シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley長坂 玲 ブリュッセルの夜

2012年01月04日 09時29分53秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley長坂 玲 ブリュッセルの夜


あっという間に 夜六時が過ぎ
おお嵐も おさまり 懐かしの市内の光景をキャリヌの車から眺め
「昔は 私もお魚のように 運転していたのにキャリヌは
運転が上手よね。 何だか まだ この町で運転できるか
心配よ」といううと
「まさか 出来るわよ。 是非 運転するべきよ」前向き。

アヴェニュー ルイーズの 押野久美子さんのブティックに寄ると
閉まっていて いつも 年末年始はスペインにバカンスだから
・・・・残念。
駅まで キャリヌは 送ってくださったものの
一人で 散歩したい気分になり
タクシーで
サブロン広場 ウィッタメールのチョコレートを買い
歩いて グランプラスへ・・・
冷たい空気の美しい広場 「ビクトルユゴが 世界一美しい」と言った
広場で 煙草を吸い



また 歩いて
初めて この町に来た日 止まったホテルへ・・・
あの時のままの 建物は 違う名前のホテルになっていました。
一人 夜の散歩。
若いころ 勇気と希望にあふれ 西洋に来て
そして 自分の力の無さ 異国での寂しさに 耐えられず
孤独と戦っていた 私は もう 居ません。
経験という宝が人生を豊かにしてくれました。 
ロベールは他界し ジュリエンヌは 病院。
下宿した 二人の あの大きな家は すでに 他の方に売ってあり
ご夫婦が 亡くなると同時に 人手に渡るように なっているらしい。
私は
年齢を重ねて この町がますます好きだと感じます。
巴里より 物価も安いし 落ち着いていて 静かなのに
今は
寂しさを感じない。
雨が上がり 月が 綺麗。寒くもなくなって 
目いっぱい 街を歩きました。


パリ行きの 汽車に乗ったら 気絶。ぐっすり眠っている間に
パリ北駅に 着いてしまいました。
12時間ぶりに パリのアパートに戻ると
我が家に 戻ったみたいな気分です。

パリの部屋が 成城の我が家に居るみたいに感じるようになってきて
居心地良くなってきました。
一昨日の晩は 八時間も 続けて眠れてしまったほどです。
雨音が 聞こえていたからかもしれません。
女は強い。
何処でも 直ぐ順応してしまうのよね。

シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲 ベルギー ブリュッセルの雨

2012年01月04日 07時44分58秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲 ベルギー ブリュッセルの雨



パリの 北駅 Gare du Nord までは我が家からメトロで二十分です。
タリス という電車で一時間二十五分で Bruxelles ミディ駅に着き
お昼 グランプラスの 海鮮レストラン街で一番デラックスな お店
Aux armes de Bruxellesで キャリヌと 待ち合わせしました。



二人とも ほぼ 昔のままで 最期に会ったのが1999年だと 私は
思い出しました。
今50才で バリバリ キャリアウーマンで 一人暮らしです。
昨日までドバイ で両親たちと
バカンスで 一月三日 午前中に仕事に出て 私のために
午後は 休みにしたのよ・・・と。

ベルギービールを飲み 素晴らしい白ワインブルゴーニュ
私は ゼランドの生カキ No3を 六個と ムール マル二エール
デザートはアイリッシュウイスキー。
この レストランを指定したのは私ですが ベルギー人たちも
愛する店です。この店で 私が注文する ものは 彼女はすでに
予測しています。彼女と来たこともないのに・・・
私の 好みは 皆 ロベールから聞いているらしい。
シャンパンが好きでしょ。どうして飲まないの?

ロベールの死に至る顛末 今の状況 どれだけ彼と愛し合ってたかとか
玲子は 昔から 優しかったし ここに来てくれて
嬉しくて仕方ないと ほっぺに口づけの嵐。
お会計になって
とても高かったのに 六歳年下の 彼女に 無理やりご馳走になってしまい
あら どうしよー
そしてロベールの お葬式の時の写真もくれました。

彼女も 寂しいのだわ。内縁みたいなものだから。
私は知っていたけれど。彼女は離婚して 子供はいないものの
ずーっと 一筋にロベールを愛し続けていたのだから。
毎日 二回以上電話してくれてたのよ。
毎週 一 二回は会っていたのよ。32才年上のロベール以上に
素敵な男性はいなかったし 私が いつも ロベールに
ご馳走していたの。時々 ジゴロみたいだねって
ロベールが 言っていたけれど それで 良かったのよ。
素晴らしい人だった。死ぬ五分前に 電話があって
臨終のときは 立ち会っていない。駆けつけた時は もう 
この世に居なかった。

三時間以上 話し込んで ロベールの奥さんジュリエンヌの病院へ。
突然の 大雨と大風。道は 浸水状態で 大渋滞です。
二人とも タバコ吸いで 彼女のBMWに乗せていただき 40分離れた
場所まで 葉巻をくれたり 煙草をくれたり 
私は シャンソンを 歌い続けて 大合唱。Non rien de rien
ピアフのシャンソンから何から何まで しめっぽくならないように
りりさんパワー全開。

奇跡は 起こるものです。
認知症が酷いから 玲子のこと分からないかもよ。と
言われながらも
私には そんな気がしなかったのです。

老人ばかりが いる病棟の奥に ジュリエンヌが 待っていました。
今日は 私が来ると 知っていて 特別に クリーンな状態らしくて
ロベールが亡くなって 病院に居ることも分かっていました。
ハイヒールを履いていないこと
病院だから おしゃれが出来なくて こんな格好でごめんなさい とか。

「ジュリエンヌ とても 綺麗よ。優しい笑顔が 魅力的よ。とても82才には
見えないわ。東京から パリ経由で会いに来たのよ 貴女の娘のように
貴女をあいしているわ」
私は 必死でした。手を握って離してくれません。
「一人ぼっちで 自宅にいるより ここに居れば安心ね。」というと
うなづきます。
口づけの嵐。
ナースセンターの看護婦さんたちに ジュリエンヌは
「玲子が 私に会いに 東京から ここまで来てくれたのよ」と
前面の笑顔で 突然に報告に・・・・

奇跡みたい。私の話は 何もかも理解できて 周りの人たちも びっくり。
地下のCAFEに 皆で行きました。
やはり 昨年五月に 私とロベールと三人で食事したことや
その他 分からないこと 忘れていることも 多いけれど
とりあえず 以前のジュリエンヌより マイルド
「ロベールがいなくて一人で 生きることは辛いと思うけれど また 会いに来るから VIVRE 生きましょうね。私も一人よ。」
シャンソン歌うと ジュリエンヌが一緒に歌い始めました。
私の目から涙が
ポタポタ 私は 微笑んでいるのに ただ ポタポタ
から ぼたぼたと 関をきったように 止まりません。
「玲子の涙は 昔から 笑いながら Pipiオシッコのように 溢れるのよ」
と ジュリエンヌが みんなに 説明しています。
優しい 笑顔のジュリエンヌが 私をすがるように見つめます。

実はジュリエンヌは とても キツイ性格でしたから
ちょつと 近づきがたい 怖いところもありましたし
楽天家で快楽主義のロベールが 盛り上げる会話を 盛り下げる
ような 厳格でペシミストのジュリエンヌの周りには
あまり 人が集まらない・・・キャリヌも私も それを知っています。
「ジュリエンヌ ねぇ 昔は 怖かったけれど・・・今
とつても 綺麗で若返ってマイルドね。」というと
満面の笑顔。


また 来るわね。
わずかな時間でしたけれど 奇跡の再会と 奇跡の笑い声が病院に
響き渡りました。

キャリヌには 「ロベールが愛したのは 貴女だけよ。こうして
ジュリエンヌを 大切にすることは 彼は 天国で見て喜んでるはず。
貴女って 良い人ね」
「玲子 ロベールに奥さんとの離婚を頼んだこともあるけれど
人を傷つけることは 出来ないといわれたのよ。
奥さんは 何も疑わず ずーっと 隠し続けたから
玲子に知ってもらえていて 嬉しい」

シャンソンみたいに 人生は不思議。私はドラマを見ているように
胸が 締め付けられました。
涙が 止まらなくて コンタクトを外して 眼鏡をかけて
思いっきり 冗談言って 笑って シャンソン歌って
大嵐の 中 キャリヌと ブリュッセル市内へ・・・・