もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

4 051 吉田満「戦艦大和」(角川文庫:1946/1952) 感想5

2015年03月02日 01時08分23秒 | 一日一冊読書開始
3月1日(日):

220ページ   所要時間 7:50   蔵書(本棚の肥やし)
(内、『戦艦大和の最期』:129ページ  所要時間 4:35 )

著者23歳/29歳(1923~1973:56歳)。東京大学法学部在学中に、海軍に応召。一年後、少尉(副電測士)として「大和」に勤務、特攻出撃で九死に一生を得て生還。戦後は日本銀行に奉職、1957~59の約2年間渡米勤務。職業作家ではなく、銀行マンとして生きる。

 本書は、文語体でつづられ、初稿はほとんど一日をもって書かれたという。『創元』1946年12月創刊号に掲載される予定だったが、GHQの検閲で全文削除された。独立回復後の1952年に創元社から出版され、吉川英治、小林秀雄、林房雄、河上徹太郎、三島由紀夫の5人が跋文を寄せた。(ウィキペディア)

目次:
『戦艦大和の最期』(1946/1952)/占領下の「大和」/一兵士の責任/異国にて/散華の世代/死によって失われたもの //解説 阿川弘之 // 跋文(初版本より):吉田君との因縁(吉川英治)/正直な戦争経験談(小林秀雄)/真実の記録(林房雄)/美しい人間性の現れ(河上鐵太郎)/一読者として(三島由紀夫)

 まず何十年も前に買った本棚の肥やしである本書を読む気になったきっかけは「0020-2 立花隆「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(2001)感想5」を読み直していて、「魅力あふれる多くの本が紹介される中に、自分が死蔵している本の名前を見つけると、「やった!」という気分になる。例えば、「吉田満『戦艦大和の最期』を再読した。学生時代に読んで衝撃を受けた本である。その内容もすごいが、文章もすごい。吉田はこれを、終戦直後ほとんど一日で書いたという。略。この簡潔で濃密な文章は、近代日本語散文の傑作中の傑作である。文語体の格調の高さ、内容の悲劇性、ほとんど昭和の平家物語といっていいくらいだ。」(292ページ)どうだろう、尊敬する著者がここまで書いてくれれば、モチベーションMAXであろう!当時、世界三大無用の長物として、ピラミッド、万里の長城、戦艦大和と乗組員らが自嘲したそうだ。」という一節に出会い、ふいに「今、読もう」という気になって読み始めた。

 本書を「平家物語」に例えたのは解説者の阿川弘之が最初だった。林房雄は「大和」の特攻出撃を古代ギリシャの「テルモピレーの戦い」に例えていた。

 『戦艦大和の最期』を実際に読んでみると、無駄な言葉がほとんどない。素っ気ないぐらいの感じで、坦々と事実や状況、当時の思いや感想が書き綴られているのだ。著者自身、本にする気はなく、父の知り合いの吉川英治に見せるためのノートとして書かれたものである。

 「ああ、これは詩だな。」と思った。実際、昭和55(1980)年の21版で古い文庫本なので、活字は小さいが、決して字数が多い本ではないが、全く速く読めなかった。戦艦大和が4月2日呉をを出港して、4月7日午後のわずか2時間の戦闘で沈没するところまで付箋と線引きをしながら100ページ読み進むのに3:30もかかってしまい、129ページの作品をまだ読み終われないでいるのだ。まあ、詩(死)を速読するのも馬鹿げている訳で、たまにはこういう濃密な読書も必要だということだろう。

 世界海戦史上、空前絶後の特攻作戦を行った戦艦大和の最期に際して、これほど克明な記録を残した生き証人がいたのだということに驚かされた。しかも、彼は上級士官の一人(副電測士の少尉)として大和の艦橋(心臓部)にいて、長官、参謀長、艦長をはじめ司令部の幹部たちの最期をつぶさに見届けているのだ。そして、結論から言えば、大和の艦隊幹部は、奇跡の如く皆立派であった。ある意味、この作戦が、生還を期せない愚劣極まりない特攻作戦であることを皆が始めから強く自覚していたから覚悟をきちんと決めていたからだということだろう。

大和轟沈の際、周囲300mの者は渦に巻き込まれ、残った漂流者たちも細雨の洋上、重油、寒冷、機銃掃射、負傷・出血、鱶(ふか)とたたかい、次々と力尽きていく。3時間後、駆逐艦「冬月」に救援され、4月8日朝帰還するまでが記されている。

・痛烈なる必敗論議をかたわらに、哨戒長臼淵大尉(一次室長)、薄暮の洋上に目を向けしまま低く囁くごとく言う。/「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ /日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか /俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」/かれ、臼淵大尉の持論にして、また連日一次室に沸騰せる死生談義の、一応の結論なり敢えてこれに反駁を加え得る者なし。33~34ページ

本書を発行するに当たり、同時期の大岡昇平『俘虜記』と共に、まずGHQのプレス=コードにより発行禁止処分を受け、紆余曲折あり、正式に発行できたのは独立後の1952年である。一方で、本書は国内で、書中の著者の敢闘精神が軍国主義的作品であるとして軽薄な批判・攻撃にさらされる。著者自身は大いなる良識の人であり、自らの戦争体験がねじ曲げて受け止められることに苦しむ。

 本書の構成は、『戦艦大和の最期』が中心で、あとの作品群は、後日談、関連論考的な存在である。著者は、「大東亜戦争」ではなく、「太平洋線」という言葉を明確に使用し、戦争責任論と恒久平和主義の実現のためにどうすればよいのかを、素朴に、誠実に考察をする。著者は非常に内省的で、丁寧に考察を行う人で、それだけに本書の発行時の、軽重浮薄な底の浅い批判に傷ついていた。

 著者は、戦中派として、多くの同世代の仲間を失い、戦争の絶対悪であることを指摘し続けている。一方で、人類史にもつ戦争の持つ魔力に注目し、100%の善も100%の悪も実際の戦争には存在しない。戦争は常に相対的な善悪を有し、熱狂を呼びやすいことに警鐘を鳴らす。

 著者は、戦後の平和日本の価値観・理念を生み出し、育み、守ってきたまさに中心となる世代である。著者が存命なら、今92歳。彼らの多くが、今日まさに死に絶えようとする中で、日本の平和国家のアイデンティティが、激しい攻撃を受け、崩れ去ろうとしている。戦争で、多くの仲間を失い、生き残っても人生を狂わされた戦中派の人々こそが、平和の守護者だったのだが、彼らのいない日本で、愚かな歴史修正主義者が大勢現れて愚かな歴史が繰り返されようとしている。

 本書『戦艦大和の最期』は、叙事詩として、多くの若者に読んで欲しい作品である。その際、後ろの著者の論考自体は良識的ではあるが、省いても良いだろう。その分、作品自体が持つ力を十分に味わって欲しい。

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