もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

140510 「行使対象国 限定せず」は、国民を愚弄する吹っ掛け商法!安倍極右自民よ、恥を知れ!

2014年05月10日 12時49分48秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月10日(土):



9日(金)の朝日朝刊一面に「行使対象国 限定せず 集団的自衛権、政府方針」と出ていた。これって、「アメリカ以外を守るためにも戦争やります」ってことだろう。制限を青天井にして見せたわけだ。

安倍晋三の下で極右化した自民党は、国策の最も大事な局面で、国民に対して<橋下徹的な小手先の虚仮(こけ)脅し>をして見せようとしているのだろう。「集団的自衛権の対象国の制限を一切なくすぞ!」と国民を脅かしておいて、最終的には「アメリカに限定」して確実に法案を通す。そして、集団的自衛権反対の声に十分配慮したような振りをして、公明党にも同意し易い地ならしをしましたよ、ってアリバイを与えるつもりだろう。その実、当初の議論に全く「何も配慮していない」のが実態だ。

国民や公明党が反対しているのは、あくまでも戦争容認による<人殺し>に反対している」のであり、集団的自衛権<そのもの>に対して反対している」のだ。

相手に対して、すごく高い値段を吹っ掛けて、少し値引きしましたから、安くなったでしょ、というのは本当に薄っぺらくて安っぽいハッタリでしかない。安倍極右自民が、いかに国民を馬鹿にして軽んじているかの証拠以外の何ものでもない。国民の生命・財産にかかわる国策の最も誠実であるべき局面で<下劣な吹っ掛け>を仕掛ける安倍晋三のおつむの弱さと自民党の不誠実さを如実に象徴している、と観るべきである。

昨日、仕事の帰りに寄った書店で「日本人を幸福にしない新システム 安倍政権「4つの不幸」」という週刊ポスト掲載のオランダ人政治学者ウォルフレンの記事を立ち読みした。要するに当り前のこととして「安部極右政権は、中・韓との関係を壊し、意に反し対米従属を強め、しかも独り善がりのためにどこの国からも感謝されない。官僚支配を強めただけで、人間を幸福にしないシステムを強化してしまっただけである。J.ブッシュ・ジュニアと同じ、安倍は<裸の王様>である。当然、日本人は、そのことに気づかねばならないが、それは大きな不幸としか言えない」ということだった。

外国人に指摘されるまでもなく今の安倍極右自民が「裸の王様」であることは明白だ。歴史は、前進するが、それは一直線ではない。行きつ戻りつ揺らぎながら前に進むのだ。「戻り」が大き過ぎる時には、前進を大きく遅らせ歪めてしまうだろう。日本は、もう一度戦争や原発事故を経験することになるのかもしれない。少し真面目に考えていれば未然に防げたであろう破滅を経験するのかもしれない。

「国民の生活が第一」は、一政党の名前ではない。本来あるべき政治方針だ。もう一度、原点に戻って野合でない中道・リベラル軸を再結集すべきだ。


※今、ネットで見つけました:【週刊ポスト〈緊急特別寄稿〉カレル・ヴァン・ウォルフレン この国の権力がいま突き進んでいる 「日本人を幸福にしない新システム」安倍政権 「4つの不幸」】
この男は国民の幸福より先に「総理としての幸福」を追い求めている
1)祖父を越えようとするほどその功績から遠ざかる総理自身の不幸
2)愚かな坊ちゃんリーダー、ブッシュJrと相似形の不幸
3)改憲論者すら違和感を持つ「軽薄すぎる解釈改憲」という不幸
4)「日本人を不幸にするシステム」をさらに強化しようという最大の不幸

この記事の全文は、「阿修羅」という掲示板(http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/288.html)で読むことができます。



<「美味しんぼ」問題>前双葉町長が批判 石原環境相発言
毎日新聞 5月10日(土)0時2分配信
 東京電力福島第1原発を訪れた主人公らが鼻血を出す漫画「美味しんぼ」の描写で小学館に抗議が寄せられている問題を巡り、作品に実名で登場した前福島県双葉町長の井戸川克隆さん(67)が9日、東京都内で記者会見し、「実際、鼻血が出る人の話を多く聞いている。私自身、毎日鼻血が出て、特に朝がひどい。発言の撤回はありえない」と述べた。石原伸晃環境相が同日作品に不快感を示したことについて「なぜあの大臣が私の体についてうんぬんできるのか」と批判した。

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3 099 池内了「現代科学の歩きかた」(河出書房新社;2013) 感想5

2014年05月06日 01時49分44秒 | 一日一冊読書開始
5月5日(月):

292ページ  所要時間 4:00   図書館

著者69歳(1944生まれ)。宇宙物理学者。

久しぶりの理科系の著者の本である。本書を読むにあたって、まともに読むと読み終わらない。今回も1ページ30秒の<縁結び読書>として取り組んだ。

3 007 池内了「科学の考え方・学び方」(岩波ジュニア新書;1996) 感想5」の著者である。その時、「読んでいて不愉快ではなかった。良識の書である。著者は、現代(当時20世紀末)を科学にとって大きな変動期として捉え、科学者としての倫理観について、半ばため息をつきながら、熱弁する。<人間の顔をした科学者>である。福島原発事故の後、我々の前に湧いて出てきた東大・東工大系の<顔の無い>原子力学者たちとは対極にいる。/「現代の科学をめぐる課題の答えは、既にすべて本書中に書かれている!」」と俺は記したが、今回の読書も著者に対する信頼は全く揺らがなかった。言葉に血の通った<良識ある科学者の知見の書>であった。

本書は、富士ゼロックスの宣伝紙『グラフィケーション』に掲載された科学エッセイを中心に様々なテーマで編集された本である。

疑似科学としての原発:原発の場合、略、最初は科学的な診断を行っていたのだが、手抜きをしても何事も起こらなければそれで万全であると誤解し、手抜きは拡大していくものなのだ。そこにおいて疑似科学に転じるのである。略。地震と津波に襲われる日本に54基もの原発を建設してきたこと自体が、安全神話という共同幻想に乗せられた疑似科学としか言いようがない。安全を標榜してきた原子力ムラの人間の非力さを見れば、まともな科学者とは思えない。略。/福島の原発事故に関わるすべての側面を洗い出し、そのひとつひとつについて必要な改善策を明らかにしない限り、原発の安全性を信用する手懸りがないとないと言うべきなのである。そして、その手懸りがない状態のままであれば、やはり疑似科学としての原発にとどまらざるを得ないのではないだろうか。72~74ページ

科学の不正事件:相変わらず、データの偽造や捏造をする科学者の不正事件が起こっている。一つのパターンは、それなりに業績を挙げてきた教授と若い弟子の助手(「助教」)の組み合わせである。教授は金集めに忙しくて実権を細かく点検する暇がない。そこで、目をかけてやった助教に一切を任せてしまう。助教は、ふんだんに金がつかえてハッピーかと思いきや、そうでもない。自分が考えたテーマでなく、教授から命じられたテーマだから面白くもないからだ。論文を書いても教授の業績にはなるが、助教は手伝いをしただけとしか受け取られない、ということもある。その上、教授には早く結果を出せと迫られる。多くの金を投じたのだから、必ず成功しなければならないという強いプレッシャーも受ける。ところが、実験が巧くいかない。そこで思い余ってデータの偽造という禁じ手に手を付けるというわけだ。教授は、なにしろ忙しい身だし、もはや実権をしなくなったものだから、細かなチェックができなくなっている。結果が出たことだけで満足して論文を発表してしまう。不正を行ったのは助教の方だが、実は暗黙のうちに教授が唆していると言えるかもしれない(一回だけでは偽造がばれることが少なく、味をしめた助教はこれを繰り返して墓穴を掘ってしまうのだ)。/寒々とした光景だが、経済論理が罷り通り、競争原理に追い回されている大学においては、このような研究現場が当り前になっているのである。78~79ページ  *2009年のエッセーであるが、最近の理研を巡る事件の背景を垣間見するようで非常によく分かる内容だ。他でもそうだが、著者の言葉には、歳月により風化しない真実がある。

・今回の原発事故でクローズアップされたのは、いわゆる原子力ムラの実体であった。ひたすら原発は安全という神話を振りまくとともに、少しでも原発に批判的な人間がいれば集中的に攻撃を加え、ジャーナリズムに圧力をかけて報道させないようにした。彼らは原発を推進することのみを自らの社会的責務と考えていたのである(略、現在進行形として受け取って頂きたい)。114ページ

・著者は<文理融合の人>として、寺田寅彦を高く評価している。寺田寅彦には、発展させれば「アポトーシス」につながる発想・気付きがあった。また、俺が敬愛してやまない故桂枝雀師の「笑いとは緊張の緩和である」という考え方を、実は寺田寅彦の受け売りだと指摘、寅彦は「笑い」と題するエッセイで、笑うという現象の心理学的側面をアレコレ談義した後、「断続的緊張弛緩の交代が、生理的に「笑い」の現象と密接な類似をもっている」と述べている。天才であり、稀代の勉強家でもあった「枝雀は、いつか読んだ寅彦のエッセイを知らず知らずのうちに取り込んでしまったのではあるまいか」と指摘している。これだけでも俺には、本書を読んだ甲斐があった。良い勉強になった。桂枝雀師と寺田寅彦(その先には漱石がいる!)が繋がったのは、興味深くも爽快な驚きであった。   139~140ページ

ガリレオ裁判について:ガリレオの屈伏によって、幽閉中のガリレオの著作に象徴されるように、科学はその純粋性が守られることになったのだが、科学は社会との関係を断ち切り、権力が都合よく利用できるものとなったことも事実だろう。科学者は権力の庇護の下で自由な研究に勤しめるようになったのだが、権力の命令を拒否することもできなくなったのだから。いざ戦争となれば科学者は愛国者となることを強要されるのである。/科学と社会の関係を考え直す機会が増えた現在、ガリレオがとった行動を今一度見つめ直すことが必要なのではないだろうか。180ページ

・高学歴ワーキング・プア:ポスドク、非常勤講師一週間1コマ=2万5000円。契約学芸員の過酷。

*他にもたくさんの科学を巡るさまざまな話題や知見を正直に自然体で易しく教えてもらえる読書になった。俺は、この著者が好きである。
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140504 閲覧23万超えました。雁屋哲氏を支持!ブログ転載。今の日本は異常!原子力ムラに反対!

2014年05月05日 16時49分38秒 | 閲覧数 記録
5月4日(日):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から939日。

アクセス:閲覧 260 PV /訪問者 151 IP

トータル:閲覧 230,100PV /訪問者 96,239IP

ランキング:日別 14,657位 / 2,015,737ブログ中 /週別 15,190位

今の日本は、戻れない坂道を転がり落ち始めている。このままでは本当に戻れなくなってしまう。行き着く先は、原子力産業と武器輸出産業の産軍複合体に絡め取られて牛耳られ、貧困・格差と憎悪・差別に支えられた好戦的国家で、言論・表現の自由を封じられ、思想・良心の自由も失って、人間を粗末に扱う社会で窒息しそうになりながら生きていくことになるだろう。これではオーウェルの「一九八四年」と同じだ! <憲法改悪>反対! <集団的自衛権>という戦争・殺人容認反対! 原発再稼働反対!

民主党のリベラル勢力は<第二自民の野田・前原・長島ら似非「現実的」保守>勢力と縁を切って、早急に<「護憲」の第三極>結成に向かって再出発せよ!できなければ消えちまえ!
「131206 所感:第二次安倍晋三内閣は第二次山県有朋内閣の亡霊、日本近代史上最悪の疫病神。」、「131207 自民党のナチス化。 「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」」
を読んで下さいm(_ _)m。

※「美味しんぼ」原作者の雁屋哲さんの常識的な言論発信が、原子力ムラの力で封殺されようとしている。今の自民党政府は、言論・表現の自由を守ることを、わざと怠る未必の故意(それ以上かも…)によって原子力ムラに大きく協力している。雁屋哲氏(72歳)を応援するために、「雁屋哲の今日もまた」ブログを転載する。

2014-05-04
反論は、最後の回まで,お待ち下さい

「美味しんぼ 福島の真実篇」、その22で、鼻血について書いたところ、色々なところで取り上げられてスピリッツ編集部に寄れば、「大騒ぎになっている」そうである。
私は鼻血について書く時に、当然ある程度の反発は折り込み済みだったが、ここまで騒ぎになるとは思わなかった。

で、ここで、私は批判している人たちに反論するべきなのだが、「美味しんぼ」福島篇は、まだ、その23,その24と続く。
その23、特にその24ではもっとはっきりとしたことを言っているので、鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。
今まで私に好意的だった人も、背を向けるかも知れない。
私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。
真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか。
「福島は安全」「福島は大丈夫」「福島の復興は前進している」
などと書けばみんな喜んだのかも知れない。
今度の「美味しんぼ」の副題は「福島の真実」である。
私は真実しか書けない。
自己欺瞞は私の一番嫌う物である。
きれい事、耳にあたりの良い言葉を読み、聞きたければ、他のメディアでいくらでも流されている。
今の日本の社会は「自分たちに不都合な真実を嫌い」「心地の良い嘘を求める」空気に包まれている。
「美味しんぼ」が気にいらなければ、そのような「心地の良い」話を読むことをおすすめする。
本格的な反論は、その24が、発行されてからにする。

雁屋 哲


問題なのは、鼻血と放射能の因果関係ではない。一方で、福島の避難民に対して未必の故意で<棄民>化を許している連中(政治屋・御用学者・御用評論家・マスコミ・産業界 etc.)が、単に取材に基づく実体験を記しているに過ぎない内容にだけ思い出したように、「不正確だ」、「偏見や差別を助長する」、「風評被害を助長する内容ではないか」とお為ごかしに喰いついて封じ込めようとする<風通しの悪いその行為自体>である。取材による実体験を、実体験として表現して何が悪いのか??? そっちの方が、よほど問題であろう。
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3 098 山本博文「歴史をつかむ技法」(新潮新書;2013) 感想4⇒5

2014年05月05日 16時20分38秒 | 一日一冊読書開始
5月5日(月):

255ページ  所要時間 7:50  アマゾン589円(332円+送料257円)

著者56歳(1957生まれ)。東京大学史料編纂所教授。

昨年秋書店で立ち読みして以来、恋焦がれていた本である。アマゾンで古本の値下がりを日々指折り数えて待っていた。しかし、送料を含めた実質値段は、遅々として下がらない。図書館で予約しても、気が遠くなる順番待ち状態である。本屋の店先で何度手にしただろう。結局半年で我慢し切れず、4月下旬に発作的にアマゾンに発注した。そして、待望の読書となったはず…。

不幸な出会いだった。読み始めたときの印象が、「いまいちしょうもない。恋焦がれていたのに、肩透かしやなあ。言いたい放題の割には言葉足らずで、あまりにも疎漏な話の進め方だ。特に通史がひどい、これじゃあ偉い学者先生の無責任な鼻歌を聞かせられてるようなもんだ。実証主義的史料批判を掲げる割には、自説を語るときは、説明が足りなくても、一言コメントをする(当然か…)。誤字「班田収制」「東アジア艦隊司令長官ペリー」も気になる。

特に、自説を語るときの自分への甘さが気になった。
・邪馬台国論争は所詮『魏志倭人伝』のみによるのだからよほどの発見がなければ決着しない。って、ほんとかよ。高地性集落、年輪年代法による古墳時代の前倒し、纏向遺跡の種々の大発見などどうして無視して偉そうに断言できるんだ。
・足利義満が、天皇になろうとしていたという議論は、今や研究者のほとんどが否定している。って、やっぱり変だろう。義満を太政天皇と観る当時の公家政界のあり方を永原慶二さんをはじめ、多くの研究者が指摘してきただろう。どうしてそれを、たった一言で否定できるんだ。東大の先生はそんなえらいんか。
・信長と朝廷の蜜月関係は、本能寺の変が起こらなくても続いていた。って、それこの前読んだ「3 086 本郷和人「戦いの日本史 武士の時代を読み直す」(角川選書;2012)」で、「信長は天皇を必要としなかった。信長があと5年生きていたならば、日本の天皇は深刻な危機を迎えたのではないか。220ページ 」って書いてあって、俺自身は疑義を持ったが、本郷先生も東大の先生で中世史の専門家だ。著者は、一言コメントで済ましたのは、やはり疎漏の責めを負うだろう。

全体に、歴史概論を少しでも面白く語ろうとする著者の思いが、本書を待ち焦がれて手にした俺の思いから見て、完全に空振りに見えてしまったのだ。ハードルを上げ過ぎていたので、出会いの印象が最悪になってしまった。正直「この程度の内容なのかよ…」って思いになってしまい、追い打ちをかけて誤字まで発見して、「何なんだよ、高い金払ってんだぞ!」となって、感想3になっていた。

しかし、付箋をして、線を引きながら(自分の本だから!)長い時間かけて読み終わってから、もう一度40分ほどかけて見直すと、まあそれなりのレベルであることは間違いない。正統派の学者先生なので当然だが、熱さには欠けるが、それなりに受けも狙って良心的に書かれた<良識の書>である。待ちかねた期待感が大き過ぎたために、その落差に苦しんだが、「それなりの良い内容の本である」ことは間違いない。ここは冷静になって、感想4とした。まあ高い身銭を切って買ったことも後悔はない。その程度の値打ちはある。しかし、それ以上でもない。ぼちぼちの買い物だったということで、チャンチャン。ウーン…、でもなあ…冷静になれば、やっぱり感想5を付けたい気持ちもちょっと出てきたなあ…。まあ文句言いながらも、いろいろ考えさせてくれて、楽しめたしなあ…。やっぱ感想5に引き上げます!

・私は、歴史的思考力とは、現代に起こる事象を孤立したものとしてではなく、「歴史的な視野の中で考えていく」ということだと考えています。251ページ
・歴史を学べば、視野が飛躍的に広がることになり、物の見方が豊かになります。略。歴史的思考力とは、人生を豊かにする教養になるのだと思います。歴史を学ぶ最大の効用は、まさにそこにあるのではないでしょうか。252ページ

目次:はじめに
序章 歴史を学んだ実感がない?
なぜ歴史本ブームなのか/なぜ歴史を学びたいのか/なぜ歴史がつかめなかったのか/歴史用語が混乱を誘うのか/教科書は信じてよいのか/いかにして学べば良いのか
第一章 歴史のとらえ方
1 歴史用語の基礎知識:鎌倉時代に「幕府」はあったか/天皇号のいろいろ/「日本」はいつ成立したか/用語確定の難しさ/「鎖国」の由来
2 歴史学の考え方:歴史は科学である/裁判に例えて考える/歴史研究者のスキル/否定された「桶狭間」奇襲説/時代の観念/時代の正義
3 歴史イメージと歴史小説:時代小説が描くもの/時代考証を楽しむ/時代小説と歴史小説の違い/史実と司馬作品/小説家の歴史家化/歴史小説と歴史学との違い/研究と小説の共存
第二章 歴史の法則と時代区分
1 歴史に法則はあるのか:「歩み」と「進歩」の違い/進歩史観に対する懐疑/人類史と自然法則
2 「時代」とは何か――日本史の場合:時代区分の意味/大きな時代区分/政権所在地による時代区分
3 文化史の時代区分:古代の文化/中世の文化/近世の文化/近代の文化
第三章 日本史を動かした「血筋」
1 ヤマト朝廷とは:邪馬台国論争/出土した鉄剣の意義/「直系」と血筋のルール/聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか/中央集権化と血筋の争い/壬申の乱の決め手
2 仏教と政争の奈良時代:律令制と遣唐使/「日本史」の始まり/政争と天皇の意向/歴史を動かした執念/泣くよ坊さん、平安遷都
3 摂関政治と院政:摂政・関白と令外官/藤原氏の陰謀なのか/天皇親政と皇国史観/関白にならなかった藤原道長/院政はなぜ始まったのか/私兵としての武士と平氏政権
第四章 日本の変貌と三つの武家政権
1 鎌倉幕府と天皇:平氏の滅亡と幕府の成立/鎌倉幕府の政治機構/源氏将軍の断絶と承久の乱/北条氏の権力掌握/二つに割れた天皇家/鎌倉幕府の滅亡
2 弱体だった室町幕府:建武の新政と三つ巴の戦乱/室町時代の始まり/室町幕府の政治機構/応仁・文明の乱と下克上/戦国大名と朝廷
3 織豊政権の天下統一:大航海時代と日本/東アジアの国際情勢/鉄炮とキリスト教の伝来/将軍義昭と信長包囲網/近世はいつ始まったか/信長と朝廷の良好な関係/朝廷が頼りにした秀吉/関白政権の特色/秀吉の「唐入り」構想
4 江戸幕府と徳川の平和:家康の覇権/江戸幕府の政治機構/上層武士と官位制度/「委任論」という両刃の剣/ペリー来航と幕府の倒壊
5 明治維新と日本の近代:廃藩置県と身分制度の撤廃/土地制度と士族の反乱/戦争が相次いだ近代日本
終章 歴史はどう考えられてきたか
1 世界史と日本史の理論:歴史理論の変遷/アナール学派の歴史学/「網野史学」の誕生/中世社会史ブーム
2 「司馬史観」と「自由主義史観」:「司馬史観」とは何か/的外れな批判
3 歴史を学ぶ意味:歴史から教訓を得る/「if」はなぜ禁物なのか/歴史に求められているもの/一番大事なのは歴史的思考力
おわりに
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140502 高校生に教えられた。戦後民主主義の破壊は、憲法「改正」ではない、憲法「改変」だ!

2014年05月03日 00時54分53秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月2日(金):

いま目の前で進んでいる安倍極右政権による戦後民主主義の破壊を<未曾有の悪夢>としてボー然と見過ごしている日々だったが、今朝の朝日新聞朝刊に掲載された高校生の投稿に、目を開かされた。俺は今まで、安倍政権の憲法破壊を「(間違った)憲法改正」に反対と書きながら、大きな違和感がぬぐえなかった。断じて「改正」ではない!、と思いながら適当な言葉が浮かばず、「改正反対」と叫ぶことにも抵抗感があって、批判の勢いがどうしても出なかった。しかし、高校生の彼が「改正」ではなく、全く違うものへの「改変」と表現すべきだという指摘には、目から鱗が落ちた気がした。まさにその通り! 安倍極右自民が進めているのは、憲法を全く違うものに「改変」しようとしているのだ!

憲法の「改変」は、この国の形を好戦的な全く異質な国に変える行為であり、まさに戦後民主主義の破壊だ!俺も今後「憲法改変」という言葉で反対していこうと思う! 今どきの高校生もなかなか捨てたものではない。勉強させてもらいました。有難う。
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3 097 石井光太「世界の美しさをひとつでも多く見つけたい」(ポプラ新書;2013) 感想5

2014年05月01日 01時44分18秒 | 一日一冊読書開始
4月30日(水):

284ページ  所要時間 3:10

著者36歳(1977生まれ)。

今日は読めないと思ったが、返却日が迫ってるので無理に読むことにした。読み始めは、今回はいまいち感想3かな、と感じていた。読み進むうちに感想4と変わった。読み終わり直前に「少し甘いけど、感想5を付けたい気分だ」ということで、感想5になった。

確かに俺はこの著者に甘い、と思う。理由は明白だ。ルポルタージュ作家としての心根が良い。読みやすい文章、対象に対する共感力、優しさ、汲み取ろうとする意思の強さ、に俺の感性が納得し、満足させられるからだ。要するに、著者の作家としてのスタンスの確かさを信じられるということだ。

本書は、作家デビュー10年目を迎える著者の半生記とでもいえる内容で、前半は子どもの時から、家族のこと、作家を志した経緯、大学生活、パキスタン・アフガニスタン旅行から始まる世界放浪、旅行費捻出のための検査会社と風俗業を結ぶ歩合制の営業活動、そしてタイ・ベトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマー取材旅行、『物乞う仏陀』出版。

後半は、その後今日までの作家活動と諸作品にまつわる話が展開されている。後半は、良い言葉が多かった。書きとめたくなる言葉の数々に付箋をしながら、徐々にだが、確実に本書と著者に対する評価が高まっていった。

取材対象の<小さな神様>と<小さな物語>を大切にしたい。きちんと伝えたい。という著者の感性には共感しないわけにはいかない。

目次:第1章 私が作家になったわけ/第2章 生命力を探す旅/第3章 小さな神様の発見/第4章 神様から物語へ/第5章 現場に引き寄せられて/第6章 感動の波紋


寝ます。明日も朝から仕事です…
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)