貧しさの広がりに加え、ユニセフの調査でその度合いも深刻であることを指摘されたと言える。
  対策としてまず問われるのは、そうした家庭へのサポートだ。日々の生活を助ける各種の手当や親の就労への支援など、福祉を中心とする施策が重要であることは言うまでもない。
  それ以上に考えなければならないのは、子どもたちに焦点を当てた支援だ。生活の苦しい家庭で育った子が、大きくなってもその状態から抜け出せず、世代を超えて続いてしまう「貧困の連鎖」をどう断ち切るか。
  カギとなるのは教育だ。
 ■教育で広がる将来
  さいたま市内のコミュニティセンター。午後6時を回ると制服や体操着姿の中学生が次々とやって来る。経済的に厳しい家庭の子どもたちに、学生ボランティアが週2回、勉強を教える無料の「学習支援教室」だ。
  4月からボランティアをしている女子学生(18)は、かつて教室で学んだ一人だ。「ここに来ると、いつでも私の話を聞いてくれる人がいる。心のよりどころみたいな場所でした」
  母と2人暮らし。女子学生が中学2年生の時、家計を支えていた母が体を壊し、生活保護を受けるようになった。「進学するより働いた方が、と思った時もあった。けれど、大学生のボランティアさんから学生生活のこととか、いろんな話を聞くうちに夢がふくらんで」。今は奨学金で大学に通い、福祉の分野を学んでいる。
  市の委託で教室を運営するNPO「さいたまユースサポートネット」の青砥恭(やすし)代表は言う。「子どもたちが自分自身で未来を切り開く力をつけなければ、貧困問題は解決しない。学びは貧困対策の核です」
  昨年4月に始まった生活困窮者自立支援制度で、厚生労働省は学習支援事業を貧困対策の柱の一つと位置づけ、自治体に実施を促している。しかし任意事業のため、青砥さんのNPOの調査では「実施予定なし」の自治体が45%もある。
 ■地域の実態調査を
  こうした取り組みをどう加速させるか。ヒントになりそうなのが、貧困の「見える化」だ。
  沖縄県は今年、都道府県で初めて独自に子どもの貧困率を29・9%と推計し、公表した。全国の1・8倍という高さだ。
  「沖縄の子どもの状況がどれだけ厳しいか。それを把握しないと必要な対策も見えてこない」(喜舎場〈きしゃば〉健太・県子ども未来政策室長)。渋る市町村を説得し、協力を仰いだ。
  学校で必要な教材の費用などを援助する就学援助を貧困家庭の半分近くが利用しておらず、制度を知らない人も2割近い。同時に行ったアンケートからは、既存の支援制度が十分に機能していない実態もわかった。
  県は「就学援助を知らない貧困世帯ゼロ」「学習支援教室を全市町村に拡大」など34の数値目標を含む6カ年計画を作り、30億円の対策基金を設けた。調査を担当した一般社団法人「沖縄県子ども総合研究所」の龍野愛所長は「現実を突きつけられたから政策が動いた。実態把握は、政策の効果を検証する上でも欠かせない」と強調する。
  大阪市も今年度、小・中学生らを対象に調査を予定する。地域ごとに実態をつかむことが、対策を前進させる大きな力になる。取り組みを急ぎたい。
 ■社会全体で向き合う
  「子どもの将来が生まれ育った環境によって左右されることのないよう、必要な環境整備と教育の機会均等を図る」。2014年に施行された子どもの貧困対策法を受け、政府が閣議決定した大綱がうたう理念だ。
  言葉だけで終わらせてはならない。社会保障と教育を両輪に、対策を充実させたい。とりわけ教育分野では、経済規模と比べた公的支出が先進諸国の中で最低水準にとどまる。予算を思い切って増やすべきだ。
  「義務教育は国がしっかりやるが、高校や大学は自立してがんばってもらわないと」。自民党の国会議員が奨学金制度の拡充をめぐって最近、こんな趣旨の発言をした。今も根強い主張だが、そうした単純な「自己責任論」から卒業する時だ。
  子どもたちは社会の担い手になっていく。その健やかな育ちを後押しすることは、「未来への投資」にほかならない。
  社会全体で子どもを支える。その合意と負担に向き合う覚悟が問われている。
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160505 (憲法を考える)9条、立憲主義のピース 寄稿、憲法学者・石川健治

2016年05月05日 23時23分45秒 | 時々刻々 考える資料
5月5日(木):

「昔から地位にある者が学んでいないほど国家を病気にするものはない。害になるものはない。(保科正之)」

朝日デジタル(憲法を考える)9条、立憲主義のピース 寄稿、憲法学者・石川健治  2016年5月3日05時00分
  1916年元旦、大阪朝日新聞の第1面に掲載されたのが、戦前を代表する憲法学者・佐々木惣一の論説「立憲非立憲」であった。同論文は、1回の休載を挟み、18回連続で1面に掲載された。同じ頃、彼の親友・吉野作造は、「民本主義」を提起した記念碑的論文を発表している(「中央公論」16年1月号)。それから1世紀の記念すべき年の晩秋に、私たちは日本国憲法公布70周年を迎えることになる。にもかかわらず、立憲主義の定着を祝うべきこのときに、〈立憲・対・非立憲〉が再び対立軸となっているのである。
  改憲を唱える人たちは、憲法を軽視するスタイルが身についている。加えて、本来まともだったはずの論者からも、いかにも「軽い」改憲発言が繰り出される傾向も目立つ。実際には全く論点にもなっていない、9条削除論を提唱してかきまわしてみたりするのは、その一例である。日本で憲法論の空間を生きるのは、もっと容易ならぬことだったはずである。
  ここでは、逆に「重さ」を感じさせる一例として、77年に出された一つの最高裁判決をひもといてみたい。当時の長官は藤林益三。元々彼は、佐藤栄作内閣が最高裁を保守化させようと躍起になっていた時期、切り札として送り込まれた企業法務専門の弁護士だ。実際、リベラルな判決が相次いでいた公務員の労働基本権の判例の流れを「反動」化させるのに大きな勲功をあげた。その彼が定年退官直前に担当したのが津地鎮祭事件であった。津市が体育館の起工にあたり地鎮祭費用として公金から8千円弱の支出をし、憲法の政教分離原則に違反するとして争われた事件で、最高裁の多数派は「合憲」の結論になった。
  しかし、この事件を「法律家人生をかけてとりくんだ」とのちに振り返る藤林は、裁判長ながら「違憲」の反対意見に回る。しかも、「違憲」派5人の共通の反対意見に加えて、さらに1人で追加反対意見を書いた。藤林が明記して断っているように、追加反対意見の前半は、内村鑑三が創始した無教会主義のキリスト者・矢内原忠雄の文章を、ほぼ一字一句「写経」することで成立している。
  矢内原は、戦前、東京帝大における「植民政策」の講座担当者として、日本の植民地主義に加担するという葛藤を抱えながら、雑誌などでの政府批判を理由に、37年には辞職に追い込まれた反骨の人である(矢内原事件)。藤林が引用したのは、矢内原が戦後に書いた「近代日本における宗教と民主主義」。言論弾圧に直面して日本社会と丸腰で向き合った経験をもつからこその、迫力ある文章だ。
     ■     ■
  矢内原は、戦後における「公」の再編過程を振り返る。第1段階は、終戦後も治安維持法によって投獄されたままだった哲学者・三木清の獄死という悲劇をきっかけに、連合国軍総司令部(GHQ)が45年10月に出した「自由の指令」だ。これにより、「私」の領域における思想の自由と、一般私人の政権批判の自由を回復した。
  35年の天皇機関説事件以前は、神道式の儀礼と皇室の祭祀(さいし)によって演出された「公」と、「私」の領域における思想・信仰とは、どうにかこうにか切り分けられていた。それを支えていたのが、佐々木や美濃部達吉ら立憲主義学派の憲法学であった。とりわけ、国家を法学的に叙述する文法を堅持した美濃部の天皇機関説の冷静さが、公私の境界線の論理的な支えになっていた。
  ところが、「事件」によって立憲主義憲法学が葬り去られ、機関説支持だった政府は、2度にわたる国体明徴声明を余儀なくされた。境界線は決壊し、「国体の本義」が「私」の世界にとめどなく浸入した。この境界線を「自由の指令」は回復したのであった。その延長線上に、集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由を保障する、現憲法21条はある。
  第2段階は、GHQが12月に出した「神道指令」であり、信教の自由を保障するとともに、国家神道を政治社会から切り離した。そして、矢継ぎ早の第3段階は、翌46年元旦に出された、天皇のいわゆる人間宣言である。それぞれ、現憲法20条、89条の政教分離原則と第1章の象徴天皇制に引き継がれた。矢内原は、日本の政治社会を、かつて「国体」色に染め上げるために活用された演出装置が、二つとも外された点に注意を喚起する。これらによって、ただ単に「公」と「私」の境界線が確保されたのみならず、「公」それ自体の無色透明化が図られた。これで、立憲主義が想定する政治社会は、ひとまず完成である。
     ■     ■
  藤林長官は、ここで引用を止める。しかし、読ませたかったのはその先であろう。そのためにこそ、出典を明示しつつ、あえて他人の文章を「写経」する、という異例の手段を採ったに相違ない。引用されなかった部分。そこに書かれていたのは、矢内原にとって宿命的な論点だった、植民地主義と軍国主義の論点である。彼の理解によれば、自由の指令も神道指令も人間宣言も、植民地主義と軍国主義の過去を清算するためのプロセスであったのであり、これにとどめを刺したのが憲法9条であることは、いうまでもない。
  ここから明らかになるのは、9条がまず何よりも、長らく軍国主義に浸(つ)かってきた日本の政治社会を、いったん徹底的に非軍事化するための規定である、という消息である。それにより、「公共」の改造実験はひとまず完成し、この「公」と「私」の枠組みに支えられる形で、日本の立憲主義ははじめて安定軌道にのることができた。結果オーライであるにせよ、70年間の日本戦後史は、サクセスストーリーだったといってよい。
  しかし、こうした段階を踏むことで、かつて軍国主義を演出した何系統かの言説が公共空間から排除され、出入り禁止の扱いになった。もちろん憲法尊重擁護義務は「公共」「公職」にのみ向けられており、国民には強制されていない。それらの言説は、私の世界においては完全な自由を享受できる。けれども「戦後改革」から日本国憲法に受け継がれた諸条文がいわば「結界」として作用して、立憲主義にとって危険だとみなされる一連の言説を、私の領域に封じ込め続けているのは事実だ。
  その意味で、封じ込められた側からいえば、日本国憲法が敵視と憎悪の対象になるのは、自然であるといえる。きわめて乱暴にいってしまえば、日本国憲法という一個の戦後的なプロジェクトには、少なくとも政治社会から軍国主義の毒気が抜けるまで、そうした「結界」を維持することで立憲主義を定着させる、という内容が含まれているのである。
     ■     ■
  ところが、私の領域に封じ込まれていたはずの一連の言説が、ネット空間という新しい媒体を通じて、公の世界に還流し始めた。それに初めてふれて新鮮な印象を抱く人が、比較的若い世代に増えてきたようである。これを原動力にして、この際「結界」を壊してしまおうと考えている勢力もある。戦後、対外的危機は、実は一度ならずあったはずなのであるが、最近の北東アジアにおける安全保障環境の変化を前面に押し出して、「新鮮」な危機感に訴える傾向も顕著である。
  こういう流れのなかで9条を動かすのは、危険きわまりないといわなくてはならない。日本の立憲主義を支える結界において、憲法9条が重要なピースをなしてきた、という事実を見逃すべきではないのである。もちろん、9条は、どんな国でも立憲主義のための標準装備である、という性質のものではない。しかし、こと戦後日本のそれに関する限り、文字通り抜き差しならないピースをなしているのであり、このピースを外すことで、立憲主義を支える構造物がガラガラと崩壊しないかどうかを、考えることが大切である。
  それにしては、あまりにも無造作な9条論が、目立つ。9条は、とかく安全保障の局面だけで手軽に語られるが、決してそれだけの条文ではない。ただ、その一方で、世論調査による限り、9条改正は危険ではないかという直観が、おそらくは皮膚感覚のレベルで広がりつつあるのも事実である。すでに述べたように、この直観には根拠がある。私たちが生命・自由・幸福を追求する枠組み全体を支える9条をもっと慎重に扱うことが、国家の安全保障を論ずる前提条件になっている。
  ただし、ここには、一つの問題がある。新しい結界のもとで再編された「公共」は、立憲主義が想定する「無色透明」なそれであるが、そうした「公共」に対して、国民の情熱や献身を調達することは難しい。ありていにいえば、そうした無色透明なものに対して命は懸けられないのである。この点は立憲主義の、それ自体としてのアピール力の弱さを示している。
  この点、矢内原は、政教分離原則は「国家の宗教に対する冷淡の標識」ではなく「宗教尊重の結果」であることを強調し、むしろ「国家は宗教による精神的、観念的な基礎を持たなければ維持できない」ことを強調した。当然ながら、最もふさわしいのはキリスト教、というのが矢内原の立場だ。近代立憲主義国家は、実はキリスト教による精神的基礎なしには成り立たないという。実は藤林も無教会主義の敬虔(けいけん)な信者であった。
  欧米の憲法史にそっていえば、矢内原らの見方は、かなりあたっている。しかし、少なくとも理論上は、「公共」はあらゆる世界観に対して中立的でなくてはならない。この点において、他のリベラル派判事4人は、藤林と袂(たもと)を分かつことになった。彼らにとって、公共をキリスト教の信仰で色づけることには、賛成できなかった。
  こうした文脈で注意されるのが、第1次安倍政権の教育基本法改正による「愛国心」教育の強調である。国を愛するというのは自然な感情であり、否定のしようがない。しかし、それを国家が強要するのはまた別の話であって、ある特定の価値によって、しかも命を懸けるに値する公を染め上げようというのであれば、それは日本の立憲主義にとって致命傷になる。現代版「立憲非立憲」の戦線は、ここにもあるのである。
     *
 いしかわけんじ 1962年生まれ。東大教授。編著に「学問/政治/憲法 連環と緊張」など。「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人の1人。
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160504 一年前:150502 リテラ:立憲主義の危機だ!池上彰が安倍首相の憲法軽視と自民党の改憲草案

2016年05月04日 14時23分37秒 | 一年前
5月4日(水):
150502 リテラ:立憲主義の危機だ! 池上彰が安倍首相の憲法軽視と自民党の改憲草案をぶった斬り

5月2日(土):立憲主義の危機だ! 池上彰が安倍首相の憲法軽視と自民党の改憲草案をぶった斬りhttp://lite-ra.com/2015/05/post-1067.html...

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160502 一年前:150502 朝日デジタル:(寄稿)憲法という経典 作家・島田雅彦

2016年05月03日 01時27分11秒 | 一年前
5月2日(月):
150502 朝日デジタル:(寄稿)憲法という経典 作家・島田雅彦
5月2日(土):(寄稿)憲法という経典 作家・島田雅彦 朝日デジタル 2015年5月2日05時00分 日本が自国のことのみならず、他国の戦後復興、人道支援にも貢献し、「世界...

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160502 堕ちていく日本社会の象徴NHK:朝日新聞【社説】NHKの使命 政府の広報ではない

2016年05月03日 01時09分01秒 | 時々刻々 考える資料
5月2日(月):

今後、NHKを考えるための記録として残す。

朝日新聞【社説】NHKの使命 政府の広報ではない  2016年5月2日(月)付
  NHKは、政府の広報機関ではない。当局の発表をただ伝えるだけでは、報道機関の使命は果たせない。
  それは放送人としての「イロハのイ」だ。しかし、籾井勝人会長は就任から2年3カ月になるが、今もその使命を理解していないとしか思えない。
  籾井氏は、先月の熊本地震に関する局内会議で、原発に関する報道は「公式発表をベースに」と発言した。「当局の発表の公式見解を伝えるべきだ。いろいろある専門家の見解を伝えても、いたずらに不安をかき立てる」などとも指示した。
  26日の衆院総務委員会で籾井氏は、こう答弁している。
  「公式発表」とは「気象庁、原子力規制委員会、九州電力」の情報のこと。鹿児島県にある川内(せんだい)原発については「(放射線量を監視する)モニタリングポストの数値などをコメントを加味せず伝える。規制委が、安全である、(稼働を)続けていいといえば、それを伝えていく」と考えているという。
  災害の時、正確な情報を速く丁寧に伝えるよう努めるのは、報道機関として当然だ。自治体や政府、企業などの発表は言うまでもなく、ニュースの大事な要素である。
  同時に、発表内容を必要に応じて点検し、専門知識に裏付けられた多様な見方や、市民の受け止めなどを併せて伝えるのも報道機関の不可欠な役割だ。
  しかし籾井氏の指示は「公式発表」のみを事実として扱うことを求めているように受け取れる。ものごとを様々な角度から見つめ、事実を多面的に伝えるという報道の基本を放棄せよと言っているに等しい。
  「住民に安心感を与える」ためというのが籾井氏の言い分のようだ。だが、それは視聴者の理解する力を見くびっている。
  NHK放送文化研究所の昨年の調査では、85%が「必要な情報は自分で選びたい」とし、61%が「多くの情報の中から信頼できるものをより分けることができるほうだ」と回答した。
  多くの視聴者は、政府や企業などが公式に与える情報だけでなく、多角的な報道を自分で吟味したいと考えているのだ。
  籾井氏は一昨年の就任会見で「政府が右ということを左というわけにはいかない」と発言。昨年は戦後70年で「慰安婦問題」を扱うか問われ、「政府の方針がポイント」と語った。
  政府に寄り添うような発言はその都度批判されてきたが、一向に改まらない。このままでは、NHKの報道全体への信頼が下がりかねない。
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160501 67万PV超:小熊英二の卓説を読みましょうm(_ _)m(論壇時評)日本の非効率「うさぎ跳び」から卒業を

2016年05月02日 23時16分55秒 | 閲覧数 記録
5月1日(日):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1667日。 

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ランキング:5,460位 / 2,484,868ブログ中 週別 9,214位

  ※4月16日(土): 66万超:記録ですm(_ _)m。ブログの開設から  日。 
    小熊英二師匠の卓説を読みましょうm(_ _)m
朝日デジタル(論壇時評)日本の非効率 「うさぎ跳び」から卒業を 歴史社会学者・小熊英二  2016年4月28日05時00分
  かつて、「うさぎ跳び」というトレーニングがあった。現在では、ほとんど行われていない。効果が薄いうえ、関節や筋肉を傷める可能性が高いからだ。
  しかし日本では、それに類する見当違いの努力が、随所で行われている。そして、社会の活力を損なっている。
  たとえば教育。大内裕和はこう指摘する〈1〉。日本の中学教員の労働時間は、OECD諸国で最も長い。しかし、授業時間は長くない。教員が時間をとられているのは、部活動や行事である。そのため、長時間働いても、教育効果が上がらない。まさに、「うさぎ跳び」に類する、見当違いの努力である。
  たとえば社会保障。大沢真理は、日本の社会保障は「きわめて非効率」だという〈2〉。今の制度では、現役時に所得が高かった高齢者など、恵まれている層への年金や控除が手厚く、恵まれない層への配分は薄い。これでは、巨費を投じても効果が限られる。
  これらは、日本の国際競争力や、経済成長率の低下につながる。教育程度の低下や格差拡大は、国の人的資源を劣化させ、ポテンシャルを下げるからだ。
     *
  酒井博司は、国際経営開発研究所(IMD)の世界競争力ランキングを紹介している〈3〉。日本は1992年に1位だったが、2015年は27位だ。「生産性と効率性」は、14年から15年に、24位から43位に落ちている。
  日本の労働生産性は、米国に比べて低い。木内康裕によると、その比は製造業で7割、サービス業で5割だ〈4〉。飲食・宿泊では4分の1である。
  だが日本のサービス業は、怠けているわけではない。努力が見当違いになっている事例が多いのだ。
  木内はこう述べる。多くの小売業は、営業時間を延長して売上を伸ばそうとしてきた。だが営業時間延長で近隣店舗から売上を奪うことはできても、国全体の消費額が伸びなければ、食い合いになるだけで差し引きゼロだ。そして「国全体の消費額を決めるのは所得額や消費性向であり、営業時間が長くても短くてもさほど影響はない」。むやみに長時間労働しても、全体の生産性は下がるのだ。
  国際的な順位を下げているのは、経済指標だけではない。英誌「エコノミスト」の民主主義指標で、日本は23位となり、「完全な民主主義」から「欠点のある民主主義」に格下げとなった。
  待鳥聡史は、その原因として「政治参加」と「政治文化」が低いことを挙げる〈5〉。具体的には、報道の自由、女性議員の比率、マイノリティーの尊重、投票以外の政治参加などが低い。
  経済指標の低下と、民主主義指標の低下は、無関係ではない。昔なら、国民が黙々と働いていれば、経済は伸びた。しかし現代は、知的産業や高付加価値化がものをいう。そこで重要なのは、自分の頭で考え、自発的に行動できる人的資源だ。人権意識や政治参加が低いままでは、そうした人材は育たない。
  つまり国全体の意識が、「文句をいわず黙々と働く」から、「自発的に考えて行動する」に変わらないと、競争力は強くならない。だが、古い意識を変えられない経営者や管理職には、見当違いの努力を強要する人がいる。そこから、不合理な「うさぎ跳び」が横行する。
  その好例は、サービス業に多い「ブラック企業」や「ブラックバイト」だ。坂倉昇平は、アルバイト学生が過剰な責任感や長時間労働を要求され、学業に支障が出たり、心身を壊したりするケースを紹介している〈6〉。目先の単純労働で高等教育を受けている人材を使いつぶすのは、人的資源の浪費である。
  報道でも「うさぎ跳び」が横行している。報道機関には、過剰に上司や政権に配慮し、自己規制する傾向がある。金平茂紀は、大手テレビ局員のこんな声を紹介している〈7〉。「気がつけば、街頭録音で政権と同じ考えを話してくれる人を何時間でもかけて探しまくって放送している」「それがいつのまにか普通になり、気がつけば自由な発想がなくなってきている」。こんな状態で生産性が上昇し、競争力が強くなるわけがない。
     *
  事態の改善には、発想の転換が重要だ。だが同時に、不当な忍耐を強いられたら、抗議することも大切だ。そこで必要なのが、権利意識と法的知識である。
  たとえば教育。前掲の大内裕和は、部活動で「忍耐」を説く傾向が、「ブラックバイト」を助長しているという〈1〉。そして、高校で労働法教育を行うことを提唱する。何が不当労働行為なのかの知識もないまま、耐えて「泣き寝入り」している学生が少なくないからだ。
  たとえば報道。高山佳奈子によると、最近の言論機関への圧力には、業務妨害罪や公務員職権乱用罪(議員や大臣は公務員だ)にあたると考えられるケースが多いという〈8〉。そうした法的知識があれば、無知が原因の自己規制や「泣き寝入り」は減るだろう。
  漫画の「さらん日記」に、こんな「実話」が紹介されている〈9〉。公民館の集会使用を申請したら、市職員に断られた。だが弁護士が法的疑義を訴え、事務所まで説明に来るよう要請したら、「お使い下さい」と許可されたという。
  知識に支えられた権利意識は、自由主義社会の発展の基礎である。日本の停滞の一因は、人的資源、つまり「人間」を尊重しなかったことだ。「うさぎ跳び」は、もはや卒業する時である。
     *
〈1〉大内裕和・内田良(対談)「『教育の病』から見えるブラック化した学校現場」(現代思想4月号)
〈2〉大沢真理ほか(座談会)「“ReDEMOS”とは何か」(世界別冊881号)
〈3〉酒井博司「かつて1位だった国際競争力が低下した理由」(中央公論5月号)
〈4〉木内康裕「AIやロボットでサービス産業の効率化を」(同上)
〈5〉待鳥聡史「日本の民主主義の何が映し出されたのか」(同上)
〈6〉坂倉昇平「ブラックバイトが教育を食い物にする」(Voice5月号)
〈7〉金平茂紀「TVキャスターたちはなぜ声を上げたのか」(世界5月号)
〈8〉高山佳奈子「政治家によるメディアへの圧力は犯罪とならないのか」(同上)
〈9〉さらん「さらん日記」(週刊金曜日1月15日号)
     ◇
 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞。2011~15年度に本紙・論壇委員を務めた。
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160501 一年前:4 071 石原千秋「秘伝 中学入試国語読解法」(新潮選書:1999) 感想5

2016年05月01日 16時02分11秒 | 一年前
5月1日(日): 
アマゾンの内容紹介:
  漱石研究の第一人者である大学助教授・石原千秋が、中学受験に“はまった”異色の1冊。もっとも、著者が受験したわけではない。彼の息子が、である。本書は、中学入試に挑んだ一家の顛末(てんまつ)を赤裸々に描いた体験編「僕たちの中学受験」と、国語の入試問題の説き方を手ほどきした国語問題読解編「入試国語を考える」の2部で構成される。
  体験編ではまず、中学受験に乗り気でなかった父親が、なぜ受験を是とするようになったのかが語られる。その心変わりを追っていくと、現在の教育制度や公立学校が抱える欠陥が垣間見えてくる。だが、中学受験は生易しいものではない。模擬試験の偏差値に一喜一憂し、志望校選びに翻弄(ほんろう)される日々。それらは冷静な筆致でつづられているものの、「『中学受験は親の受験』という言葉が身にしみた」とのひと言に、著者の本音がのぞく。
  一転、国語問題読解編では、著者が文学研究者としての本領を発揮し、有名中学校の入試国語の「過去問」を徹底分析。読解のルール、ノウハウを指南する。ロラン・バルトの「物語は一つの文である」との考えをベースに、問題文の把握の仕方、設問の意味などを克明に解説する。この法則さえ会得すれば“入試国語恐れるに足りず”、というわけだが、果たしてうまくいくかどうか…。
  400ページとボリュームはあるが、一気に読ませる。子どもの中学受験を考えている親はもとより、中学受験に無縁な人にも一読を強くおすすめしたい。(清水英孝)
  この本は二部構成になっていて、体験編では、中学入試に対する僕たちの戸惑いや試行錯誤を出来るだけ率直に書いた。そのほうがかえって参考になると考えたからだ。一方、国語問題読解編では、著者の研究者としての分析力をフルに発揮した。「国語」に隠されている見えないルールを炙り出すという読解法は、入試国語に強くなるだけでなく、「学校」空間というものについて考える契機となるだろう。だから、この本は著者の学校論でもある。

4 071 石原千秋「秘伝 中学入試国語読解法」(新潮選書:1999) 感想5
4月29日(水):410ページ  所要時間 2:35   ブックオフ108円著者44歳(1955生まれ)。成城大学文芸学部助教授。漱石研究家。頭の冴えているうちに、縁結...
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160501 高橋純子記者「政治断簡」。腐った朝日新聞も捨てたものではない。アイヒマン曽我豪は消えろ!

2016年05月01日 15時17分43秒 | 時々刻々 考える資料
5月1日(日):

  朝日新聞なのに?、良い記事を読むことができた。

  アイヒマン曽我豪のような小役人の宦官ダニ記者を飼ってることで購読者を侮り見下し、購読者の誇りを踏みにじり続けている朝日新聞だが、本来のジャーナリズムを感じさせる記者もいる。
  その一人が高橋純子記者だ。以前から、長谷部恭男・早稲田大学教授と杉田敦・法政大学教授の朝日新聞『考論』の構成者として名を知っていた高橋純子記者の肉声を初めて聞いた。この文章には、曽我豪のような卑しさは微塵も無い。別に誉めるほどの内容ではない。ただあるべきジャーナリズム精神を感じるというだけだ。当たり前であることが難しい時代になったということだ。それでも貫いてほしい。

朝日デジタル(政治断簡)スイッチ押したの、誰だ? 政治部次長・高橋純子  2016年5月1日05時00分
  「だけどみんな違う。クズだけど、それぞれ違うクズなんだから『ゆとり』なんて言葉でくくらないでください」
  衆院北海道5区補選で自民党公認候補当選確実の報に触れ、そっか、でも勝ち負けとは関係ないところで、なんか、なにかが、表現された気がするんだよなあ……みたいなことを考えたり考えなかったりしながらドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)を見ていたら、1987年生まれ、「ゆとり教育」第1世代の主人公がこんなセリフを吐くに至り、わが脳内でキンコンカンと鐘が鳴った。
  個のうごめき、個の躍動。くくるなナメるな勝手に決めるな。あんたにとっては無意味でも、みんなそれぞれかけがえのない毎日を必死に生きているんだぜ――。かすかに聞こえる。さびついていた個の歯車が、動き始めた音が。
  スイッチ押したの、誰だ?
     *
  「巫女(みこ)さんのくせになんだと思った」。自民党の大西英男衆院議員は、補選の応援で現地入りした際、神社の巫女から「自民はあまり好きじゃない」と言われたことを派閥の会合で紹介し、こう語った。一方、同党の赤枝恒雄衆院議員は「とりあえず中学を卒業した子どもたちは仕方なく通信(課程)に行き、やっぱりだめで女の子はキャバクラ行ったりとか」。子どもの貧困対策を推進する議員連盟の会合での発言だ。
  敵か味方か。役に立つか立たないか。人間を、世界を、二つの「箱」に仕分けしたがる人がいる。そんな人たちに「1億総活躍」の旗を振られると、役に立て、味方になれと言われているようで、苦しい。
  政治家だったら教えてくれよ。世界はもっと豊かだと。君は君が生きたいように生きていいのだと。そのためにこそ、政治はあるのだと。

     *
  本当は隠しておきたいけれど、かく言う私も人間を箱に入れてしまったことがある。
  10年前、若年フリーターの貧困問題が顕在化し始めたころ、生活保護を受けている31歳の男性を取材した。2度目の取材だったか、お昼ご飯を食べながら、ということになった。お金がなくて10日以上何も食べられず、各所をたらい回しにされた末にやっと保護につながった彼。私は張り切った。ここはやっぱり肉だよね、肉。おいしいお肉をいっぱい食べさせてあげよう。だけど彼は申し訳なさそうに「すみません、僕、胃が小さくなっちゃって、重たいものは受け付けないんです」。
  あ、そうかごめんごめん。スパゲティに変更したが、麺を2、3本ずつ咀嚼(そしゃく)する彼を見て、恥じた。己の善意を振りかざした私。「貧困」という箱に入れ、彼だけの生を理解していなかった私
  精密な受信器はふえてゆくばかりなのに/世界のできごとは一日でわかるのに/“知らないことが多すぎる”と/あなたにだけは告げてみたい。
  (茨木のり子「知らないことが」)
  ひとくくりにするな。
  人の生をナメるな。

  そう、知らないことが多すぎるのだ、私たちは。

朝日デジタル(政治断簡)スプリング・ハズ・カム 政治部次長・高橋純子   2016年3月27日05時00分
  全国各地から桜の便りが届いていますが、みなさまいかがお過ごしですか。こんにちは。「チリ紙1枚の価値もない」記事を書かせたら右に出るものなし、週刊新潮にそう太鼓判を押してもらった気がして、うれしはずかし島田も揺れる政治部次長です。
  季節がめぐり、自然と足取りも軽くなる今日このごろであるが、ひとつ、ずっと、引っかかっていることがある。
  あの家の窓は、どうして閉まったままなのだろう。
  通勤時に通りかかる、南西角の一軒家。南隣にくっつくように立っていた家屋が取り壊され、駐車場になった。日当たりも視界も各段に良くなったはずなのに、いつもカーテンがひかれている。
  勝手な想像をめぐらせる。たぶんその家では、もはや南の窓は「ない」ことになっているのだろう。開けたところで、どうせ隣家の外壁だから。いつしかカーテンの開け閉めさえ忘れられ、もしかしたら家具が置かれてふさがれているのかもしれない。
  もったいないというか、寂しいというか。窓を開ければ、これまでとは違う景色が見えるのに。うららかな日ざしがそそぎ、やわらかな風が吹き込んでくるのに。
    *
  前回書いた「だまってトイレをつまらせろ」に多くの批判と激励をいただいたが、どうにもこうにもいただけなかったのが「死刑にしろ」だ。
  どんなに気に食わなかったにせよ、刑の執行というかたちで国家を頼むのは安易に過ぎる。お百度踏むとかさ、わら人形作るとかさ、なんかないすか。昨今、わら人形はインターネットで即買いできる。しかしそんなにお手軽に済ませては効力も低かろう。良質なわらを求めて地方に足を運ぶくらいのことは、ぜひやってほしいと思う。
  訪ねた農家の縁側で、お茶を一杯よばれるかもしれない。頬をなでる風にいい心持ちになるかもしれない。飛んできたアブをわらしべで結んだら、ミカンと交換することになり……「わらしべ長者」への道がひらける可能性もゼロとは言いきれない。
  ひとは変わる。世界は変わる。その可能性は無限だ。
  だけど、「死刑にしろ」と何百回電話をかけたところで、あなたも、わたしも、変われやしないじゃないか。
    *
  反日。国賊。売国奴。
  いつからか、国によりかかって「異質」な他者を排撃する言葉が世にあふれるようになった。批判のためというよりは、排除のために発せられる言葉。国家を背景にすると、ひとはどうして声が大きくなるのだろう。一方で、匿名ブログにひっそり書かれたはずの「保育園落ちた日本死ね!!!」が、言葉遣いが汚い、下品だなどと批判されつつ、みるみる共感の輪を広げたのはなぜだろう。
  なにものにもよりかからず、おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている。

  スプリング・ハズ・カム。
  窓を開けろ。歩け歩け自分の足で。ぼくらはみんな生きている。

朝日デジタル(政治断簡)「だまってトイレをつまらせろ」 あなたならどうする 政治部次長・高橋純子 2016年2月28日13時21分
  「だまってトイレをつまらせろ」
  このところ、なにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。
  ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。
  ①代表団を結成し、会社側と交渉する。
  ②闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。
  まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。
  ところが栗原さんによると、船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山谷や釜ケ崎で名をはせた活動家は、第3の道を指し示したという。
  ③新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。
  チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。
  船本の思想のおおもとは、正直よくわからない。でも私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。
  生かされるな、生きろ。
  私たちは自由だ

     ◇
  念のため断っておくが、別にトイレをつまらせることを奨励しているわけではない。お尻痛いし。掃除大変だし。
  ただ、おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う。
  他者を従わせたいと欲望する人は、あなたのことが心配だ、あなたのためを思ってこそ、みたいな歌詞を「お前は無力だ」の旋律にのせて朗々と歌いあげる。うかうかしていると「さあご一緒に!」と笑顔で促される。古今東西、そのやり口に変わりはない。
  気がつけば、ああ合唱って気持ちいいなあなんつって、声を合わせてしまっているアナタとワタシ。ある種の秩序は保たれる。だけども「生」は切り詰められる。
     ◇
  「ほかに選択肢はありませんよ――」
  メディア論が専門の石田英敬・東大教授は2013年、安倍政権が発するメッセージはこれに尽きると話していた。そして翌年の解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。
  「この道しかない」
  固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。
  近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?

  はい、もう一回。
  だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。
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5 051 ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄 (上)」(草思社:1997:2000訳) 感想3+

2016年05月01日 01時17分46秒 | 一日一冊読書開始
4月30日(土):  副題「1万3000年にわたる人類史の謎」

317ページ  所要時間 3:25    図書館→アマゾン注文1円

著者60歳(1937生まれ)。米国ボストン生まれ。専門の生物地理学や生理学に加え、文明論の著作もある。1998年のピュリツァー賞受賞作『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』(ともに草思社)など著書多数。

リハビリ読書として、1ページ30秒でページに目を這わせた。意味を捉えるのが困難でしんどい読書になったが、最後まで行くことを最優先にした。感想3+は、俺の読み取り能力の問題である。きちんと読める人から見れば、談論風発、縦横無尽の痛快な読書体験になるかもしれず、評価は確実に4以上になると思う。

人類史で、アフリカや南北アメリカ大陸が出遅れた理由を南北軸に置き、ユーラシアの優越を東西軸に据えた論理。アメリカ先住民が、ユーラシアの伝染病によって壊滅的人口減少を受けたのに、アメリカからユーラシアへの伝染病は梅毒以外これと言って大したものがなかった理由を、人類が大きな被害を受けた伝染病の多くが家畜に由来することを指摘し、アメリカでは家畜化がほとんど進展しなかったからだと説明する。

・著者による本書内容の要約「歴史は、異なる人々によって異なる経路をたどったが、それは、人々のおかれた環境の差異によるものであって、人々の生物学的な差異によるものではない」35ページ
・もう一つの間違った思い込みは、移動しながら狩猟採集生活を営む人たちと、定住して食糧生産に従事する人たちとははっきり区別されるものだ、という考え方である。われわれはこの二つのグループを対比させて考えることが多いが、自然の恵みが豊かな地域の狩猟採集民のなかには、定住生活に入ったものの、食料を生産する民とはならなかった人々もいる。(もみ注:これこそ我が縄文文化である!)152ページ
・野生のアーモンドには数十個で致死量となる青酸カリが含まれている。165ページ
・ドングリは素晴らしい食糧供給源となりうるのだが、いまだに栽培化されていない。→①成長の遅さ。②苦みが複数の遺伝子でできてるので品種改良が困難。188~189ページ
・家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できない者である。233ページ
・こうした相違は、アメリカ大陸やアフリカ大陸が南北に長い陸地であるのに対し、ユーラシア大陸が東西に長い大陸であることの反映ともいえる。そして人類の歴史の運命は、この違いを軸に展開していったのである。286ページ
・非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。よ進歩した技術や、より発達した政治機構を持っていたことも間違いない。しかし、このことだけでは、少数のヨーロッパ人が、圧倒的な数の先住民が暮らしていた南北アメリカ大陸やその他の地域に進出していき、彼らにとってかわった事実は説明できない。そのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだったのである。317ページ

【上巻目次】
日本語版への序文――東アジア・太平洋域からに見た人類史 1
プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの: ヤリの素朴な疑問 16/現代世界の不均衡を生みだしたもの 19/この考察への反対意見 22/人種による優劣という幻想 24/人類史研究における重大な欠落 29/さまざまな学問成果を援用する 35/本書の概略について 38
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第1部 勝者と敗者をめぐる謎 47
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第1章 一万三〇〇〇年前のスタートライン:人類の大躍進 48/大型動物の絶滅 57/南北アメリカ大陸での展開 62/移住・順応・人口増加 71
第2章 平和の民と戦う民との分かれ道:マオリ族とモリオリ族 77/ポリネシアでの自然の実験 79/ポリネシアの島々の環境 83/ポリネシアの島々の暮らし 86/人口密度の違いがもたらしたもの 89/環境のちがいと社会の分化 95
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突:ピサロと皇帝アタワルパ 99/カハマルカの惨劇 101/ピサロはなぜ勝利できたか 109/
銃・病原菌・鉄 119
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第2部 食料生産にまつわる謎 121
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第4章 食料生産と征服戦争:食料生産と植民 122/馬の家畜化と征服戦争 129/病原菌と征服戦争 131
第5章 持てるものと持たざるものの歴史: 食料生産の地域差 133/食料生産の年代を推定する 135/野生種と飼育栽培種 140/一歩の差が大きな差へ 148
第6章 農耕を始めた人と始めなかった人:農耕民の登場 149/食料生産の発祥 151/時間と労力の配分 154/農耕を始めた人と始めなかった人 156/食料生産への移行をうながしたもの 158/
第7章 毒のないアーモンドの作り方:なぜ「栽培」を思いついたか 165/排泄場は栽培実験場 167/毒のあるアーモンドの栽培化 169/突然変異種の選択 174/栽培化された植物とされなかった植物 180/食料生産システム 183/オークが栽培されなかった理由 185/自然淘汰と人為的な淘汰 190
第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか:人間の問題なのか、植物の問題なのか 193/栽培化の地域差 195/肥沃三日月地帯での食料生産 199/八種の「起源作物」 204/動植物に関する知識 210/ニューギニアの食料生産 217/アメリカ東部の食料生産 222/食料生産と狩猟採集の関係 227/食料生産の開始を遅らせたもの 229
第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか:アンナ・カレーニナの原則 233/大型哺乳類と小型哺乳類 234/「由緒ある家畜」 236/家畜化可能な哺乳類の地域差 239/他の地域からの家畜の受け入れ 242/家畜の初期段階としてのペット 245/すみやかな家畜化 246/繰り返し家畜化された動物 248/家畜化に失敗した動物 248/家畜化されなかった六つの理由 251/地理的分布、進化、生態系 260
第10章 大地の広がる方向と住民の運命: 大地の広がる方向と住民の運命 263/食料生産の伝播の速度 264/西南アジアからの食料生産の広がり 270/東西方向への伝播はなぜ速かったか 275/南北方向への伝播はなぜ遅かったか 279/アメリカ大陸における農作物の伝播 280/技術・発明の伝播 283
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第3部 銃・病原菌・鉄の謎
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第11章 家畜がくれた死の贈り物: 動物由来の感染症 288/進化の産物としての病原菌 292/症状は病原菌の戦略 295/流行病とその周期 298/集団病と人口密度 300/農業・都市の勃興と集団病 302/家畜と人間の共通感染症 304/病原菌の巧みな適応 306/旧大陸からやってきた病原菌 310/新大陸特有の集団感染症がなかった理由 313/ヨーロッパ人のとんでもない贈り物 315

内容紹介文:銃と軍馬―― 16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。なぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか?
否、と著者は言う。そして、その理由を98年度ピューリッツァー賞に輝いた本書で、最後の氷河期が終わった1万3000年前からの人類史をひもときながら説明する。はるか昔、同じような条件でスタートしたはずの人間が、今では一部の人種が圧倒的優位を誇っているのはなぜか。著者の答えは、地形や動植物相を含めた「環境」だ。
たとえば、密林で狩猟・採集生活をしている人々は、そこで生きるための豊かな知恵をもっている。だが、これは外の世界では通用しない。他文明を征服できるような技術が発達する条件は定住生活にあるのだ。植物栽培や家畜の飼育で人口は増加し、余剰生産物が生まれる。その結果、役人や軍人、技術者といった専門職が発生し、情報を伝達するための文字も発達していく。つまり、ユーラシア大陸は栽培可能な植物、家畜化できる動物にもともと恵まれ、さらに、地形的にも、他文明の技術を取り入れて利用できる交易路も確保されていたというわけだ。また、家畜と接することで動物がもたらす伝染病に対する免疫力も発達していた。南北アメリカ、オーストラリア、アフリカと決定的に違っていたのは、まさにこれらの要因だった。本書のタイトルは、ヨーロッパ人が他民族と接触したときに「武器」になったものを表している。
著者は進化生物学者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。ニューギニアを中心とする長年のフィールドワークでも知られている。地球上で人間の進む道がかくも異なったのはなぜか、という壮大な謎を、生物学、言語学などの豊富な知識を駆使して説き明かす本書には、ただただ圧倒される。(小林千枝子)
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)