もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

150709 リテラ:世界遺産「韓国の裏切り」報道は大嘘! 難癖をつけたのは日本政府と安倍首相だった

2015年07月09日 16時42分33秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
7月9日(木):

リテラ世界遺産「韓国の裏切り」報道は大嘘! 難癖をつけたのは日本政府と安倍首相だった  2015.07.08. 
  日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」が、世界遺産に登録されることが5日の世界遺産会議で決定した。
  本サイトでは、その直後、「明治日本の産業革命遺産」世界遺産推薦が、実は安倍首相の閨閥がからんだ政治的ゴリ押しだったことを指摘したが、テレビなどではほとんど報道されず、その代わりにもちきりだったのは、「韓国の裏切り」問題だ。
  この「裏切り」というのは、4日の審議で、韓国側が日本の候補である「明治日本の産業革命遺産」で「朝鮮人の強制労働があった」とする主張をしようとしたため、審議がもち越しになったというもの。日韓外相会談では両国が登録に向けて協力することで合意しており、日本は韓国の候補である百済歴史遺産に賛成した、なのに、韓国が手のひら返しで裏切って難癖をつけてきた、とメディアが一斉に報道したのだ。
  5日夜に、韓国含め全会一致で「明治の産業遺産」の登録が決まってからも、この問題一色だった。世界遺産決定を報じるニュースやワイドショーも、決定の喜びより、「後味の悪さ」を強調、なかでも「韓国が土壇場で裏切った」経緯の解説に時間をかけられ、韓国のロビー活動の様子などを執拗に報じていた。
  5日夜、5日夜、速報で登録決定を報じた『Mr.サンデー』(フジテレビ系)で宮根誠司は「韓国は世論に弱すぎる」と韓国が大衆に迎合して不当な主張をしているかのように批判。さらに翌6日の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)でも、解決スミの日韓請求権が蒸し返されるのでは、日韓関係に冷や水、などと韓国側の姿勢を非難した。
  『ひるおび!』(TBS系)でも、八代英輝弁護士が、日本側が演説で、被害者を記憶にとどめるため「情報センター」の設置をするとしたことについて、「なぜ日本が韓国のために情報センターを自分たちの費用で作らなければならないのか」「後味の悪いものになった」などと、不満を口にした。
   しかし「一度は協力を合意したのに、韓国が裏切って難癖をつけてきた」というのは、明らかに事実とは違う。
  そもそも、韓国は明治の産業遺産の世界遺産登録に一切反対はしていない。韓国は逆に賛成の意見陳述をする予定だったのだ。ところが、日本がその陳述の予定稿に「forced labor」(強制労働)という表現があることを問題にし、“演説の表現を変えろ”と韓国に迫ったのだ。

  改めて説明するまでもないが、1939年から1945年の間に70万もの朝鮮人が朝鮮半島から内地に送り込まれた。その多くは暴力を伴う明らかな強制連行で、調査に入った内務省が「拉致同然」という報告書を提出しているほどだった。
  そして、今回、世界遺産に登録された炭坑や製鉄所に送り込まれた朝鮮人は劣悪な環境に閉じ込められ、長時間労働を強いられ、多くの死亡者を出した。
  日本政府はこれを日本国民に対して行ったのと同じ「徴用」だと言っているが、まったくちがう。日本人には国民徴用令で家族への扶助制度があったが、この徴用制度は1944年まで韓国人には適用されていない。そういう意味では、韓国が「強制労働」の事実があったとするのは当然の主張なのだ。
  いや、韓国だけではない。5月には、ユネスコ傘下の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、日本に対して否定的な歴史も盛り込むよう勧告している。
  また、日本は対象を1850年代から1910年までに限定。朝鮮人徴用とは「時代が違う」と主張しているが、これについても、ポルトガルのユネスコ大使から「遺産群は総体で一つであって、ある時代を切り取ることはできない。全参加国が満足できる結果を待っている」と批判されている。
  実際、日韓外相会談では両国が意見陳述を行うこと、審議の場では日本が自主的に強制労働の事実を説明し、その後に韓国が発言することも合意されていた。
  それがなぜ、突如、「強制労働」という言葉を使うな、と言い始めたのか。実はここでも、安倍首相のゴリ押しがあったという。
  「官邸が突然、外務省の担当者に韓国の陳述内容を確かめろ、と言ってきて、事前協議をすることになったようです。そして、韓国が「forced labor」を使っていることが分かると、官邸はそんな言葉の使用は絶対に許さないの一点張り。現地の岸田外相と佐藤ユネスコ大使は完全に板挟み状態になっていた」
  最終的には議長国のドイツが調整に動いて、日本も韓国も意見陳述の際に「forced labor」を「forced to work」表現に言い換えることで妥結したが、この言葉の選択については、審議の行われているドイツから、日本の安倍首相に一字一句相談し決められたという。
  しかし、国際社会が官邸のゴリ押しを認めるはずもなく、「labor」(=労働)を「work」(=働く)に言い換えたのみ、「forced」(=強制された)の部分を言い換えることは許されず、意味はほとんど変わらなかった。
  また、登録が決まった後、佐藤ユネスコ大使が「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」というスピーチを行わざるをえなかった。
  ところが、スピーチのなかで用いた「forced to work」という表現について、直後岸田外相は「強制労働を意味するものではない」と説明。義偉官房長官も6日午前の記者会見で、登録にあたり、日韓の間で焦点となった「徴用工」をめぐる表現について、「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではまったくない」と説明した。
  これはおそらく、例の二枚舌作戦をやろうとしているのだろう。今年4月のワシントンポストのインタビューで、慰安婦について「human trafficking」という表現を使って、対外的には強制連行を認めるポーズをとり、国内向けには「人身売買」と訳して民間の商行為のような印象を与えようとしたのと同じやり方だ。
  だが、この言い換えについても、マスコミはまったく真相を伝えていない。たとえば、『ひるおび!』の八代弁護士はこんな風に説明して、安倍政権をアシストしていた。
  「検索で「forced labor」と入れると、奴隷のようなものが出てくるが、「forced to work」はブラック企業のようなもので、ニュアンスがまったくちがう」
  ブラック企業ならたいしたことないというような言い草も弁護士としてどうかと思うが、試しに「forced labor」「forced to work」を、それぞれ画像検索してみたところ、広い農場や収容所のようなところで大量の人が働かされている画像や、子どもが働かされている画像など、「forced labor」の検索結果と同一の画像が「forced to work」のほうでも、いくつも出てきた。ようするに、彼らは黒を白と言いくるめてでも、安倍政権を守りたいのだろう。
  もっとひどいのは、保守系メディアやネトウヨたちだ。「なぜ韓国に配慮するのか」「強制徴用を認めるくらいなら世界遺産なんていらない、席を蹴ってしまえ」「情報センターなんかつくって自虐史観をふりまくつもりか」「国交を断絶しろ」と、この問題でさらに嫌韓をエスカレートさせ、またぞろ強制労働の歴史を否定しにかかっているのだ。
  そもそも世界遺産は、各国がそれぞれの国のすばらしいところをアピールするためのものではない。正の面、負の面あわせて世界の歴史に意味のあるものを保存しようという、人類共通の遺産だ。だから、アウシュビッツ強制収容所や、広島の原爆ドームも、また世界文化遺産に登録されている。
  産業革命も、産業や経済が発展したという功績がある一方、搾取の構造や悲惨な労働を生んだという負の側面があることは、日本に限らず世界共通の認識だろう。そうした負の側面を認めることは、屈辱でも恥でもない。
 国威の発揚や自慢大会しか許容できないというのは、日本がとことん下品で知性のない国になってしまったということだろう。

  しかし、その下品で知性のない代表選手こそ、安倍晋三である。先日の記事でも指摘したように、安倍首相はナショナリズムをあおって、戦前の大日本帝国を肯定するために、自分の閨閥に連なる連中とともに、この“戦争犯罪遺産”の世界遺産登録を推し進めてきた。
  そう考えると、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録は実現したものの、安倍首相が国際社会の求める「負の歴史」の説明をきちんと果たすかどうかは極めて怪しい。 
  前述したように、今回の世界遺産登録にあたっては、情報センターを設立して歴史をきちんと説明することが義務づけられるが、安倍首相は、それを使って歴史修正主義を喧伝しようともくろんでいる可能性も十分あるような気がするのだ。(野尻民夫)
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150707一年前:140706野中広務氏の発言を拝聴・賛同!弱者への限りなく優しい眼差しの政治家。言葉に根っこ

2015年07月07日 22時13分38秒 | 一年前
140706 野中広務氏の発言を拝聴・賛同!弱者への限りなく優しい眼差しの政治家。言葉に強い根っこがある!
7月6日(日):俺が最も(唯一?)尊敬する政治家の一人だ! 有難や、有難や。ご長寿をお祈りしています。  野中広務・元自民党幹事長閣議決定は「暴挙」、野中広務氏が批判 集団...
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150706 一年前:140706 マスコミの地図:140704追加部分を独立。結局、皆政府に及び腰の同じ穴の貉。NHK

2015年07月06日 22時10分04秒 | 一年前
140706 マスコミの地図:140704追加部分を独立。結局、皆政府に及び腰の同じ穴の貉。NHK大越も終った。
7月6日(日): 加筆して、7月4日(金)の追加部分を独立させました。俺がとっている朝日新聞はまだ一番マシな方だとわかった。読売は最悪。NHKは完全に病んでいる。政治的中立・公平性...
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150705 判断基準をずらす<誤魔化しの政治>が続いている。NHKとゴロツキ維新が加担している。

2015年07月05日 14時47分34秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
7月5日(日):

 判断基準をずらす<誤魔化しの政治>が続いている。NHKでは、自民党の「安保法案(戦争法案)」が、「憲法違反」であること、国民の過半数が反対し、賛成が少数であること、審議時間が異常に短く、全く議論が深まっていないことを、全く見ないふりをして、安保法案の話し合いの場を設けている。そこでは、議論がかみ合ってるかの如く印象操作が行われ、賛成と反対がフィフティ・フィフティであるかのように偽装される。話し合いが成立していないのに、成立している印象を与える。

 誠実な議論の<質>が、全くずらされた不実な駄弁の<量>によって薄められ、相対化されていく。その結果、強行採決のお膳立てが整えられていく。また、何の進展もない北朝鮮拉致被害者家族の問題が事々しく報じられる。NHKのずるい「一見中立、実は反対意見の相対化・希薄化の印象操作」は見飽きたし、うんざりする。

 一方で、ここにきて、田原総一郎や池上彰さんが、「強行採決は絶対ダメだが、実は背景にホルムズ海峡ではなく、南シナ海での中国軍封じ込め協力の要請を日本はアメリカから受けているのだ」と言い、アメリカからの要請だから、日本政府は断れない状況で安保法案は仕方ないのだ、とにおわせ始めた。この期に及んで、またもや深刻な論点ずらしが行われる。田原や池上が政府から圧力を受けずにうまく泳げている秘密はこの辺りにもあるのだろう。確かに、アメリカの要請はあるのだろう。

 しかし、アメリカの要請を種明かしされても、それだけでは「憲法」と「アメリカの意志」のどちらが優先されるべきなのか、優先されてきたのか、という戦後史の古くて新しい問題が提議されただけである。

 今肝心なのは、安倍政権の独裁的なやり方、手法、「実質的に憲法改正をしたのは俺だ」という一個人(子供無し)の野心・功名心による戦後史を根本的に切り替える戦争法案を強行採決で超拙速に行おうとすること自体だろう。そもそも「憲法」と「アメリカの意志」を対立図式にしたこと自体が、安倍政権の最大の失政であることをなぜ指摘しないのか?

 現段階では、この安保法案ははっきりと憲法違反であり、国民に対する説明不足、過半数の国民の反対、少数の賛成、強行採決という手法に対する強い反発をしっかり指摘して、「まず否決すること」または「採決不可能に追い込むこと」であるのを強く指摘するべきだろう。何が最優先されるべきかは明らかなのに、NHKも、田原・池上も相対化、論点ずらしにばかり熱心で、現政府のあり方・手法の不当性に踏み込まないのは、後世に大きな禍根を残すことになると思うのだ。

 そして、今まさに鵺(ぬえ)のような、自民党予備軍のゴロツキ集団「維新の党」が、審議に応じて、強行採決に加わるという非常に分かりにくい形での自民党への協力をしようとしている。どうして、政治をそんな風に複雑に見えにくくして私利私欲に走るのか。ひどい時代だでは済まされない70年の戦後史の切所に立っている気分だ。


東京新聞【社説】維新「安保」対案 「違憲」立法に手貸すな  2015年7月4日
 維新の党の安全保障法制の独自案は政府案との隔たりが大きく、与党側が法案の実質的修正を受け入れるか否か不透明だ。「違憲」と指摘される政府案の採決に手を貸すだけにならないか、心配だ。
 維新の党はきのう、政府が提出した安全保障法制関連法案の対案となる独自案を自民、公明、民主三党に示し、安倍晋三首相は衆院特別委員会で「党と党でしっかりと議論されることを期待したい」と、与党と維新との修正協議入りへの期待感を表明した。
 維新の独自案は理解できる部分もある。例えば、政府案で「存立危機事態」での行使を認めている集団的自衛権である。
 維新案はこれを認めず、日本有事以外で自衛権の行使ができるのは、日本防衛のために活動する外国軍が攻撃され、日本も攻撃される明白な危険がある「武力攻撃危機事態」に限るとしている。
 憲法で認められた個別的自衛権が行使できる範囲を見直すことで対応しようとしたのだろう。
 個別的自衛権の安易な拡大には反対だが、実際に攻撃される明白な危険を武力行使の要件とすることは、日本の存立が脅かされるとか、国民の生命、自由、権利が根底から覆されるといった政府案の曖昧な要件よりはましである。
 また、外国軍に対する後方支援でも「周辺」という地理的限定や「後方地域」「非戦闘地域」という概念を維持するのも妥当だ。
 政府案を「憲法違反」と指摘した小林節慶応大名誉教授らが「個別的自衛権の範囲内に収まっている」と、維新案を「合憲」と評価していることも首肯できる。
 政府、維新両案の隔たりは大きく、与党側が実質的な法案修正に応じるのは難しいだろう。にもかかわらず、維新との協議に前向きなのは政府案の早期成立に向け、維新から協力を得る狙いがある。
 維新が審議拒否や採決を欠席しなければ、政府案への賛成が得られなくても、与党単独の強行採決という批判は避けられるからだ。

 維新は今国会で、野党が「一生派遣の人が増える」として反対している労働者派遣法改正案の採決に応じ、結果的に、衆院通過に協力した経緯がある。
 憲法学者の多くや、世論調査では国民の過半数が「憲法違反」と断じる政府の安保法案である。
 集団的自衛権の行使や戦闘現場近傍での後方支援という「違憲」部分の修正を勝ち取ることなく、政府案の採決に手を貸すだけであってはならない。



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4 102 佐藤優・斎藤環「反知性主義とファシズム」(金曜日:2015) 感想4

2015年07月05日 02時00分25秒 | 一日一冊読書開始
7月4日(土):  

261ページ   所要時間 4:30    図書館

著者 佐藤優 55歳(1960生まれ) 作家。元外務官僚(ロシア)。
   斎藤環 53歳(1961生まれ) 精神科医。

本書の値打ちは、週刊金曜日という批判精神の非常に高い雑誌による対談がもとになっていて、5月出版という内容の新しさにある。今の今、世間で騒がれている人や事物、世間を騒がしている人や事物について、信頼度の高い二人の評者が、歯に衣着せず本音で論じている。

本書の多岐にわたる内容をまとめるのは不可能だが、記憶に残る印象的なやり取りはたくさんあった。たとえば、
AKBが国際社会では児童ポルノと同一視されTPPに引っ掛かる恐れがあると指摘。
百田某、曽野某らインチキ連中が見事なまでに一蹴され、小林よしのり(大林わるのり)も佐藤優の前から逃げ出したようだ。
AKBを誉めて、村上春樹を叩く宇野常寛のこすっからさを指摘。
村上春樹と河合隼雄の深い関係に疑義が投げられ、
宮崎駿の「風立ちぬ」について、宮崎自身がやたらエクスキューズ(言い訳)ばかりしている。重慶爆撃をした96式陸上攻撃機を登場させる無神経さを指摘。「ふやけたファシズム」として強烈なダメ出しが行われている。宮崎駿を「本当に官僚と似た体質がある」と批判。
大正期の生命主義、宮沢賢治、田中智学の国柱会に注目し、危険性を指摘。etc.

全体として、佐藤優の分厚い教養と確かな基準が光ってしまい、斎藤環はやや受け身にならざるを得ない感じだった。まあ、これはある意味仕方のないことだろう。あの佐高信ですら佐藤優に対しては対等足りえないのだ。対談で佐藤優の向うを張れるのは立花隆と池上彰ぐらいではないか。池上彰については、佐藤優自身が高く評価している。

佐藤優の本はこれまでにかなり読んできたので、再見の部分もかなりあって内容的には理解しやすかった。

・「風立ちぬ」について:佐藤 教養の水準が低ければ感動しますよ。
 斎藤 私は普通に感動したくちですが。
 佐藤 歴史知識がなければ感動します。どこか知らない国の話だと思って観てればいいんですから。要するに、映画を観る人が、どういう知識を持っていて、どれぐらい映画に対して、マイナスの情報を蓄積してるかに依るわけなんですよ。/それこそ、かつて本多勝一さんが言ったように、無意識のうちにどちら側の視座に置くかっていうことです。旧軍が出てきた場合、あるいは、飛行機っていうものが出てきた場合、これを観てる圧倒的大多数の人は「爆撃する側」なんですよ。/略/逆に、「爆撃される」という意識はないでしょう。視座の違いだと思うんですよ。/略/
 斎藤 うーん。ただ、映画を観たあとに高揚感はないと思うんですけど、どうでしょう?
 佐藤 いや、「じわっとした感動」という形で高揚感よりもより悪質なものがあります。「じわっとした感動」には、少なくとも免責作用があると思う。
 斎藤 免責……。加害者としてのわれわれ自身が、免責された気になってしまうという問題でしょうか。
 佐藤 そういうことです。         177~178ページ

・佐藤 免罪するとか、しないとかいうよりも、宮崎駿は知識人だからこういう作品が出てくるんだと思うんです。いくら封印しようとしたって、日本の中では、京都学派的なものは手を替え品を替え必ず出てきます。205ページ
・佐藤:斎藤氏は、ヤンキー政治家がファシズムを展開することはできないと考える。私は、霞ヶ関(官界)で「自分は極めて有能だが、それが組織によって正当に評価されていない」という不満を持つ、能力は低いがヤル気のある官僚がヤンキー政治に利用価値を見だすと、日本でもファシズムが成立すると考えている。その受け皿となる政治的愚連隊もすでに存在している。260ページ

目次: はじめに 斎藤環
第一章 AKB最終原論:橋下批判とパラレル/アベノミクスも宗教/避けられた三位一体/「私のことは嫌いでも……」の解釈/前田敦子は“悪魔”である!?/前田敦子=マリア!?/西洋社会との壁/死生観はどこに/ほか
第二章 『つくる』の解釈に色彩を持たせる:核となる灰田の物/『つくる』の並行世界/クロは雪女的役割/名古屋を舞台にするということ/アカの自己啓発セミナー/ほか
第三章 『風立ちぬ』の「ふやけたファシズム」:百田尚樹とは位相が違う/堀越二郎の縁戚者に映画を見せた/スタジオジブリと零戦の構造/九六式陸攻をなぜ描いたのか/宮崎駿の矛盾の総決算/ほか
第四章 日本にヒトラーは来ない:日本でファシズムが起きるとしたら……/北朝鮮のファシズム/ITがファシズムの障壁に/オタクはファシズムに吞み込まれない/ヤンキーもファシズムに吞み込まれない/ファシズムより恐ろしいもの
あとがき 佐藤優

また書けたら書きます。寝ます。
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150704 日刊ゲンダイ:小沢一郎 安保法案を潰す秘策 全野党が採決に応じなければ自公は強行出来ない

2015年07月04日 23時40分50秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
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150704 河野洋平氏:自民党は改憲・護憲に偏さない。安倍は「保守」ではない。多様な意見を封じ「右翼的」

2015年07月04日 12時25分22秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
7月4日(土):
  保守本流政治家河野洋平氏の言葉は、昔から深い示唆を与えてくれる。立派な政治家の真実の言葉に触れる。
朝日デジタル:(70年目の首相 思想:13)安倍自民、「保守」と呼べるか 河野洋平さんに聞く  2015年7月4日05時00分
 河野洋平・元自民党総裁はハト派・護憲派の代表的存在だ。「保守本流」とは何か、また安倍晋三首相といまの自民党に対する見方を聞いた。
 ――河野さんは宏池会(旧池田派)に所属していました。池田勇人以来、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一と歴代首相を輩出し、「保守本流」と言われました。どんな派閥でしたか。
 「僕は鈴木善幸さんが会長のときに宏池会に入りましたが、夕食会に呼ばれて行くとびっくりした。30人くらいがあっちで固まり、こっちで固まり、税制や財政の議論ばかりしている。そんな政治集団がずっと政権を取り続けるんですが、権力維持のための戦略がほとんどない」
 ――宏池会は「公家集団」とも言われました。
 「だから田中派が宏池会政権を下で支えてきたんですよ。彼らは経済政策の議論より党内抗争と社会党との駆け引きに優れていた」
 ――なぜ宏池会と田中派は「保守本流」と呼ばれたのでしょう。
 「自民党では右側を岸信介さんの路線が走り、左側を三木武夫さんの路線が走ってきた。宏池会と田中派はその間を『本流』と読み、両者の間をごつんごつんと行ったり来たりしながら走ってきたわけだ」
 ――一方、自民党は憲法改正を最大の目的としてきたにもかかわらず、これまで「保守本流」が真剣に取り組んでこなかった、という批判があります。
 「その批判は違うと思う。まず保守合同の歴史をきちんと知る必要がある。吉田自由党は米国占領下の占領政策をうまく整理しつつ、日本の復興を遂げようと官僚や若手の秀才たちを集めた。戦後派の彼らは護憲でいいではないか、と考える。一方、鳩山民主党は公職追放が解除になった戦前の人も集めてもう一度やろうとした。だから、戦前派の彼らは自主憲法制定にこだわった」
 「つまり、自主憲法を主張する人と、護憲を主張する人が一つになったのが保守合同だった。自民党はどちらか一方になるのではなく、常に両者を抱え込んで走ってきた。自民党は自主憲法制定一辺倒の政党でもないし、護憲がメインの政党でもない」
 ――では、いまの安倍自民党を保守政党としてどう見ていますか。
 「『保守』という言葉はあまり似つかわしくない。場合によっては『右翼的』だと思うこともある。保守とは、大多数の理解が得られる中道に近い考え方を穏健に少しずつ少しずつ進み、違っていると思えば、また戻るというもの」
 「一方、右翼的な人たちは急進的にどんどん前に進んでしまう。安倍さんのやり方は多様な意見を封じるようにも見える。保守と呼べないのではないか」

 ――とはいえ、今では宏池会を始め、ハト派の存在感はありません。
 「本音を言うと、一番情けないと思うのが、自民党の中にもう少し元気のいいハトがいて欲しいということ。マスコミは『野党がだらしない』と言うけれど、選挙で負けた人たちにムチを打っても効果が少ない。いまの自民党の中にこそ、ハト派の主張が必要です」 (聞き手=園田耕司)
     *
 こうの・ようへい 1937年、神奈川県生まれ。67年、衆院初当選。76年、自民党を離党し、新自由クラブ結成。自民党復党後、官房長官。93年、党総裁。自社さ政権で副総理・外相。03年から衆院議長、09年政界を引退。
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150703 41万PV超:朝鮮人差別の現実 モランボンのコマーシャルと米倉斉加年(辛淑玉さんの文章)

2015年07月04日 12時25分01秒 | 閲覧数 記録
7月3日(金):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1364日。

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ランキング:日別 6,404位 / 2,215,914ブログ中 /週別 5,596位

良い記事を見つけた。最近、センスの良い内容の記事を連発されている「リュウマの独り言」様から転載します。安倍晋三の鮨友達のアイヒマン曽我豪(朝日新聞)宦官去勢豚島田敏男(NHK)らの権力の犬どもに読ませたい。「おまえらの空威張りの薄汚くて卑しいコラムよりも、こっちの方がはるかにハイセンスで高潔な意味のある言論だぞ。こういう記事をこそ書いて見せろよ!恥を知れ!」と言いたい。

リュウマの独り言朝鮮人差別の現実 モランボンのコマーシャルと米倉斉加年 --辛淑玉さんの文章から--  2015.07.03 
 私の母の時代は 『満州国』があった時代であり、 それ程「我が家」が特殊とは考えないのだが、「シナ人」や「朝鮮人」という言葉をもし使うなら少なくともいくらかの「蔑視感情」を含んで使用されていたと思う。若い方の中で 一部の大人が「日本がアジアを開放するために立ち上がった」、「人種差別をせず、平等にふるまった」というような言説を軽々しく信じて、自分の考えを構築していると、「戦争法案」ではないが、世界の中の『6000対3』のようにどうしてよいかわからない立場に追い込まれる。

 米倉斉加年の文章 (おとなになれなかった弟たちに…) が 国語の教科書に載っているのだが、その彼が 1979年に出演した『韓国企業のCM』について、「読む・考える・書く」というブログにこんなことが書いてある。
                                               「読む・考える・書く」より引用
 名優、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなられた。 米倉さんといえば、「モランボンのジャン」のCMを抜きには語れないと思うのだが、主要メディアの訃報でこれを取り上げたものがあっただろうか? Web上では、かろうじて次の二つが見つかっただけだ。
スポーツ報知(8/28)--読売系--:   食品メーカー「モランボン」の焼き肉のたれ「ジャン」のCMも話題となった。
zakzak(夕刊フジ)(8/27)--産経系--: 食品メーカー「モランボン」の焼肉のタレ「ジャン」のCMなどでお茶の間に親しまれた。                  (必要か所のみ記載)
 米倉さんが「ジャン」のCMに出たのは1979年だ。当時、「朝鮮」を正面に掲げた食品のCMに出ることが巻き起こす嵐は、「話題となった」とか「お茶の間に親しまれた」などという言葉で表せるようなものではなかった。

辛淑玉さんの文章から引用する。
  焼肉のタレといえば「モランボンのジャン」がすぐ思い浮かぶ。スーパーの肉コーナーには欠かせない一品だろう。  そのジャンのコマーシャルには、今では想像もできないほどの産みの苦しみがあった。今から、30年ほど前だと思う。
 当時、キムチは朝鮮人だけが食べるもので、ニンニク臭いとされ、一般のスーパーでは見かけることもなかった。 なにしろ「チョーセン」という言葉を口にすることさえはばかれた時代だ。 まして放送の中ではタブーを超えていたと言ってもいい。 そんな中、「朝鮮の味、ジャン!!」というナレーションと共に、美しい映像がテレビ画面いっぱいに流されたのだ。  私は、その映像に釘付けになった。
 モランボンのコマーシャルは、何度となく放送局から拒否された。 また、「朝鮮」を掲げた企業のコマーシャルに出演してくれる俳優を探すのも困難を極めた。 それこそ、俳優生命の終りを意味するほどの差別感情が社会に蔓延していたからだ。 抜擢されたのは、CMには決して出ることのなかった名優、米倉斉加年さんだった。
 その彼が、30年前、全鎮植氏(注:モランボン創業者)の求めに応じて、朝鮮風のパジチョゴリを着てコマーシャルに出演したのだ。 そのせいで米倉さんが受けた仕打ちは凄まじいものだった。まず、すべての役から下ろされ、メディアへの出演も断られた。仕事がまったくなくなったのだ。朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めである。
 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。 その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。
 米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さんと私と、あなた(私のこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。
 朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。それは今でも変わらない。    
(引用終り)

 差別問題では、受けた側と する側では 認識の度合いが 全く違う。 「差別するつもりは 私にはありません。」という発言で 有名になった 「産経新聞」や「曾野綾子氏」。 それはちょうど このCMが 「話題となった。」「お茶の間で親しまれた」と 後に書いているようなもので、 「差別を受けた側」からの視点は まるでない。 また、 「現実」との乖離 (かいり) もおおきい。


上記、「読む・考える・書く」ブログ(2014-08-30)は、最後に以下のようにまとめられている(もみ、追記)。
日本人である米倉さんの、「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という言葉は、植木等さんの父親、徹誠(てつじょう)さんが、「ヒトシ、俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ」と語ったという話を思い起こさせる。これらの言葉は、マイノリティのみならず、マイノリティの側に立とうとする者にまで向けられれるこの社会の異常な敵意に対して、どのように向き合わなければならないかを教えてくれている。
 改めて、米倉さんのご冥福をお祈りします。安らかにお休みください。
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150703 つぶやき:もはや安倍と北朝鮮はお友達なの?お約束の「北朝鮮拉致被害者事件報道」が始まった。

2015年07月03日 22時15分58秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
つぶやきです。

 NHKのニュース9で、何の進展もない「北朝鮮拉致被害者事件」が冒頭で仰々しく報道された。自民党に対する野党の追及が強まるこのタイミングでまたもやである。北朝鮮について歯切れよく中身のないコメントを吐く安倍の雄姿?丁寧に写し出すNHKを眺めながら、「北朝鮮も実は安倍晋三のお友達なのではないか? お金でももらってるの?」と思ってしまう。そう思わせるほど安倍政権は北朝鮮をしゃぶり尽くすように政治的に最大限有効に利用している。見え見え過ぎて浅ましい。キム・ジョンウン体制はあと3年ぐらいらしい。

 そのあと、抱き合わせのように、安倍晋三の国会謝罪が報じられ、憲法違反の「安保法案」報道がなされ、もはや憲法学上否定され切っている「砂川判決」を根拠とする自民党案が恥知らずに取り上げられるが、いかにも野党の反対意見と今対等に話し合われているかのごとく、決着がついていないかのごとく印象操作が行われて報道されている。

 安倍の走狗NHKは期待を裏切らない。 
↓“よもつへぐい”した宦官去勢豚、権力の腐れ犬ども↓絶対に赦さない!特に朝日新聞の曽我豪
 
日刊ゲンダイ安倍首相が“威圧問題”に居直り「萎縮するのは報道機関の恥」 2015年7月3日
 安倍首相は、自民党の勉強会で報道機関を威圧する発言が相次いだ“事件”の後、初めて衆院平和安全法制特別委員会に出席した。首相は、民主党の枝野幸男幹事長の追及に対し「最終的には(党総裁の)私に責任がある」と認めた。
 また枝野氏が「安倍政権の全体としての姿勢が報道機関に萎縮効果を生じさせているのではないか」とただしたところ、「本当に萎縮しているのであれば、報道機関として恥ずかしいこと」などと居直った。
 さらに枝野氏は、報道の自由の問題に関連して「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」などと発言した作家の百田尚樹氏が安倍政権が選任したNHKの経営委員だったことを取り上げ、任命前に首相が、「百田氏がこうした考えを持ち、発言をする人物として知りながら選任したのか」と追及。
 これに対し、首相はノラリクラリと要領を得ない発言を繰り返したため一時、審議が中断し、結局「発言は選任後のことであり、選任時にはわかりようがない」などと追及をはぐらかした。

※とりあえず、<無知の無恥>は最強だ。何を言われても、言い返すことができる。そのたびに顰蹙を受けてることにも気がついていないのだから。

ろうせいのりちょうははくがくさいえいてんぽうのまつねんわかくしてなをこぼうにつらねついでこうなんいにほせられたがせいけんかいみずからたのむところすこぶるあつくせんりにあまんずるをいさぎよしとしなかった
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150701一年前:140701憲法違反の集団的自衛権閣議決定。確認!自民党獲得票数2012衆院選26%2013参院選22%

2015年07月01日 22時03分16秒 | 一年前
140701 憲法違反の集団的自衛権閣議決定。確認!自民党獲得票数、2012衆院選26%、2013参院選22%
7月1日(火):憲法違反の集団的自衛権が閣議決定された。北朝鮮の拉致問題交渉のニュースがお約束のように報道番組の二番手を占めている。良くできているなあ。集団的自衛権に積極的な外...
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150701 一年前:140630 日本のマスコミTV報道はほぼ死んでいる。特にNHKと読売はほぼ大本営発表に

2015年07月01日 21時56分39秒 | 徒然・雑感
140630 日本のマスコミTV報道はほぼ死んでいる。特にNHKと読売はほぼ大本営発表に堕している。
6月30日(月):昨夜ネットで見つけた東京の集団的自衛権反対の焼身自殺事件について、TVで全く報道がない。放送コードがある云々の言い訳はあるかもしれないが、ネットでこれだけ話題...

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150701 内田樹師匠:言論の自由について再論(抜粋)。沖縄と野中弘務先生。

2015年07月01日 21時09分14秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
7月1日(水):
内田樹の研究室言論の自由について再論(抜粋) 2015.07.01 
  今問題になっているのは、「国民は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう」という「国民の叡智」に対する信認の存否である。
  いくつかの新聞を挙げて「つぶれた方がいい」と言った人間はその新聞の読者たちに向かって「おまえたちは新聞に騙されているから、間違った判断を下すだろう」と言っているのである。
 「私が代わりに判断してやるから、お前たちは私が『読んでもよい』というものだけ読んでいればいい」と言っているのである。ここに「理非の判定を下す人々」への敬意を見出すことはむずかしい。
  「理非の判断を下す人々」の判定力を信じない人、「自由な言論が行き交う場がなくてはすまされない」とは考えない人たちがいる。それはしかたがない。けれども、彼らが「言論の自由」を汚す権利を「言論の自由」の名において要求することを私は許さない。

東京新聞【私説・論説室から】沖縄を、深く考えるには  2015年7月1日
 政治、外交・安全保障担当なので、沖縄に関する社説も書いているが、新聞記者を始めた当初から、沖縄に関心があったわけではない。深く知りたいと思ったのは、自民党幹事長など要職を務めた野中広務氏の影響だ
 野中氏は当時、党内最大派閥のキーマンでもあり、政治部記者だった筆者は野中氏の議員宿舎を夜な夜な取材のため訪れていた。政局の裏話などさまざまな話の中で、今でも強く印象に残っているのが沖縄の話である。
 米軍普天間飛行場を見下ろす嘉数の丘は沖縄戦有数の激戦地であり、京都府出身者が最も多く犠牲となったこと、この丘に戦没者を慰霊する「京都の塔」を建てるために訪れた際、タクシーの運転手がサトウキビ畑の中で車を急に止め、自分の妹は旧日本軍に殺された、と肩を震わせて泣き崩れたこと、など。
 野中氏と出会わなければ、沖縄の苦難の歴史や、過重な米軍基地負担について深く考えることもなかっただろう。残念なのは、自民党内で、こうした先輩議員の経験や見識が受け継がれていないことである。
 自民党若手の会合で、沖縄の地元新聞二紙を批判する意見が出て、作家の百田尚樹氏が「二紙はつぶさないといけない」と発言しても反論は出なかったという。党執行部は会合の主催者を処分し、発言者を厳重注意にしたが、若手議員にはまず大先輩の野中氏を招いて話を聞くことを勧めたい。 (豊田洋一)
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150701 集団的自衛権:閣議決定以前に立ち返って、法案を撤回した方がいい。

2015年07月01日 19時28分28秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
7月1日(水):

京都新聞【社説】集団的自衛権  根本の議論が足りない
 安倍政権が集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしてから、きょうで1年になる。
 本来、必要なはずの憲法改正の手続きを経ずに解釈を変更し、国会審議もほとんどないままの決定だった。今国会で審議中の安全保障関連法案は憲法違反だとする声が憲法学者や内閣法制局の元長官から噴出しているが、問題の始まりが昨年7月1日の強引な閣議決定にあったことをあらためて確認したい。
 安倍晋三首相は「国際情勢に目をつぶって従来の解釈に固執するのは、政治家として責任放棄だ」とし、「決めるときには決めることになる」と今国会での成立へ強気の構えをみせている。
 だが政府は安保法案を「合憲」とする説得力のある説明ができていない。むしろ違憲の疑念は深まる一方だ。共同通信などの世論調査でも過半数が違憲とみている。
 ごり押しで成立を図れば、国民の憲法への信頼は崩れ、法治国家の土台を揺るがすことになりかねない。政府がなすべきことは、異論に耳を傾け、国民が納得のいくよう説明を尽くすことだ。それができないなら、閣議決定以前に立ち返って、法案を撤回した方がいい。
 そもそも、閣議決定に向けた進め方自体が乱暴だった。首相は人事権を使い、それまで行使容認ができないとしてきた内閣法制局の方向を変え、長年続いた憲法解釈を変えた。
 解釈変更の根拠とした1972年の政府見解にしても、必要最小限度の「自衛の措置」は認めても集団的自衛権の行使は否定している。なのに「安全保障環境の根本的な変容」を理由に同じ論理を使用し、真逆の結論を導きだした。環境で憲法解釈を大きく変えられるなら法治国家は人治国家に近づいていく。
 日本が攻撃を受けて発動する個別的自衛権に限った従来の専守防衛の解釈も広げ、武力行使の新3要件を満たせば、中東・ホルムズ海峡の機雷掃海のような集団的自衛権行使まで専守防衛にあたるとした。これなどは言葉の概念自体を変えるような解釈変更だろう。
 集団的自衛権の行使は、現実問題として本当に必要なのかという疑問も消えていない。政府が典型的な事例として持ち出す日本近海の米艦防護なども、従来の個別的自衛権で対応できるとの見解は根強くある。
 集団的自衛権の行使をめぐっては、根本的な議論がまだまだ足りない。 [京都新聞 2015年07月01日掲載]

日刊ゲンダイ機雷掃海「個別的自衛権で可能」 横畠法制局長官は大丈夫か  2015年7月1日
 衆院特別委員会で行われている安保法制の審議で、横畠裕介内閣法制局長官の答弁がブレまくっている。安倍首相が集団的自衛権の行使容認の“典型例”としている「ホルムズ海峡での機雷掃海」と「朝鮮半島有事での米艦防護」の事例について、一転、「個別的自衛権でも対応可能」と言い出したのである。
 ホルムズ海峡の機雷掃海については、26日の民主党・岡田克也代表の質問に対する答弁だ。横畠長官は「我が国に対する武力攻撃の意図があるならば、我が国に対する武力攻撃そのものになりうる」と説明。そのうえで「個別的自衛権の発動によって機雷を処理することはありうる」と明言した。
 そして29日、民主党・長島昭久議員に朝鮮半島有事の際、公海上で警戒する米艦に対する攻撃への対応について問われると、こう答えた。
「日本への武力攻撃と認定できるのであれば、個別的自衛権で対処できる」
 ちょっと待って欲しい。この2事例は、安倍首相の主張する集団的自衛権行使のキモだ。米艦防護は、昨年7月に安倍首相が解釈改憲によって集団的自衛権を“解禁”した際の記者会見で、母子の絵が描かれたボードまで作って説明した。ホルムズにしても安倍首相自ら執拗にこだわってきた。
 いずれも「個別的自衛権で対処できない」と言って、政府はわざわざ「新3要件」なるものまで作り上げたのだ。ところが横畠長官が言うように、この2事例が個別的自衛権で対応できるのなら、平和憲法を踏みにじってまで、集団的自衛権の行使を容認する必要などないじゃないか。
 慶大名誉教授の小林節氏がこう言う。
「長い歴史で見れば、内閣法制局は集団的自衛権を解釈改憲で認めることに抵抗してきた。しかし、一昨年、外務省出身の小松一郎長官の就任により法制局内部で大論争となり、当時次長だった横畠さんは抵抗側にいたものの、長官の死去により昇格すると、政権に言い含められてしまった。しかし、ホルムズ海峡の機雷掃海も日本人母子の乗った米艦を防護するのも、憲法改正せずに集団的自衛権で行うのは無理がある。横畠さんは追い詰められていくうちに、法律家としての当たり前の“知性”が出てしまったのでしょう。『法の番人』は『政治の番犬』ではない。もし私が横畠さんの役目を強いられたら、辞めるか、気が狂いますよ」
 本意と違う答弁を続けているうちに、横畠長官は“錯乱”して、安倍首相と異なるマトモな答弁をしてしまったのか。「フグは肝を外せば食べられる」「青いバラは、その後開発された」とか、法制局長官とは思えぬ例え話で乗り切ろうとしていたが、無理を重ねすぎた。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)