11月15日(土):
238ページ 所要時間 2:55 図書館
著者60歳(1954生まれ)。静岡県出身。同志社大学松蔭寮「寮母」。25歳(1979年)~、現在に至る。在日韓国人の夫君の姓を娘に継がせたくて、娘の名を蒔田・朴沙羅(パクサラ)として話題になった。市民運動家としても有名である。
懐かしい感じのする内容の本だ。今の社会に必要かつ出るべき本がようやく出てきた印象である。実(じつ)のある時代の証言だ。著者の基本的価値観を俺は共有できる。ここに描かれている世界は、一種のユートピア(どこにもない町:理想郷)である。巣立って行った多くの寮生を紹介する冒頭に「発達障害」の学生を置いたのも本書のセンスの良さを感じさせる。
著者は、自らも同志社大学文学部のディープな卒業生(休学と留年)である。「寮母」を、管理人ではなく、何かしらの生き難さを抱えた寮生たちに寄り添う伴走者と位置付けている。
著者は、学生時代に在日朝鮮人差別の問題に出会い、運動の深みにはまり、大阪生野区のオモニハッキョに通いつめ、不倫事件を起こして傷心の復学をする。その後、寮母制度の廃止をはかる大学側と自治を重んじる寮生の闘争のはざまで、半年の臨時を経て本雇いへと移る。
著者の寮母としての35年の歩みが、そのまま大学の大切な一断面の歩みの分厚い証言となっている。同志社大学は、本意かどうかは別にして、実に個性的であらまほしき寮母を採用してしまったことになる。本書の存在は、同志社大学の印象・評価を随分と高からしめるだろうと思う。
本書に一貫する価値観は、異なる存在を面白がる、多様性こそ素晴らしい、人間は一人一人尊重されねばならない、という「多文化共生」「人間尊重」の精神である。また、通常、男の世界の向こうにかすんで女が描かれるのに対して、本書では当然だが、同志社大学という西日本で一番の知性を誇る私立大学の女学生たちの多様で人間臭い生き生きとした姿とその後の人生が描かれている。男の姿は、松蔭寮という梁山泊に集う女学生たちの背後にかすんで見えるのみだが、まちがいなく男も存在しているのだ。こういう視角で見る社会(世の中)の風景も悪くない。
多くの卒業生が実名で寄稿しているのは著者の人柄によるのだろう。多様さを温かく見守る著者の存在自体が、同志社大学の卒業生たちにとって大学生活の欠かせない風景の一部になっているのだ。
俺も、ん十年前、4年間を大学の寮で過ごした。男子寮に隣接して建っていた女子寮は、4年間全く縁のない高嶺の花園だった。1・2回生は2人部屋、3・4回生は1人部屋だった。もちろんこんな寮母さんはいなかったが、自治寮だった。外部からの音に敏感で、人付き合いの苦手な俺にとって、寮生活はひたすら苦痛で孤独(孤立ではない)な場だったが、それでも寮特有の付き合いはあったし、たった20人ぐらいで大学センターに向けて時代遅れのジグザグ闘争デモ行進と大学当局との団体交渉に参加したこともあった。一階だったのでムカデやゲジゲジの侵入に仰天したり、窓辺に来る猫に餌をやったり、上の階からの小便の雨に気をつけたり、夜になると何故か寮の一角に屋台が出ていたりした。同じ階の創価学会の学生に勧誘されたり、まあいろいろあった。あれも青春と言えば言えたのかな?
■目次
◎松蔭寮ってどんなとこ?
◎しんどさをかかえながら:・ふしぎのアッコちゃん/・大好きで大嫌いな場所/・You live freely only by your readiness
◎阪神大震災のときには:
◎汚部屋ランキング:・ベッドごと腐った/・どこに寝ているの~?/・引越し決死隊
◎仕事を見つける:・生命保険会社/・主婦/・修道女/・弁護士/・お店を出す
◎留学生たちと:・ペマちゃんの4年間/・韓国の受験競争を降りてみた
◎日本の外に出てみたくて:・バックパッカー/・留学とワーキングホリデー/・暮らす場所になる
◎わたしの「大学生活の迷い方」:・寮母さんになるまで/・松蔭寮にやってきた/・初仕事は西成署へ/・最初の一年/・せっけん洗剤と中庭開拓団
238ページ 所要時間 2:55 図書館
著者60歳(1954生まれ)。静岡県出身。同志社大学松蔭寮「寮母」。25歳(1979年)~、現在に至る。在日韓国人の夫君の姓を娘に継がせたくて、娘の名を蒔田・朴沙羅(パクサラ)として話題になった。市民運動家としても有名である。
懐かしい感じのする内容の本だ。今の社会に必要かつ出るべき本がようやく出てきた印象である。実(じつ)のある時代の証言だ。著者の基本的価値観を俺は共有できる。ここに描かれている世界は、一種のユートピア(どこにもない町:理想郷)である。巣立って行った多くの寮生を紹介する冒頭に「発達障害」の学生を置いたのも本書のセンスの良さを感じさせる。
著者は、自らも同志社大学文学部のディープな卒業生(休学と留年)である。「寮母」を、管理人ではなく、何かしらの生き難さを抱えた寮生たちに寄り添う伴走者と位置付けている。
著者は、学生時代に在日朝鮮人差別の問題に出会い、運動の深みにはまり、大阪生野区のオモニハッキョに通いつめ、不倫事件を起こして傷心の復学をする。その後、寮母制度の廃止をはかる大学側と自治を重んじる寮生の闘争のはざまで、半年の臨時を経て本雇いへと移る。
著者の寮母としての35年の歩みが、そのまま大学の大切な一断面の歩みの分厚い証言となっている。同志社大学は、本意かどうかは別にして、実に個性的であらまほしき寮母を採用してしまったことになる。本書の存在は、同志社大学の印象・評価を随分と高からしめるだろうと思う。
本書に一貫する価値観は、異なる存在を面白がる、多様性こそ素晴らしい、人間は一人一人尊重されねばならない、という「多文化共生」「人間尊重」の精神である。また、通常、男の世界の向こうにかすんで女が描かれるのに対して、本書では当然だが、同志社大学という西日本で一番の知性を誇る私立大学の女学生たちの多様で人間臭い生き生きとした姿とその後の人生が描かれている。男の姿は、松蔭寮という梁山泊に集う女学生たちの背後にかすんで見えるのみだが、まちがいなく男も存在しているのだ。こういう視角で見る社会(世の中)の風景も悪くない。
多くの卒業生が実名で寄稿しているのは著者の人柄によるのだろう。多様さを温かく見守る著者の存在自体が、同志社大学の卒業生たちにとって大学生活の欠かせない風景の一部になっているのだ。
俺も、ん十年前、4年間を大学の寮で過ごした。男子寮に隣接して建っていた女子寮は、4年間全く縁のない高嶺の花園だった。1・2回生は2人部屋、3・4回生は1人部屋だった。もちろんこんな寮母さんはいなかったが、自治寮だった。外部からの音に敏感で、人付き合いの苦手な俺にとって、寮生活はひたすら苦痛で孤独(孤立ではない)な場だったが、それでも寮特有の付き合いはあったし、たった20人ぐらいで大学センターに向けて時代遅れのジグザグ闘争デモ行進と大学当局との団体交渉に参加したこともあった。一階だったのでムカデやゲジゲジの侵入に仰天したり、窓辺に来る猫に餌をやったり、上の階からの小便の雨に気をつけたり、夜になると何故か寮の一角に屋台が出ていたりした。同じ階の創価学会の学生に勧誘されたり、まあいろいろあった。あれも青春と言えば言えたのかな?
■目次
◎松蔭寮ってどんなとこ?
◎しんどさをかかえながら:・ふしぎのアッコちゃん/・大好きで大嫌いな場所/・You live freely only by your readiness
◎阪神大震災のときには:
◎汚部屋ランキング:・ベッドごと腐った/・どこに寝ているの~?/・引越し決死隊
◎仕事を見つける:・生命保険会社/・主婦/・修道女/・弁護士/・お店を出す
◎留学生たちと:・ペマちゃんの4年間/・韓国の受験競争を降りてみた
◎日本の外に出てみたくて:・バックパッカー/・留学とワーキングホリデー/・暮らす場所になる
◎わたしの「大学生活の迷い方」:・寮母さんになるまで/・松蔭寮にやってきた/・初仕事は西成署へ/・最初の一年/・せっけん洗剤と中庭開拓団