11月23日(土):
488ページ 所要時間 10:35 ぼろぼろの蔵書
22日(金) 187ページ 所要時間 3:35
23日(土) 301ページ 所要時間 7:00
著者41歳(1924~1993;69歳)。東大名誉教授。当時の通説であった摂関家の政所が政治の中心であったとする「政所政治」論を否定して、依然として太政官を中心とした政務が行われていたことを立証したことで知られている(ウィキペディア)。確かに、本書中でも強調してそう書いてあった。
本の後ろに「1982.10.11(月) 読了」とメモがある。折に触れ、何度も見返してきたが、通読は31年ぶりである。1973年の文庫本初版を古本で買って読んだので、40年前の本ということになる。湿気と歳月のため、ページは黄ばみ、しわが寄り、相当傷んでいたが、読んでる途中表紙が外れてテープで修理するはめになったのにはマイッタ。
しかし、買い換えて読まなくて良かった。黄ばんでぼろぼろの文庫本だが、若かりし頃の俺が引き重ねて来た傍線があちこちにあり、懐かしさだけでなく、思考の跡がたどれて実際の理解にも大変役に立ったのだ。
昨日立ち読みした山本博文『歴史をつかむ技法』(新潮新書;2013)に、本書と第9巻「南北朝の動乱」(佐藤進一)が今なお歴史書の基本テキストだ、と紹介されていたのが、再読のきっかけだった。そして、結論から言えば、山本博文氏は正しかった。元々、第9巻が名著中の名著なのは知っていたが、本書も名著中の名著だとしっかり確認できた。内容は、ほとんど古くなっていないし、今なお汎用性の高さが十分に維持されている。
理屈はともかく、10時間を超える読書となったが、そんなに苦痛ではなかった。新たな傍線を引きつつ、無数の付箋を貼りながら、懐かしくて楽しい読書になった。そして、いくつかの思い込みの間違いなどにも気付かされた。例えば、刀伊の入寇の時、大宰府権帥藤原隆家は、左遷ではなかったこと。また、都はパニックになったのではなく、無理解・無反応だっただけであることなど多数あった。
内容は、藤原道長(966~1027;62歳)の時代を中心に据えて、1053年平等院完成まで。まさに<摂関政治>のど真ん中を豊富なページ数でゆったり興味深く描いている。
著者41歳というのは、一番脂の乗り切った時期の著作である。『源氏物語』、『紫式部日記』、『蜻蛉日記』、『更級日記』、『小右記』、『御堂関白記』、多数の「郡司百姓等解文」、『大鏡』、『栄華物語』、『往生要集』他、当時の厖大な史料を駆使しつつ、エピソードもむき出しの史料ではなく読み易く噛み砕いた形で加工して掲載されている。
そして、戦後初めての?本格的歴史シリーズ(全26巻)の特権として、その後のスタンダードになる話題を前出書に気兼ねすることなく、思う存分に使用されていて、とにかく面白い。小難しい歴史の本を読んでいる、と言うよりは「楽しい読みもの」を読んでいる気分になれる本である。本書は、単に日本史の本にとどまらず、国文学で古典・古文を学ぶ人間にとっても時代背景を理解する上で基礎的参考書となると確信する。
目次:
源氏物語の世界/安和の変/道長の出現/家族と外戚/身分と昇進/中宮彰子/一条天皇の宮廷/清少納言と紫式部/儀式の世界/日記を書く人々/栄華への道/望月の歌/怨霊の恐怖/公卿と政務/刀伊の襲来/盗賊・乱闘・疫病/平安貴族の衣装/法成寺と道長の死/浄土の教え/欠けゆく月影
◎ウィキペディアにちょっと良い感じに面白いエピソードがあったので、載せておく。
1980年4月進学生歓迎会の三次会において、「これから遺言を話す。俺が死んだら紙に書いて国史の研究室に貼っておけ」と語ったという。
一、現代人の心で古代のことを考えてはならない。
二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。
三、俺は長い間、そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。
古代のことを古代人の心で考えるというのは研究者として当たり前の態度であるが、土田ほどの碩学が駄目だったと正直にこぼした意味は深い。また、常々「俺は道長なんかと酒は飲みたくない」と語っていたという。
488ページ 所要時間 10:35 ぼろぼろの蔵書
22日(金) 187ページ 所要時間 3:35
23日(土) 301ページ 所要時間 7:00
著者41歳(1924~1993;69歳)。東大名誉教授。当時の通説であった摂関家の政所が政治の中心であったとする「政所政治」論を否定して、依然として太政官を中心とした政務が行われていたことを立証したことで知られている(ウィキペディア)。確かに、本書中でも強調してそう書いてあった。
本の後ろに「1982.10.11(月) 読了」とメモがある。折に触れ、何度も見返してきたが、通読は31年ぶりである。1973年の文庫本初版を古本で買って読んだので、40年前の本ということになる。湿気と歳月のため、ページは黄ばみ、しわが寄り、相当傷んでいたが、読んでる途中表紙が外れてテープで修理するはめになったのにはマイッタ。
しかし、買い換えて読まなくて良かった。黄ばんでぼろぼろの文庫本だが、若かりし頃の俺が引き重ねて来た傍線があちこちにあり、懐かしさだけでなく、思考の跡がたどれて実際の理解にも大変役に立ったのだ。
昨日立ち読みした山本博文『歴史をつかむ技法』(新潮新書;2013)に、本書と第9巻「南北朝の動乱」(佐藤進一)が今なお歴史書の基本テキストだ、と紹介されていたのが、再読のきっかけだった。そして、結論から言えば、山本博文氏は正しかった。元々、第9巻が名著中の名著なのは知っていたが、本書も名著中の名著だとしっかり確認できた。内容は、ほとんど古くなっていないし、今なお汎用性の高さが十分に維持されている。
理屈はともかく、10時間を超える読書となったが、そんなに苦痛ではなかった。新たな傍線を引きつつ、無数の付箋を貼りながら、懐かしくて楽しい読書になった。そして、いくつかの思い込みの間違いなどにも気付かされた。例えば、刀伊の入寇の時、大宰府権帥藤原隆家は、左遷ではなかったこと。また、都はパニックになったのではなく、無理解・無反応だっただけであることなど多数あった。
内容は、藤原道長(966~1027;62歳)の時代を中心に据えて、1053年平等院完成まで。まさに<摂関政治>のど真ん中を豊富なページ数でゆったり興味深く描いている。
著者41歳というのは、一番脂の乗り切った時期の著作である。『源氏物語』、『紫式部日記』、『蜻蛉日記』、『更級日記』、『小右記』、『御堂関白記』、多数の「郡司百姓等解文」、『大鏡』、『栄華物語』、『往生要集』他、当時の厖大な史料を駆使しつつ、エピソードもむき出しの史料ではなく読み易く噛み砕いた形で加工して掲載されている。
そして、戦後初めての?本格的歴史シリーズ(全26巻)の特権として、その後のスタンダードになる話題を前出書に気兼ねすることなく、思う存分に使用されていて、とにかく面白い。小難しい歴史の本を読んでいる、と言うよりは「楽しい読みもの」を読んでいる気分になれる本である。本書は、単に日本史の本にとどまらず、国文学で古典・古文を学ぶ人間にとっても時代背景を理解する上で基礎的参考書となると確信する。
目次:
源氏物語の世界/安和の変/道長の出現/家族と外戚/身分と昇進/中宮彰子/一条天皇の宮廷/清少納言と紫式部/儀式の世界/日記を書く人々/栄華への道/望月の歌/怨霊の恐怖/公卿と政務/刀伊の襲来/盗賊・乱闘・疫病/平安貴族の衣装/法成寺と道長の死/浄土の教え/欠けゆく月影
◎ウィキペディアにちょっと良い感じに面白いエピソードがあったので、載せておく。
1980年4月進学生歓迎会の三次会において、「これから遺言を話す。俺が死んだら紙に書いて国史の研究室に貼っておけ」と語ったという。
一、現代人の心で古代のことを考えてはならない。
二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。
三、俺は長い間、そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。
古代のことを古代人の心で考えるというのは研究者として当たり前の態度であるが、土田ほどの碩学が駄目だったと正直にこぼした意味は深い。また、常々「俺は道長なんかと酒は飲みたくない」と語っていたという。