7月31日(月):
「
かつて日本は、世界から/「どちらを選ぶか」と三度、問われた。/より良き道を選べなかったのはなぜか。/日本近現代史の最前線。」
479ページ 所要時間12:00+2:00 図書館⇒定価1836円をアマゾン中古(可)1504円発注。読めりゃあいいさ!
著者56歳(1960生まれ)。埼玉県生まれ。東京大学大学院教授。2010年『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。ほか『模索する1930年代』、『昭和天皇と戦争の世紀』など多数の著書がある。 朝日出版社 1700円+税
言わずと知れた
山川出版社「日本史B」教科書執筆者!にして
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社:2009/定価で購入済み)の著者である。「書痴」と自称する。 *あやかりたいものである(もみ)
久しぶりに苦しい読書だった。感想は本当は4にしたかったのだが、内容のレベルを考えれば5乃至5+しかつけようがない。これから読もうと思っている人には、くれぐれも高校生を相手にした問答のレベルだと侮ってはいけない。相当な覚悟をもって読み始めることだ。俺は、毎年センター試験の日本史Bで満点を取らないと屈辱を覚えるレベルの歴史好きである。満州某重大事件(1928)~敗戦(1945)までの過程も正直言って、そこいら辺の歴史好きの人よりは頭一つ抜け出してる自負がある。しかし、今回の読書はきつかった。
初め、ページ数から見て1ページ30秒を目指したが、無理だった。ほとんど既知の領域のはずが、まったく歯が立たない。勿論外面的現象や流れはわかっているが、俺が作り上げた理解がことごとく新しい史料や視点、問題提議によって表面的な理解にされてしまって「実は、その裏ではこんなやり取りがあって、こんな選択肢がいろいろあって、結局(史実のように)こうなったんだけど、こういう展開も十分にあり得たのよ」と東大の最前線の先生に言われてしまうと、流し読みをしようとしても急ブレーキがかかってしまい、「ふむふむ、そうか…」と遅読になってしまうのだ。
流せばいいんだよと言われれば、所詮図書館に「これええ本やから是非こうてえなあ」とアマゾンの記事を付けて買ってもらった本だから別に損はしないのだが。この本のテーマにする時期が時期だけに、無碍に流すのは冒涜に思えて、いつの間にかゆっくり付き合ってしまうことになった。そうすると、この時代は、ナチスドイツのあまりの快進撃に軽薄な近衛と糞の松岡が「バスに乗り遅れるな」とばかりに三国軍事同盟を結んで南部仏印心中までやってしまった、とかアメリカは知ってて先に真珠湾攻撃をさせた、とか野村吉三郎の英語力がだまし討ちの汚名につながったとか、まことにもって一般に知られているネタがあるのだが、著者はそれを誤解として一つずつ確実に撃破していくのである。
著者の資料引用の様子は、自身が当時生きていたかのように刻銘であり、かつ当時の人でも目にできる者などほとんどないような情報に関しては現代からの強みで何でも知っている。歴史の中を「飛耳長目」で縦横無尽に動き回り、決定的な場所に立ち会って見せてくれるかと思うと、俺のようななまかじりの歴史好きの輩が持っているネタや理解を次々ひっくり返されていく。半藤一利の「昭和史」戦前編、戦後編両方を読んでる身としては、「そないに一般常識の床に踏み込んでちゃぶ台返しされたら、わてらどないしまんねん!?」って気分になり、毎回、すごく面白がりながら焦らされるのである。
でも、ここではたと思うのである。「この先生、一般論としての日本史の基礎中の基礎、土台中の土台である山川出版社の「日本史B」教科書をどんなつもりで書いてるのだろう?」一つだけこの先生に対して、筋違いかもしれないけど足を引っ張ることを指摘すると、山川の教科書はある面侵略戦争としての表現に対しては一番腰が引けている保守的教科書でもある。南京大虐殺は、南京事件だし、朝鮮をはじめアジア、オランダなど従軍慰安婦の存在の記述、沖縄戦における日本軍による「もって悠久の大義に生きるべし」という沖縄島民に対する集団自決を迫る話などは手抜きが目立つ。やはり検定教科書では力を発揮できないか?
埒もないことをだらだら書いているが、正直言って本書の内容については、概略を述べるなどできないのだ。ただ言えることは、類書がほとんどイメージできないオリジナリティーあふれる歴史書である。扱う事柄を絞ってとことん多面的に見ていこうという内容である。だから、冒頭申し上げたように本書を読む人は、それなりの覚悟で読んでもらいたい。俺の12時間っていうのも「やっぱり失敗だったかな」と思うけれど、まさに醍醐味を覚えさせてくれる本であるのも確かです。
ハリネズミのように付箋だらけになった本書を見ていて、さっき発作的に中古本(可)1504円を注文しました。付箋の分だけ、自分が何か考えてたのだと思うとその思考を更地(さらち)で無かったことにするのはちょっと厳しかったので。 あと最後に白状すると、本書を読む12時間のうち半分の6時間は睡魔との苦しい闘いでした。俺の体質もあるのかもしれませんが、人間、あまりに目新しいことを示されると、面白がる前にまず戸惑いと睡魔に襲われるもののようです。すでに知ってることの上に少しだけ知識が上書きされていくのが気持ちよく集中できるのかもしれません。
【目次】はじめに
1章 国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき(「歴史のものさし」で世の中をはかってみる/現代の史料を、過去のデータと照らし合わせて読む/歴史が書かれるとき/歴史の始まりとは)
2章 「選択」するとき、そこでなにが起きているのかーリットン報告書を読む(日本が「世界の道」を提示されるとき/選択肢のかたちはどのようにつくられるか/日本が選ぶとき、為政者はなにを考えていたのか)
3章 軍事同盟とはなにかー二〇日間で結ばれた三国軍事同盟(軍事同盟とはなにか/なぜ、ドイツも日本も急いだのか/「バスに乗り遅れる」から結んだのではない)
4章 日本人が戦争に賭けたのはなぜかー日米交渉の厚み(戦争前夜、敵国同士が交渉の席に着く意味は/史料に残る痕跡/日本はなぜアメリカの制裁を予測できなかったのか/国民は、その道のみを教えられ続けてきた/絶望したから開戦したのではない)
終章 講義の終わりにー敗戦と憲法(講義の終わりに)
こんなぐちゃぐちゃな感想では申し訳ないので、以下に
春香クリスティーンさんと
池澤夏樹さんによる書評を掲載しておきます。
現代の選択のためのヒント
『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 (加藤陽子 著)
評者 春香クリスティーン 2016.10.18 07:01
スイスで教育を受けた私の歴史観と、日本で教育を受けた人々のそれが一致するのかどうかは、わかりません。しかし、この『戦争まで』に書かれていたことは本書の狙い通り、私にとっても“目からウロコ”でした。
本書を通して著者は日本が「戦争まで」に行った三つの選択、すなわち(1)満州事変と国際連盟脱退(2)日独伊三国同盟(3)ハルノートと日米開戦について、当時の状況をできるだけ細かく再現し、選択の理由に迫ります。
そしてその中で、日本を国際連盟脱退に“追い込んだ”とされるリットン調査団の報告書が、日本に対して宥和的な内容だったこと、日米開戦前に近衛文麿首相とローズベルト大統領によるハワイでの首脳会談も具体的に検討されていたこと(しかも新聞のリークで世論が反発し、実現せず)など知らなかった史実が次から次へと描かれます。
歴史とは選択の連続ですが、理不尽な選択には、それなりの理由があったのだ、と強く感じました。
一般的に語られるように米英によるブロック経済により、追い込まれて戦争に踏み切った……というのではなく、主体的に「戦争」を選択していった背景には何があったのか? 複雑な事情を知ることには大きな意味があると思います。
本書のユニークなところは二点あります。一つは、書店の募集に応じた中高生に対して行われた授業を基にしている、ということ。そのため、語り口は柔らかいのですが、ハイレベルすぎるやり取りは、付いていくのが大変でした……。
もう一つは、歴史をベースにしながらも、「現代」に主眼を置いていること。太平洋戦争開戦前の日本と現在の日本、もしくは世界を比較することで、今の日本がどこに向かおうとしているのか、向かってはいけないのかが語られています。
この点こそが著者が本書を執筆した一番の動機だと思いますが、最悪の「選択」をしないためのヒントとして歴史を見る視点は、大切なのだと思いました。
毎日新聞:池澤夏樹・評 『戦争まで−歴史を決めた交渉と日本の失敗』=加藤陽子・著 2016年9月4日 東京朝刊
いくつもの力の交錯がことを決める
歴史とは過去に起こった事象の累積であると人は思いたがる。年表を覚えて、それで歴史はわかったとする。
日本を戦争に導いた三つの契機を考えてみよう。
A 満州事変に際して、リットン調査団の調停案が中国寄りだったので日本はこれを蹴り、国際連盟を脱した。
B ドイツとイタリアが欧州で快進撃を遂げていたので、日本は「バスに乗り遅れるな」と言って、言わば勝ち組に入ろうと三国同盟を結成した。
C 日米交渉において、アメリカが強硬だったので、日本はしかたなく開戦に踏み切った。
このあたりがこの国で一般に常識とされていることだ。
こういう単純化に抗して、実際にはどういう経過を辿(たど)ってその結果に至ったかを明らかにするのが歴史学の実践である。言ってみれば完成品を分解して各パーツの動きを解析するリバース・エンジニアリングだ。
本書は歴史学者である加藤陽子が中高生二十七名ほどを相手に行った授業の記録であり、会話に満ちた、生き生きとした、双方向の探究の成果である。読んでいて、一段階ずつがスリリングで、ダイナミックで、おもしろい。
歴史学は生きて動いている。八十四年前に作られたリットン報告書はその時点で歴史として固定されたのではない。これを巡る史料は無数にあり、それがたった今も発掘され、全体像に組み込まれ、この事象の真の姿が明らかになってゆく。
リットン調査団は日中両国をなんとか交渉のテーブルに着かせようと腐心した。戦争を回避するための努力を提案した。「リットン報告書には、交渉が始まった後、日本側が有利に展開できる条件が、実のところいっぱい書かれていた」のだが、日本はこれを拒んだ。満州は日露戦争の戦果という思い込みのもと、正確な報道がないままに国論は極端に走った。それでなくともテロの横行する時代、正論を主張するのは難しい(リットンに会った翌日、団琢磨(だんたくま)は暗殺された)。リットンは「世界の道」という言葉を使って平和を説いたが、実現はしなかった。やがて彼は大戦で息子二人を失う。
いや、こういう風に要約してしまってはいけないのだ。本書の展開に沿ってていねいに経過を追わなければならない。いくつもの力が作用しあう中でことは決まる。
日独伊三国同盟の場合は、更に複雑。三者三様に思惑が異なっていた。しかも事態は速やかに変わる。だからたった二十日で条約が結ばれた。日本政府内にはずいぶん意見の対立があったのに、それは一切報道されなかった(海軍大臣は直前に交替している)。
ドイツとイタリアは日本の海軍力でアメリカを牽制(けんせい)したかった。日本はドイツが勝った勢いに乗じて東南アジアや南太平洋の英仏オランダの植民地を自分のものにしたかった。大東亜共栄圏の「大」の字には勢力圏拡大の意図が込められていた。同盟に大義はない。その時々の各国の利害があるのみ。
『戦争まで』で印象的なのは、相手国の内情まで含めて情報を充分に持った先端のエリートと、自分らの利益のために圧力をかける集団(陸海軍とか財界とか)、何も知らされないままに感情的に動く大衆とそれを誘導する無責任なジャーナリズム……これらの力の交錯がことを決めてゆくというメカニズムである。
この書評を書きながら反省したのだが、結論に走ってはいけない。自分の意見に合うところだけつまみ食いしてはいけない。史料を読んで、過程を辿って、その中から今後に役立つものを誠実に抽出する。これはそのよい練習になる本である。