もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

130518 News23 多事争論「愛国主義は悪党の最後の隠れ家である」(051027)

2014年11月30日 13時51分55秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2013年05月18日 16時48分06秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

5月18日(土):

 昨日の気分の延長で思考が動いている。極右妄言政治屋集団・橋下維新と憲法改悪姑息・安倍晋三自民に思う。

 日本国憲法は、前安倍政権において、「有権者総数の過半数ではなく、有効投票数の過半数でよい」という国民投票法案改悪により致命的ダメージを受けている。これは、有効投票数が40%であれば、有権者総数のわずか20%超で憲法改悪が可能だということだ。

 こんな危機的状況にあることを、我々の多くが気付いていない。それどころか、橋本維新や、安倍自民の極右勢力が活動を強化しているのだ。戦後日本は、最大の危機を迎えているのだ。そして、こんな状況をつくったのが、偽リベラルの民主党の野田汚物前原詐欺師であることも忘れてはいけない。

 俺が大切にしたい言葉に「愛国主義は悪党の最後の隠れ家である」というのがある。サミュエル・ジョンソン(1709~84)というイギリス人の言葉だそうだが、初めて知ったのは、今年の4月18日(木)に読んだ0059冊目の筑紫哲也「若き友人たちへ」(集英社新書;2009)によってである。

 この言葉を検索したら、偶然、筑紫さんの「多事争論」にヒットした。味わい深い内容なので、転載しておく。

News23 多事争論 2005年10月27日(木)
「隠れ家」

自分の郷土や文化や同胞を愛するというのは人間の自然な感情ですが、一方では「愛国主義は悪党の最後の隠れ家」と言うことわざもあります。国のリーダーたちが国内の行き詰まりから国民の目を反らすために、対外的な冒険に出て行くということも歴史でいろんな例があります。

そういう中で愛国心が健全で自然であるためには、いくつかの条件と警戒心が必要だと私は思います。例えば、不安や怒りの捌け口として愛国心に立てこもるというのは控えたほうが良い。あるいは、国を愛しているからこそ、その国の「あり方」について厳しいことを言う人間というのは当然出てくるわけですから、愛国心の表現の仕方には、いろんな「あり方」があるということを認める。ひとつの「あり方」を強制すべきではない、ということも考えるべきだと思います。

そして何よりも外国への排他的な、敵対的な手段として愛国心というものを弄んだり、固執するというのは、あまり健康なものとは遠くなるだろうと思います。

それから最後に国家と言うのは国民の利益と安全を守るためにあるわけで、その逆ではない。国家に奉仕する、あるいは国家のために犠牲というものを国民に強いるという形の愛国心というのは、やはりいろんな問題を生むだろうと思います。

もちろん、いろんな議論があっても良いわけですが、何よりもこの問題を「目が吊り上がった強ばった形」で議論するのではなくて、もっと自然に議論して欲しいと思います。


 橋下が、アメリカからの非難に対して居直って、我が身の保身のために<日本人のナショナリズム>を煽って、自らを正当化し、言い逃れようとしている姿を見させられていると本当に情けなくなる。
 世の中に絶対に負けない者がいる。己の非を認めない恥知らずな卑怯者だ。人間、恥を忘れたら終わりだ。ましてや、自らを保つためにナショナリズムを利用しようとする政治屋がいるとすれば、そいつはもう終わっている。
 「筑紫さんが、ご存命だったら、橋下の妄言安倍の憲法改竄について、何と言って批判しただろうか…」心から声を聞きたいと思う。


※以下に、ウィキペディアに載っていたサミュエル・ジョンソンの語録を載せておく。
「腐敗した社会には、多くの法律がある。」
「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」
「結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びも生まない。」
「怠け者だったら、友達を作れ。友達がなければ、怠けるな。」
「あらゆる出来事のもっともよい面に目を向ける習慣は、年間1千ポンドの所得よりも価値がある。」
「彼の死を悲しんではならない。彼のようなすばらしい奴と出会えたことを喜ばなくてはならない。」
「過ぎ行く時を捉えよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き春にして人は花なり。」
「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから。」(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)
「愛国心は卑怯者の最後の隠れ家」
「地獄への道は善意で舗装されている。」
「人生において新しい知人をつくらずにいると、やがて独りぼっちになるでしょう。閣下、人は友情を常に修復し続けなければなりません。」
「信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。」


※120313(2012年3月13日火曜日)の俺のブログで引用した記事を再掲載する。

秋原葉月さんのブログで以下のような橋下批判を発見した。世の中、捨てたものじゃないですね。
【ニーメラーの警句、日本バージョン 】(2010/04/18)
「彼(橋下大阪府知事)が保育園の芋畑を無惨に掘り起こし、母子家庭の女子高生を泣かせたとき、彼を拍手喝采した人々がいたが、なにもしなかった/ついで彼は公務員を攻撃し、君が代を強制した。私は前よりも不安だったが、公務員ではなかったから何もしなかった。/ついで地方主権の名のもとに道州制が導入され、地方は財界と新自由主義の食い物になり、貧困層が増大してどうしようもなくなった。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。/ふくれあがった彼らははついに憲法を攻撃した。私はついに動いた―しかし、それは遅すぎた。」

※秋原葉月さんのブログは、本日の一番の良き発見・収穫でした!。私は、トラックバック他、簡単な技も使いこなせませんので、言葉で推薦します。「是非、秋原葉月さんの良質なブログ「Afternoon Cafe」を訪れてみて下さい。」私も、今後折に触れて、勉強させてもらいにいくつもりです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。