ただいま某誌用に「田舎暮らしの失敗談」を書いている。
『田舎で暮らす!』を読んでの原稿依頼だ。
その雑誌は、田舎暮らしを今後積極的に取り上げたいというのだが、そこで「失敗談」を書いてくれというところをどのように捉えたらよいのか迷う。
『田舎で暮らす!』の書評でも、失敗談がたくさん載っている点に触れているものが多かった。たしかにたくさん触れたのは事実。その点では異色の本だったのかもしれない。そして失敗例を知ることで、田舎暮らしをめざす人に警告なり、注意喚起になり、反面教師にしてくれればよいと思っている。
しかし、編集的に考えると、「失敗談は面白い」のでは、と思う。田舎暮らしに憧れを持つ人が増える中、田舎のどこがいいんだ、そんなにうまく行くわけねえや、と僻んだ?思いを持つ都会人も少なくないと感じる。あるいは「田舎をなめるなよ!」と思っている田舎人、元田舎人もいるのだろう。
実際、田舎の田舎である所以の地域性を嫌う人は多い。全国一律の社会を望んでおり、(都会から見れば)理不尽な田舎の慣習や人間関係などを撲滅したいと秘かに願っている人もいるのだ。
今回の記事がどうのというのではないが、案外、田舎や田舎暮らしに対する敵意は根強いように感じるのだが、いかがだろう。
無関心さかと思ってました。
政策にしても、経済にしても都会からの視点ばかりなので
無関心なゆえに切り捨てられ田舎を好めば物好きな…というやや冷ややかな目を向けられる、
その程度のことかと思ってました。
失敗談が好まれる(?)のは確かに、敵意なのかな。
田舎暮らしに憧れるけど自分には無理。だから実現した人が妬ましい。失敗談は、ほうら見ろ、という感じで溜飲が下がる。
田舎の人も、よそ者は…と思ってたり。
そういうことはあるかもしれませんね。
ただ、確実に田舎嫌いはいると思いますよ。自然がいっぱいなのが嫌い、素朴なのが嫌い、不便なのが嫌い……。田舎暮らしをめざす人は負け組と思っている人。
その裏返しで、都会憎悪もありますが。コンビニはエネルギーの無駄遣い、百円ショップは途上国の搾取。観光地でもリゾートはけしからんとか、お金をばらまくのは止めようとか、言い出す人。
田舎から都会に出てきた知人が言っていたのと全く同じだ。
もともと都会にいて都会大好きな人も似たようなこと言ってるかな…
不便だとか、虫がいる(^^;とか退屈とか、遊びに行くのはいいけど住むのはねぇ。とか。
でもこれは敵意ってほどでもないか。
ただ、仕事がからむといろいろあるんでしょうね。うちの周りは田舎すぎて、近所に家はあっても毎日誰にも会わず、都会以上に人間関係がありませんから楽。団体行動が苦手な人は無理に地域に合わさず自分で行動するのがいいのかも。私は人間関係が限られた地元で仕事は絶対にしませんからね。
田舎は人間関係が濃密…というけれど、さらに田舎になると、濃密になる人間が周辺にいない…(^^;)。
田舎嫌いの人には、そういか過疎を超えた限界集落に行ってもらうとよいかもしれない。
ただ田舎暮らし希望者の中にも虫嫌いはいて、それでどうして田舎に住むんだ、と思うのですが。