2月17日(金):
サンデー毎日:【退位問題】徹底考察 なぜ天皇制は必要なのか!=伊藤智永 2017年2月3日
昨年8月の天皇陛下の「退位表明」以来、官民両域で天皇制についての議論が白熱している。有識者会議による「論点整理」も提出されたが、これを陛下のお言葉の意図を踏みにじるものと捉える異能記者が、「民主主義社会における天皇制」の存在意義を探る。
▼ 退位問題 で馬脚を現した「保守」派
▼ 天皇制 が 民主主義 を補強する可能性
昨年8月の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」から6カ月。安倍晋三首相の私的諮問機関が、今の陛下一代限りの退位を認める方向で「論点整理」を公表した。特例法で一時しのぎしようとする政権の方針に追従した、すり替えとはぐらかしの産物である。これが日本を代表する「有識」者なのか、との失望を禁じ得ない。
そもそも「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」という名称からして、論点の意図的なごまかしは始まっていた。陛下が投げかけられた課題は、今後も続けていくことができる「象徴のあり方」についてである。
それがどうして初めから「公務の軽減の仕方」という行政技術論に矮小(わいしょう)化されるのか。お膳立てした官僚たちは「天皇の働き方改革」でも論じているつもりらしい。もちろん、「面倒なことは早く片付けたい」という政権中枢の政治的意向を受けたお役人の処世に違いない。だとしたらなおさら、政・官のそうした姑息(こそく)な思惑に理屈を整えるだけの「有識」者とは何なのだろう。
有識者会議の整理には偏向を感じるが、お言葉をきっかけとするこれまでの議論からは得るものもあった。意外だったのは、いわゆる「保守」派の退位反対論が、思っていた以上にご都合主義で知識も浅薄な印象を受けたことだ。分かりやすい発言を紹介すると、
「両陛下は、可能なかぎり、皇居奥深くにおられることを第一とし、国民の前にお出ましになられないことである。(略)〈開かれた皇室〉という〈怪しげな民主主義〉に寄られることなく〈閉ざされた皇室〉としてましましていただきたいのである。そうすれば、おそらく御負担は本質的に激減することであろう」(加地伸行・大阪大名誉教授・『WiLL』2016年9月号)
有識者会議のヒアリングに「安倍晋三首相の指名枠」で招かれたとされる2人の学者が同じ意見を述べた。
「ご自分で定義された天皇の役割、拡大された役割を絶対条件にして、それを果たせないから退位したいというのは、ちょっとおかしいのではないか」(平川祐弘・東大名誉教授)
「天皇の仕事は祈ることで、国民の前に姿を見せなくても任務を怠ることにはならない。首相が陛下を説得すればいい」(渡部昇一・上智大名誉教授)
今の天皇、皇后両陛下が即位後、四半世紀にわたって務めてきた「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅(略)、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅」を「天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と振り返るお言葉を一刀両断したに等しい。まるで在位中の努力は余計なことだったと言わんばかりではないか。
他にも、陛下がお言葉ではっきり否定したのに、なお「制度上は摂政を置けばいい」と言い張ったり、お言葉を発した行為を「憲法に抵触する」と非難したり、目と耳を疑う。「承詔必謹(しょうしょうひっきん)」、すなわち天皇のおっしゃること(詔(みことのり))は黙って承り、すべて仰せの通りにしなければならない尊皇の態度とは正反対の主張ばかりである。
憲法をつまみ食いする「保守」派
「祈っていればいい」というが、現在のような充実した祭祀(さいし)の内容で天皇が祈るようになったのは、たかだかここ200年くらいのことにすぎない。伝統を復活させた今の陛下から6代前の光格天皇については、1月7日付『毎日新聞』朝刊の私のコラム「時の在りか」で紹介したが、祈るだけであったどころか、幕府と権力闘争を繰り広げた意志の強い政治家だった。伝統祭祀を復興して朝廷の権威を高め、無力だった天皇に政治力を取り戻し、それが明治維新につながった。「天皇とはいかにあるべきか」を模索し、創造し続けた生涯は今の陛下の歩みと重なるが、それについては来週号で詳しく再論したい。
お言葉が「違憲行為」とは、言いも言ったりである。
いわゆる「保守」派は、現憲法に成り立ちからして否定的なはずだが、憲法遵守(じゅんしゅ)を即位以来の原則に掲げる陛下を、認めていない憲法に依拠して批判するとは、どういう論理構造なのか。必要な時だけ憲法をつまみ食いするご都合主義でなくて何だろう。これも詳しい論述は省くが、私は年来、本物の保守派なら「天皇を近代憲法に規定するな」と削除させるのが筋で、さらに推し進めれば、「天皇の国である日本に憲法はいらない」として、憲法改正どころか憲法廃棄を主張するのが本来のあり方だと考えているが、まさに戦後保守の中途半端さが思わぬ問題で馬脚を現したと見えた。
お言葉問題は、安倍政権の時代に跋扈(ばっこ)している「保守」の概念が、いかに当てにならないかを明らかにしてくれた。私は本誌を含むいくつかの媒体でお言葉を論じたが、反響が大きかったのは、保守系冊子『月刊日本』16年12月号(ケイアンドケイプレス)で紹介したある有力政治家が首相官邸で安倍首相に退位に反対を進言したら、安倍氏は執務室のカーペットにひざをついて「こんな格好までしてね」と応じたというエピソードだった。今の天皇・皇后両陛下が被災者を見舞う時に始められた「平成流」象徴的行為の代表的な挙措(きょそ)である。当初は保守派から「威厳がない」と批判されながらも続けられ、国民の間には定着しているが、安倍氏は今なお批判的なようだ。
インターネットの政治系サイトで引用されたのをきっかけに、どうやら「安倍シンパ」の人たちの間で「本当なのか」とちょっとした騒ぎになったらしい。「らしい」というのは、私が在籍する新聞社に問い合わせの電話が掛かり、職場の同僚たちが「炎上しているよ」と噂(うわさ)しているのを人づてに耳にしたからで、私に直接確認してきた人は社内を含めて一人もいない。ちなみにこの政治家は、公開討議や他の取材にも、隠すことなく同じ場面を明かしているので、このエピソードは今や「秘話」でも何でもない。
お言葉の端々に研鑽と思索の裏づけ
この体験で分かるのは、新聞記者たちも含めた世の中が、いかに「保守」という看板に的外れな幻想を抱き、過剰に神経質になっているか、ということだろう。自称「保守」派は、本当に保守なのか。何を「保守」したいのか。私は正確には「明治維新体制絶対賛美」派、別名「薩長史観」派とでも呼ぶべきで、天皇制に関しては維新から敗戦までの限られた時代を肯定する特殊な考え方でしかないのではないかと疑っている。当然、近代より前の長い天皇制の紆余(うよ)曲折に照らせば、つじつまの合わないことがたくさん出てくる。
本物の保守派は、近代を拒絶する。古典的名シリーズの筑摩書房版『現代日本思想大系』第32巻(1965年)は、戦後保守を代表する評論家、福田恆存(つねあり)が編集した「反近代の思想」というタイトルで、内容はI.文明開化批判(夏目漱石・永井荷風・谷崎潤一郎)2.近代への懐疑(保田与重郎・亀井勝一郎・唐木順三・山本健吉)3.近代の克服(小林秀雄)というラインアップである。正統的な保守思想の系譜が分かる。安倍首相も右派雑誌ではなく、この本一巻をまず熟読されるようお勧めしたい。
本来なら原理的には矛盾もあり得る民主主義と天皇(世襲君主)制の両立という精妙な国のかたちを、日本は戦後、象徴天皇制という形で続けることになった。
明治維新でつくられた近代天皇制は、アジア・太平洋一帯を巻き込む大崩壊で終わった。その結果責任は甚大で、天皇制は廃止されてもおかしくなかったが、天皇「家」を残したい昭和天皇の執念と東西冷戦をにらんだ占領統治の目的が合致して、象徴天皇制という空をつかむような「妥協」が成立した。神国の精神は不滅だから残ったのではない。そのことを誰よりも冷徹に自覚していたのは、昭和と平成の2代の天皇であろう。
天皇制が生き延びるための象徴とは何か、初めは誰も分からなかったが、以来70年、昭和と平成の2代の天皇が、そのあり方を血肉化してきた。両天皇の勝手な「創作」ではない。常に国民に分かるように示し、語りかけ、国民の反応を受け止めながらのある意味「共同制作」だった。象徴天皇制を生んだ「戦後」が終わったかと見える21世紀の今日、これからもこの制度を永らえさせるには相当な知恵と工夫と努力が必要ですよ、ぎりぎりの潮時なので皆さんも一緒に考えてください。お言葉は、象徴制の理念と将来についての大きな問いかけであった。
陛下はこの問題に関する、恐らく当代随一の「実践する思想家」である。いちいち出典は明かさないが、お言葉の端々に長い研鑽(けんさん)と思索の裏づけをうかがわせる。それこそ自らが最上の「有識者」として生涯研究し、考え抜いた結果、象徴天皇制を安定的に続けていくには退位が必要不可避である、との結論に達してお言葉に踏み切られたのであって、単に高齢だから、公務が大変だから辞めたいと言っているのではない
政治家と官僚と御用「有識」者たちが、寄ってたかって陛下の真意を意図的に曲解しようとしている。
漫然と ただ在ると思うな 象徴制
問題の核心は「どういうやり方で退位させるか」という小手先の技術論などではない。天皇制は、日本国がある限り自(おの)ずと皇居の奥にただ在るものなのか、存続させるには時代に合わせた知恵や工夫や努力を要するものなのか、という基本的な考え方の違いにある。「漫然と ただ在ると思うな 象徴制」。それが、お言葉が言外に発しているメッセージにほかならない。
陛下は、憲法7条に限定列挙された国事行為だけでは、天皇と国民相互の「信頼と敬愛」(昭和天皇の「人間宣言」と今回の「お言葉」で重複するキーワード)を培うには十分でないことを経験的に直感してきた。「勝手に定義した余計なこと」どころか、象徴的行為の厚い積み重ねなしには、象徴天皇の正統性は十分に担保されない。その理解と自覚を国民に訴えている。
では、国民の側が、そうまでして天皇制を抱えていくのは、なぜなのか。人間社会の全領域に経済の論理が入り込んだ今日(「トランプ時代」!)、お言葉の後、複数の経済誌は、皇居の不動産価値を試算する特集を組んでいた。皇族は京都へ帰り、マンションにでもお住まいください、皇居の一等地を「遊ばせて」おく手はないという企画に、今や読者も違和感を抱かない。経済原理で天皇制を維持していく意義を説くのは難しい。
結局、憲法と政治に立ち返るしかない。敗戦と占領の境で苦し紛れに生み出した「象徴」だったが、「保守」派も認めるように、日本の歴史における天皇は、自ら実際の統治者であるより、「正しい統治のあり方」とは何かを示す規範のような存在だった。民主主義はしばしば間違える。正しく選挙された悪(あ)しき政権もある(ナチス・ドイツ!)。
多数は必ずしも正しくない。それでも民主主義政治を続けるしかないなら、民主主義と両立する民主主義とは別の政治原理を抱える仕組みが、民主主義社会を補強する可能性もあるのではないか。選挙を連発して、公約してもいない政策まで「一任」を取り付け、議会は議論をすっ飛ばして採決マシンと化す長期政権が現実に進行している時、象徴天皇制は「選挙独裁体制」だけが民主主義政治ではない理念的な拠(よ)り所になり得るかもしれない。70年続いた象徴天皇制が、新たな意義を帯びだす。陛下のお言葉には、そうした無言の知恵が聞き取れるではないか。
これは空想ではない。そう考える根拠はある。次週、ある英国王と光格天皇から学び取ったであろう陛下の思考実験を、私なりにたどってみたい。(以下次号) (伊藤智永)
いとう・ともなが
1962年東京生まれ。『毎日新聞』政治部、ジュネーブ特派員を経て、編集局編集委員。毎月第1土曜日の朝刊にコラム「時の在りか」を執筆。著書に『忘却された支配―日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店)、『靖国と千鳥ケ淵』(講談社+α文庫)ほか (サンデー毎日2月12日号から)
サンデー毎日:【退位問題】徹底考察 なぜ天皇制は必要なのか!=伊藤智永 2017年2月3日
昨年8月の天皇陛下の「退位表明」以来、官民両域で天皇制についての議論が白熱している。有識者会議による「論点整理」も提出されたが、これを陛下のお言葉の意図を踏みにじるものと捉える異能記者が、「民主主義社会における天皇制」の存在意義を探る。
▼ 退位問題 で馬脚を現した「保守」派
▼ 天皇制 が 民主主義 を補強する可能性
昨年8月の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」から6カ月。安倍晋三首相の私的諮問機関が、今の陛下一代限りの退位を認める方向で「論点整理」を公表した。特例法で一時しのぎしようとする政権の方針に追従した、すり替えとはぐらかしの産物である。これが日本を代表する「有識」者なのか、との失望を禁じ得ない。
そもそも「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」という名称からして、論点の意図的なごまかしは始まっていた。陛下が投げかけられた課題は、今後も続けていくことができる「象徴のあり方」についてである。
それがどうして初めから「公務の軽減の仕方」という行政技術論に矮小(わいしょう)化されるのか。お膳立てした官僚たちは「天皇の働き方改革」でも論じているつもりらしい。もちろん、「面倒なことは早く片付けたい」という政権中枢の政治的意向を受けたお役人の処世に違いない。だとしたらなおさら、政・官のそうした姑息(こそく)な思惑に理屈を整えるだけの「有識」者とは何なのだろう。
有識者会議の整理には偏向を感じるが、お言葉をきっかけとするこれまでの議論からは得るものもあった。意外だったのは、いわゆる「保守」派の退位反対論が、思っていた以上にご都合主義で知識も浅薄な印象を受けたことだ。分かりやすい発言を紹介すると、
「両陛下は、可能なかぎり、皇居奥深くにおられることを第一とし、国民の前にお出ましになられないことである。(略)〈開かれた皇室〉という〈怪しげな民主主義〉に寄られることなく〈閉ざされた皇室〉としてましましていただきたいのである。そうすれば、おそらく御負担は本質的に激減することであろう」(加地伸行・大阪大名誉教授・『WiLL』2016年9月号)
有識者会議のヒアリングに「安倍晋三首相の指名枠」で招かれたとされる2人の学者が同じ意見を述べた。
「ご自分で定義された天皇の役割、拡大された役割を絶対条件にして、それを果たせないから退位したいというのは、ちょっとおかしいのではないか」(平川祐弘・東大名誉教授)
「天皇の仕事は祈ることで、国民の前に姿を見せなくても任務を怠ることにはならない。首相が陛下を説得すればいい」(渡部昇一・上智大名誉教授)
今の天皇、皇后両陛下が即位後、四半世紀にわたって務めてきた「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅(略)、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅」を「天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と振り返るお言葉を一刀両断したに等しい。まるで在位中の努力は余計なことだったと言わんばかりではないか。
他にも、陛下がお言葉ではっきり否定したのに、なお「制度上は摂政を置けばいい」と言い張ったり、お言葉を発した行為を「憲法に抵触する」と非難したり、目と耳を疑う。「承詔必謹(しょうしょうひっきん)」、すなわち天皇のおっしゃること(詔(みことのり))は黙って承り、すべて仰せの通りにしなければならない尊皇の態度とは正反対の主張ばかりである。
憲法をつまみ食いする「保守」派
「祈っていればいい」というが、現在のような充実した祭祀(さいし)の内容で天皇が祈るようになったのは、たかだかここ200年くらいのことにすぎない。伝統を復活させた今の陛下から6代前の光格天皇については、1月7日付『毎日新聞』朝刊の私のコラム「時の在りか」で紹介したが、祈るだけであったどころか、幕府と権力闘争を繰り広げた意志の強い政治家だった。伝統祭祀を復興して朝廷の権威を高め、無力だった天皇に政治力を取り戻し、それが明治維新につながった。「天皇とはいかにあるべきか」を模索し、創造し続けた生涯は今の陛下の歩みと重なるが、それについては来週号で詳しく再論したい。
お言葉が「違憲行為」とは、言いも言ったりである。
いわゆる「保守」派は、現憲法に成り立ちからして否定的なはずだが、憲法遵守(じゅんしゅ)を即位以来の原則に掲げる陛下を、認めていない憲法に依拠して批判するとは、どういう論理構造なのか。必要な時だけ憲法をつまみ食いするご都合主義でなくて何だろう。これも詳しい論述は省くが、私は年来、本物の保守派なら「天皇を近代憲法に規定するな」と削除させるのが筋で、さらに推し進めれば、「天皇の国である日本に憲法はいらない」として、憲法改正どころか憲法廃棄を主張するのが本来のあり方だと考えているが、まさに戦後保守の中途半端さが思わぬ問題で馬脚を現したと見えた。
お言葉問題は、安倍政権の時代に跋扈(ばっこ)している「保守」の概念が、いかに当てにならないかを明らかにしてくれた。私は本誌を含むいくつかの媒体でお言葉を論じたが、反響が大きかったのは、保守系冊子『月刊日本』16年12月号(ケイアンドケイプレス)で紹介したある有力政治家が首相官邸で安倍首相に退位に反対を進言したら、安倍氏は執務室のカーペットにひざをついて「こんな格好までしてね」と応じたというエピソードだった。今の天皇・皇后両陛下が被災者を見舞う時に始められた「平成流」象徴的行為の代表的な挙措(きょそ)である。当初は保守派から「威厳がない」と批判されながらも続けられ、国民の間には定着しているが、安倍氏は今なお批判的なようだ。
インターネットの政治系サイトで引用されたのをきっかけに、どうやら「安倍シンパ」の人たちの間で「本当なのか」とちょっとした騒ぎになったらしい。「らしい」というのは、私が在籍する新聞社に問い合わせの電話が掛かり、職場の同僚たちが「炎上しているよ」と噂(うわさ)しているのを人づてに耳にしたからで、私に直接確認してきた人は社内を含めて一人もいない。ちなみにこの政治家は、公開討議や他の取材にも、隠すことなく同じ場面を明かしているので、このエピソードは今や「秘話」でも何でもない。
お言葉の端々に研鑽と思索の裏づけ
この体験で分かるのは、新聞記者たちも含めた世の中が、いかに「保守」という看板に的外れな幻想を抱き、過剰に神経質になっているか、ということだろう。自称「保守」派は、本当に保守なのか。何を「保守」したいのか。私は正確には「明治維新体制絶対賛美」派、別名「薩長史観」派とでも呼ぶべきで、天皇制に関しては維新から敗戦までの限られた時代を肯定する特殊な考え方でしかないのではないかと疑っている。当然、近代より前の長い天皇制の紆余(うよ)曲折に照らせば、つじつまの合わないことがたくさん出てくる。
本物の保守派は、近代を拒絶する。古典的名シリーズの筑摩書房版『現代日本思想大系』第32巻(1965年)は、戦後保守を代表する評論家、福田恆存(つねあり)が編集した「反近代の思想」というタイトルで、内容はI.文明開化批判(夏目漱石・永井荷風・谷崎潤一郎)2.近代への懐疑(保田与重郎・亀井勝一郎・唐木順三・山本健吉)3.近代の克服(小林秀雄)というラインアップである。正統的な保守思想の系譜が分かる。安倍首相も右派雑誌ではなく、この本一巻をまず熟読されるようお勧めしたい。
本来なら原理的には矛盾もあり得る民主主義と天皇(世襲君主)制の両立という精妙な国のかたちを、日本は戦後、象徴天皇制という形で続けることになった。
明治維新でつくられた近代天皇制は、アジア・太平洋一帯を巻き込む大崩壊で終わった。その結果責任は甚大で、天皇制は廃止されてもおかしくなかったが、天皇「家」を残したい昭和天皇の執念と東西冷戦をにらんだ占領統治の目的が合致して、象徴天皇制という空をつかむような「妥協」が成立した。神国の精神は不滅だから残ったのではない。そのことを誰よりも冷徹に自覚していたのは、昭和と平成の2代の天皇であろう。
天皇制が生き延びるための象徴とは何か、初めは誰も分からなかったが、以来70年、昭和と平成の2代の天皇が、そのあり方を血肉化してきた。両天皇の勝手な「創作」ではない。常に国民に分かるように示し、語りかけ、国民の反応を受け止めながらのある意味「共同制作」だった。象徴天皇制を生んだ「戦後」が終わったかと見える21世紀の今日、これからもこの制度を永らえさせるには相当な知恵と工夫と努力が必要ですよ、ぎりぎりの潮時なので皆さんも一緒に考えてください。お言葉は、象徴制の理念と将来についての大きな問いかけであった。
陛下はこの問題に関する、恐らく当代随一の「実践する思想家」である。いちいち出典は明かさないが、お言葉の端々に長い研鑽(けんさん)と思索の裏づけをうかがわせる。それこそ自らが最上の「有識者」として生涯研究し、考え抜いた結果、象徴天皇制を安定的に続けていくには退位が必要不可避である、との結論に達してお言葉に踏み切られたのであって、単に高齢だから、公務が大変だから辞めたいと言っているのではない
政治家と官僚と御用「有識」者たちが、寄ってたかって陛下の真意を意図的に曲解しようとしている。
漫然と ただ在ると思うな 象徴制
問題の核心は「どういうやり方で退位させるか」という小手先の技術論などではない。天皇制は、日本国がある限り自(おの)ずと皇居の奥にただ在るものなのか、存続させるには時代に合わせた知恵や工夫や努力を要するものなのか、という基本的な考え方の違いにある。「漫然と ただ在ると思うな 象徴制」。それが、お言葉が言外に発しているメッセージにほかならない。
陛下は、憲法7条に限定列挙された国事行為だけでは、天皇と国民相互の「信頼と敬愛」(昭和天皇の「人間宣言」と今回の「お言葉」で重複するキーワード)を培うには十分でないことを経験的に直感してきた。「勝手に定義した余計なこと」どころか、象徴的行為の厚い積み重ねなしには、象徴天皇の正統性は十分に担保されない。その理解と自覚を国民に訴えている。
では、国民の側が、そうまでして天皇制を抱えていくのは、なぜなのか。人間社会の全領域に経済の論理が入り込んだ今日(「トランプ時代」!)、お言葉の後、複数の経済誌は、皇居の不動産価値を試算する特集を組んでいた。皇族は京都へ帰り、マンションにでもお住まいください、皇居の一等地を「遊ばせて」おく手はないという企画に、今や読者も違和感を抱かない。経済原理で天皇制を維持していく意義を説くのは難しい。
結局、憲法と政治に立ち返るしかない。敗戦と占領の境で苦し紛れに生み出した「象徴」だったが、「保守」派も認めるように、日本の歴史における天皇は、自ら実際の統治者であるより、「正しい統治のあり方」とは何かを示す規範のような存在だった。民主主義はしばしば間違える。正しく選挙された悪(あ)しき政権もある(ナチス・ドイツ!)。
多数は必ずしも正しくない。それでも民主主義政治を続けるしかないなら、民主主義と両立する民主主義とは別の政治原理を抱える仕組みが、民主主義社会を補強する可能性もあるのではないか。選挙を連発して、公約してもいない政策まで「一任」を取り付け、議会は議論をすっ飛ばして採決マシンと化す長期政権が現実に進行している時、象徴天皇制は「選挙独裁体制」だけが民主主義政治ではない理念的な拠(よ)り所になり得るかもしれない。70年続いた象徴天皇制が、新たな意義を帯びだす。陛下のお言葉には、そうした無言の知恵が聞き取れるではないか。
これは空想ではない。そう考える根拠はある。次週、ある英国王と光格天皇から学び取ったであろう陛下の思考実験を、私なりにたどってみたい。(以下次号) (伊藤智永)
いとう・ともなが
1962年東京生まれ。『毎日新聞』政治部、ジュネーブ特派員を経て、編集局編集委員。毎月第1土曜日の朝刊にコラム「時の在りか」を執筆。著書に『忘却された支配―日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店)、『靖国と千鳥ケ淵』(講談社+α文庫)ほか (サンデー毎日2月12日号から)