8月3日(木):
NHKさん、大河ドラマ「花の乱」(1994)のBS再放送是非して下さい。きちんと受信料払います、っていうか払ってますから!萬屋錦之助の山名持豊、野村萬斎の細川勝元をもう一度観たいです!m(_ _)m
310ページ 所要時間3:30 図書館
著者36歳(1980生まれ)。
今、最も読みたかったベストセラー歴史本だった。しかし、全く値崩れしてくれない。図書館で借りれたが、本気で読めば、やはり8hぐらいかけて、付箋と線を引くなどしてしまう。自分の本ではないのでそれができない。ならば、5年後ぐらいに大量の古本が安価で並ぶのを楽しみにして、今回は偵察読書ということで、最後まで眺め読みをした。それでも後半は、相当数の付箋をしてしまった。
読み始めて、まず思ったことは、当時のややこしい敢えて言えば些末な登場人物や人間関係を執拗に追いかけ解説している本書を読んで面白がる日本人がベストセラーになるほど大勢いることが不思議になった。俺ですら、正直「そんな奴ら知らんがな!」という連中がわんさかと出てくる。本書の悪口をもし言うとすれば、「些末な知識の羅列をして、どうでもいい人名をたくさん登場させて何の意味があるんや。細かい関係や出来事や人物を書くのではなくもっと大きくアクティブラーニングせなあかんやろ!」って感じになる。つまり、今の歴史学習の流れに逆行していると言える。
でも、そんなこの本が、大した英雄・豪傑もいない長期の混乱した政治状況をひたすら描いているだけの本書がベストセラーになる理由を考えて見れば、結局「神は細部に宿る!」ということに尽きるのかもしれない。はっきり言って、本書のレベルは相当に高い!「一体いつの間に日本史にそんなに詳しい日本人が増えたんだ?」と思えるぐらいに前提の知識のレベルは高い。つまり、本書は前提の歴史知識が無くても面白く読めるのだと考えれば、はたと思い当たることがある。
11年間の応仁の乱を挟んで50年以上を語り下ろす本書の中には、細かい記述がたくさんあるが、登場人物がみんな人間的な弱さを持っていて、著者が意図的に記述したのかどうかはわからないが、立派さや強さよりも人間の頼りなさ、弱さ、いじましさなどが歴史を動かしたような印象を読者に与えるところがある。何が言いたいかと言うと「本書を学術書として読むのではなく、人間ドラマとして”歴史小説”として読めば、結構面白いのだ。教科書では、不倶戴天の敵みたいな細川勝元と山名宗全が、勝本が宗全の娘婿で孫(細川政元)までできている。二人は極めて近しい間柄で、お互い「しもたなあ、やっちまったぜ…」と後悔しているが、互いに仲間の守護大名を集め過ぎて身動きが取れなくなってる。
本書の視点の基本は、奈良の興福寺の二人の摂関家出身僧の記録(日記)「経覚私要鈔」と「大乗院寺社雑事記」を基に経覚と尋尊という35歳差の二人の視点から、京都とは距離と時間の少し離れた奈良から応仁の乱及び前後の状況をフェイクニュースもたくさん織り交ぜて記述されているのだ。これって、よく見ればワイドショー的っていうか、人間ドラマっていうか、そんな感じの記述になっているのだ。
それも舞台は、日本史で中身は良く知らないが、「人の世虚し(1467年)」ですごく有名な「応仁の乱」の真相が前提の知識も全く必要なくて、詳細に、小説のように面白く描かれているとなると、結構手に取りたくなる日本人がたくさん出てきても不思議ではないのだ。そしてさらに朗報ですが、日本史に詳しい俺の立場から言っても、「本書の内容は新しくて、面白い!」のだ。唯物史観的な歴史を少し単純に貶めすぎて、永原慶ニなどを批判しすぎてるのには違和感を覚えるが、確かに本書は使える内容なのだ。畠山義就(よしひろ)を朝倉孝景や北条早雲よりも早い”戦国大名”と論じてみたり、日野富子が敵である畠山義就に金を貸して儲けていたがめつい女性という通説を「金を貸していたのは味方の畠山政長の方である」とあっさり訂正したり、やはり歴史書としてしっかりできているのだ。
これから本書を読もうと考えている人には「小説を読むように楽しんで下さい。まちがっても肩を怒らせて歴史書を読むぞと力まないで下さいね。」と言っておきたい。俺は、5年後、まだ元気に生きてれば、ブックオフで200円ぐらいに値下がりしたものを買って、しょぼしょぼした目でゆっくりと味わって読もうと思っている。
最近の書評で「観応の擾乱」の中公新書が今年出たそうで、こちらの評判もとても良さそうである。足利尊氏と足利直義と高師直さらに足利直冬、そして亡き後醍醐天皇と南朝の人々の存在! これだけ役者がそろっていて、面白くないわけがない。ウソだと思うならば、戦後日本史全集の白眉、
佐藤進一著「日本の歴史9南北朝の動乱」(中公文庫)を読んでみればいい! または、NHK大河ドラマの白眉
「太平記」(1991)を観ればいい!真田広之の足利尊氏、陣内孝則さんの佐々木道誉ってどうよ! ちょっと酔っぱらってきたなあ…。大急ぎの眺め読みだったけど、幸せな出会いだったのかな… なんか久しぶりに日本史にときめいてるなあ…
【目次】はじめに
第一章 畿内の火薬庫、大和 :1 興福寺と大和 / 2 動乱の大和 / 3 経覚の栄光と没落
第二章 応仁の乱への道 :1 戦う経覚 / 2 畠山氏の分裂 / 3 諸大名の合従連衡
第三章 大乱勃発 :1 クーデターの応酬 / 2 短期決戦戦略の破綻 / 3 戦法の変化
第四章 応仁の乱と興福寺 :1 寺務経覚の献身 / 2 越前の状況 / 3 経覚と尋尊 / 4 乱中の遊芸
第五章 衆徒・国民の苦闘 :1 中世都市奈良 / 2 大乱の転換点 / 3 古市胤栄の悲劇
第六章 大乱終結 :1 厭戦気分の蔓延 / 2 うやむやの終戦 / 3 それからの大和
第七章 乱後の室町幕府 :1 幕府政治の再建 / 2 細川政元と山城国一揆 / 3 孤立する将軍 / 4 室町幕府の落日
終章 応仁の乱が残したもの
主要参考文献 /あとがき /関係略年表 / 人名索引
【内容紹介】
室町後期、京都を戦場に繰り広げられた内乱は、なぜあれほど長期化したのか。気鋭の研究者が戦国乱世の扉を開いた大事件を読み解く。
成功例の少ない「応仁の乱」で18万部。日本史研究に新たなスター誕生か
日本史上の大トピックとされていながらも、全体像を捉え難い「応仁の乱」。そんな題材を、既成史観の図式に頼ることなく、絶妙なバランス感覚で丁寧に整理した新書がヒットしている。NHK大河ドラマの歴代最低視聴率記録を長年保持していた『花の乱』(1994年)を始め、「応仁の乱」を扱ったものに成功例は少ないので、異例の現象だ。
「『応仁の乱』をテーマに選んだのは著者ご本人です。地味かもしれませんが名前を知らない日本人はおらず、そういう意味では歩留まりがよい。大ヒットはしないまでも絶対に失敗はしないテーマという認識でした。中公新書は『歴史ものに強い』というアドバンテージもありますし後は“著者力"で突破だ、と」(担当編集者の並木光晴さん)
古くは網野善彦さん、近年では磯田道史さんなど、日本史研究者には、時に、学識の確かさと読み物としての面白さを両立させるスター学者が登場する。36歳とまだ若い本書の著者は、次代の有望株だ。
「扱う題材の全体像をはっきりと理解し、その上で、読者に伝える情報を取捨選択できる。30代半ばでのこの筆力には、とても驚かされました」(並木さん)
中公新書の主な読者層は50代以上。しかし本書の売れ行きの初速はネットなどと親和性がある30代・40代が支え、そこから高年齢層に支持が広がった。これは、新たなスター誕生の瞬間かもしれない。
評者:前田 久(週刊文春 2017.3.2号掲載)
だらだらと続く大乱
小学校の教科書で紹介されていることもあってか、「応仁の乱」の知名度は高い。しかし、それがどのような戦乱だったのかと問われると、多くの日本人が口ごもる。室町後期に京都でおきた……戦国時代のきっかけとなった……諸大名入り乱れての……。
呉座勇一『応仁の乱』は、ほとんどの日本人が実態を知らないこの大乱を、最新の研究成果をふまえながら実証的に検証してみせる。さらには、同時代に生きた興福寺の2人の高僧(経覚と尋尊)が遺した日記を通じて、戦乱に巻きこまれた人々の生態を描いている。それらの合間に、気鋭の中世史学者ならではの自説も展開する。いたって学術的な内容なのだが、構成の巧さと呉座の筆力によって最後まで読ませる。
しかし、全体としては、やはりよくわからない。それは決して呉座の責任ではなく、この戦乱が結果的に大乱になってしまっただけで、発端の当事者(細川勝元と山名宗全)たちも、短期に決着するとふんでいたからだ。それがいつしか、両氏が多数の大名を引きこんだために、諸大名の目的が錯綜して、将軍も大将もコントロールできなくなっていき、京都だけでなく各地で戦闘がくり返され、だらだらと終結まで11年もかかってしまったのだ。しかも、戦後処理まで判然としないのだから、応仁の乱はよくわからない。
大義名分に乏しいだらだらと続いた応仁の乱は、第1次世界大戦に類似していると呉座は説く。結果的に諸国に新たなパワーバランスを生みだすことになる、地味な大乱。ひょっとしたら今、私たちもそんな混沌の時代を生きているのかもしれない。
評者:長薗安浩(週刊朝日 掲載)