もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

102冊目  アルフォンス・デーケン「死とどう向き合うか」(NHK人間大学;1993) 評価4

2011年12月19日 04時13分18秒 | 一日一冊読書開始
12月18日(日):

121ページ  所要時間3:00

著者61歳。上智大学哲学科教授。評価4は、甘いか?。最後のまとめで、死後の再生に関して、キリスト教的決め付けと仏教への無理解(無関心?)が鼻に衝いたが、それでも(一方的に決めつけてるからこそ、かえって)死生観を考える縁(よすが)になる気がして、評価3を4にした。

最近、私が、死をめぐる書籍に魅かれるのは、年齢的なものが関連しているが、「死にたくない」ではなく、「残された時間を充実させたい、少なくとも流されるのでなく、意識化された日々を送りたい」という内面の欲求によるものだ。故スティーブ・ジョブズが、「今日死ぬとしたら、自分は何をするのか。」を毎日自らに強く問いながら生きてきた。それを彼は、日本の禅から学んだ、と伝えられる。しかし、本書の<死生学>の見地は、仏教ではないが、まさにその点を中心に据えて展開されているのだ。  

目次::1 死を見つめる/2 悲嘆のプロセスのなかで/3 伴侶を喪う前に/4 死への恐怖を乗り越える/5 自分自身の死を全うする/6 さまざまな死に学ぶ/7 「死」についての生涯教育(1幼児から青少年のために)/8 「死」についての生涯教育(2大学生・中高年に向けて)/9 今、世界のホスピスでは/10 日本のターミナル・ケア/11 死とユーモア/12 死にまさる生命  

1→タナトス(死)について学ぶタナトロジーを死学ではなく、死について学ぶことは、逆に生き方を学ぶことだ、として<死生学>とする。1990年頃は、日本における死生学・ホスピスなどの創成期である。試行錯誤の時代ゆえに、かえってすそ野の広い視点からの考察が提供されている。さまざまな考えるきっかけが与えられるようで良い。まず、はっきりしているのは、「死のタブー化は良くない!」ということだ。
2→「悲嘆のプロセス」十二段階。
3→晩年の孤独。プレ・ウィドウフッド・エデュケーション(配偶者を喪う時に備える悲嘆教育)。具体的なチェック・リストを夫婦で話し合っておく。
4→介護に当たる人が自分の価値観や信仰を押しつけるのは決してすべきでない。
5→キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』の五段階に、「期待と希望」という第六段階を加えたい。自分でコントロールできることとできないことをはっきり区別して、最後までその人らしく生き抜くこと。
6→トルストイの虚無との闘いに決着をつけた作品が「イワン・イリッチの死」で実存主義の基礎。『かいまみた死後の世界』(ムーディ)。
7→米・加・独のデス・エデュケーション。
8→大学生の二つの演習「もし半年の命しかなかったら、どう過ごすか」「別れの手紙」、演習なので無記名提出。中年期は、人生の折り返し点を過ぎたという自覚を持つ。こうした時間意識の変化を人生における一つの挑戦とみなして、自分の価値観の見直しと再評価の良い機会だと考えるべし。
9→ホスピスのついては、外国の取り組みが紹介されて、日本の未成熟ぶりがわかった。
10→日本では、死に関するタブー、告知に関するタブー、宗教との協力のタブーが問題。ホスピスボランティア像。
11→死というストレスの多いテーマだからこそ、ユーモア(思いやり)が不可欠。
12→死後の世界が存在する、死後の永遠の生命を信じる決断に賭けるべきだ、という結論にはキリスト教の独善と仏教に関する無理解・無関心が目に余った。死を考えるとき、何を「持つ」かではなく、どんな人間で「ある」かが大切になる。
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