私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

青倉山 あおくらさん 811m

2021-10-23 12:41:57 | 山歩き
 10月23日(土)    天気:晴れ+薄雲    室温:22.3℃

 今回の山歩きは、2002.12.1に登った朝来市の青倉山810.5mです。
朝来市東部 黒川ダムの北にあります。 旧 「ふるさと兵庫50山」 の13番の山で
す。 中腹に 千年を越える悠久の歴史を持つ 青倉神社があり、ご神体は 本殿裏の巨
岩だそうですが、本殿傍の岩場から湧き出る水は ホウサンを含んで 目の病に効くと
いわれ、目の神様をして有名です。 神社の近くまで 車道が通じ 駐車場もあります。

  
 神社にお参りして、道標に従って 南に回り、黒川ダムから上がってくる道と合流し
た峠の分岐から 方向を変え 北へ登ります。 小ピークを越えて尾根を登り、関電の
大きな反射板のある山頂へ登ります。





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白山・妙見山 みょうけんさん 622m

2021-10-23 11:42:11 | 山歩き
 10月23日(土)   天気:晴れ    室温:24.3℃

 今回の山歩きは、2002.12.23に登った 西脇市の白山510mと妙見山621.7
mです。 旧「ふるさと兵庫50山」 で紹介されていますが 36:白山 ”山岳信仰の道をた
どる縦走コース” となっています。 白山より 妙見山の方が 高く、三等三角点もありますが、
妙見山という名の山は 他にもあり、白山の方が 展望が良いので・・・。


 本では、前坂集落から 白山へ登るルートとなっていますが、門流から登る方が 近いので、
門流から 妙見道経由、まず 妙見山に登り、縦走路を西へ進み、白山へ登り、門流へ降りる
ルートをとりました。
 妙見堂は 妙見菩薩をまつるお堂です。 妙見菩薩は 北極星を神格化した菩薩で、尊星王、
北辰菩薩とも呼ばれ 国土を守り、災害を駆除し、人の寿命を延ばす 福徳ある菩薩です。







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イーグレひめじで チャーチル会姫路洋画展 他

2021-10-21 14:04:37 | ギャラリー散策
 10月21日(木)   天気:晴れ   室温:22.0℃

 きょうは 姫路へ行きました。 イーグレひめじへ行って ”チャーチル会姫路洋画展”
を見ます。 今週 展示は これだけと思いましたが、行って びっくり・・、 ”学童絵画
展” が行われていましたが、イーグレひめじの催し物のページは 載っていませんでしたが・・。
 帰りに 山陽百貨店に寄ると、6階 催し会場で ”大絵画展” していました。 5階の美
術画廊では ”アールヌーヴォー ガラスの華展” が行われていました。

 イーグレひめじ・市民ギャラリーの特別展示室では ”チャーチル会姫路 創立60周年
記念 洋画展” が行われています。 会員11名の作品を展示。 客員は 加藤寛美さん。
 チャーチル会とは:戦後間もない東京は、虚脱した街。 まだ煙がくすぶっているよう
な街で、進駐軍なジープが 我がもの顔に走り回るのを じっと見ているばかりでした。
 その憂さを 忘れようと 銀座の檥屋という珈琲店に 毎日のように集まる数人の文化人達
が 誰いうことなく ”絵でも描いてみようよと言ったのが きっかけとなって” チャーチル会
が生まれました。

 チャーチル会は、英国の首相ウィンストン・チャーチルが 晩年 閑職に就き、野に下っ
てからは、油絵を描くことこそが 最大の喜びとしたことに あやかって 素人ばかりの絵を
描く集まりを チャーチル会 と名乗ることに始まります。 東京に生まれたチャーチル会
は たちまち全国に広がっていき いまでは 休眠中の会を除いて 51の姉妹会があり
約2000人近い会員が 絵を楽しんでいます。
 
 




 
 


 
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 第1~第4展示室では、”第75回 姫路市学童美術展” が行われています。 せっかくな
ので 見せていただきました。   第75回 姫路市学童美術展にようこそ
 姫路市学童美術展は、姫路市内の幼児、児童、生徒の優れた作品を通して、書写、図工、
美術教育の一層の充実と発展を目指し、その教育活動の成果を広めることを目的として開催します。
 
 
 
 
 


 


 
 
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 山陽百貨店の ”大絵画展” を見て、5階の美術画廊の ”アールヌーヴォー ガラスの華展”
を覗いて 駅に戻りました。 12:14の電車に間に合うかな と思いながら階段を上
がると、階段の半分くらい上がったところで、電車が出てしまいました。 まあ いい。
次の35分の赤穂行がある? しかし いつまでたっても 赤穂行の電車が来ません。


 駅員に聞くと、10月から 昼間は 赤穂行の電車が 1時間に 1本になった・・。 新し
い時刻表は? 廃止になった、スマホで 確認して。 スマホはない! JRは サービスが
悪くなりました。 30分ほど待って、12:48の網干止の電車で帰りましたが、この
電車は 姫路止まりの電車の乗り継ぎ客を乗せるので、数分遅れます・・。

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歴史教室10 「書写山円教寺を掘り下げる」

2021-10-19 13:12:17 | 歴史探索
 10月19日(火)   天気:晴れ   室温:23.7℃

 きょうは 公民館の歴史教室に出席しました。 今月は 元城郭研究室長 中川秀昭さんの
「書写山円教寺を掘り下げる」 です。 館長さんは 不在でしたが、なぜか いつもより出席者
が多い・・。    公民館だより10月号には
 「西の比叡山と称され、比叡山・大山とともに 天台宗三大道場、また 西国巡礼27番札所
として 千年の歴史が息づく 祈りの山・書写山円教寺。  長い歴史の流れの中、戦乱や風雪
に耐え 多くの文化財も 今に伝えられています。  ただ、この書写山円教寺、姫路城と同様、
身近にあり過ぎて、「詳しいことは分からない」 という方も おられるのではないかと思いま
す。 そこで、この度は 歴史はもとより 文化財に指定された建造物や 仏像、さらには伝説も
紹介し、書写山円教寺の魅力を改めて 再認識していただければ と思います。

 

 ・・・・・・・ 「書写山円教寺を掘り下げる」 ・・・・・・・

1.書冩山圓教寺の概要(※以下 書写山円教寺とします)
 ・書写山:標高371m(ふるさと兵庫100山)
 ・書写山円教寺:天台宗別格本山
 ・開基:性空上人 (康保3年(966))
 ・「西の比叡山」、「比叡山、大山とともに 天台宗三大道場」、「西国三十三カ所 第27番札所}
          「播磨六山」
 ・境内は 昭和9年(1934) 「史跡」に指定
    「東の谷」:仁王門~十妙院(壽量院、円教寺会館、妙光院)
    「中の谷」:摩尼殿及びその周辺・・巡礼・一般民衆に開かれた道場)
    「西の谷」:三之堂(大講堂、食堂、常行堂)・・僧侶を養成する道場
          奥之院:性空上人を祀る(開山堂)、護法堂及び護法堂拝殿)
          その他:金剛堂、法華堂、薬師堂、鐘楼 など
 ・塔頭:壽量院、十妙院、妙光堂、瑞光院、十地院、仙岳院の6院現存
 ・書写山への登山道:東坂、西坂、六角坂、刀出坂、鯰尾(ねんび)坂、置塩(おしお)坂
 ・書写山ロープウェイ:昭和33年開通、現在のゴンドラは4代目(H25年から)


2.性空上人(延喜10年(910)~寛弘4年(1007)・98歳没)
 ・延喜10年:京の貴族・従四位橘義根次男として 京に生まれる(俗名:橘義行)
 ・10歳から法華経を習い 密かに出家を志すも、両親 主家を許さず
 ・ようやく 36歳で 出家を許され出家
 ・康保3年(966):56歳で 新たな修行地を求め 山陽道を東へ
 ・天禄元年(970):桜樹に 天人降下、生木の桜に如意輪観音を刻み、如意輪堂創建
 ・寛和2年(986):花山法皇御幸、法皇から「円教寺」の寺号を授かり、勅願により大講堂建立
 ・長保2年(1000):書写山北方に 弥勒寺を開基、移り住み隠棲
 ・寛弘4年(1007):性空上人入滅
 ・応永5年(1398):上人に 「一乗妙行性空悉地菩薩」という菩薩号を賜る
             足利義満御教書により、「書写山女人登山禁制」
 
3.円教寺の歴史・・・・・・・・・・・・・・中ノ谷・・・・・・・西の谷・・・・・
 ・康保3年(966)性空上人入山                2間四方の草案結ぶ
    円教寺寺領:350石
 ・寛和2年(986):花山法皇御幸     ・花山法皇勅願・大講堂建立
 ・長保4年(1002):花山法皇再御幸
 ・寛弘4年(1007):性空上人入滅              御廟堂(開山堂)建立
 ・承安4年(1134):後白河法皇御幸・・摩尼殿命名 勅願・食堂創建   
       ・・・・・・・ 鎌倉時代:山上伽藍次々建造・巨大化 ・・・・・・・
     寺領27000石                    弘安の火災 御廟堂焼失
 ・元弘3年(1333):後醍醐天皇御幸    天徳の火災(天徳3年)(五重搭に落雷)
                       ・延徳4年(1492)摩尼殿焼失
                                ・永享の大火(永享8年)
                       ・明応3年:摩尼殿再建
 ・天正6年(1578):豊臣秀吉入山
             寺領27000石没収、500石のみ残す
             寺領833石(江戸時代)
                       ・明和5年(1768)摩尼殿大修理(酒井忠恭助力)
 ・寺領没収(明治時代以降)
                       ・天正10年 摩尼殿焼失
                        昭和8年 摩尼殿再建 落慶法要
 ※戦後、昭和26年から順次、文化財建物の保存修理工事(解体修理等)が続いた(平成24年まで)
 ◆如意輪観音 経緯
  ・天禄元年(970)     ・延徳4年(1492)   ・明応3年(1494)
   性空上人、生木の桜の木に   摩尼殿焼失」、同時に    同木同作の如意輪観音制作
   「如意輪観音」刻む(安鎮作) 生木桜の如意輪観音焼失   摩尼殿に安置
 ※如意輪観音は 慈悲の化身である観世音菩薩の変化した姿。 手が6本、宝冠を被り、冠には、
  阿弥陀如来が描かれている。 手が6本は 六道(天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、
  地獄道)の衆生を救うために6本の手。
  右・第1手:頬杖をつき思椎の相、第2手:掌に如意宝珠を持ち 願いを満たし 餓鬼道救済、
    第3手:畜生の苦を救う
  左・第1手:修羅道救済、第2手:人道の罪を蓮華で清める、第3手:宝輪を持ち 天道のために
    法を説く輪法輪の姿


 ◆書写山円教寺の文化財
 1.仁王門(江戸時代・県重文)
  ・三間一戸の八脚門(中央通り抜け) ・三つ棟構造(屋根) ・両脇に仁王像
 2.仁王像(木造金剛力士像)(室町時代・市重文)
  ・一対で 阿(みぎ)吽(左)の呼吸をつくり 聖域の守りとなる
  ・鎌倉時代と比べると 幾分気迫乏しい

 3.塔頭・壽量院(江戸時代・国重文)
  ・承安4年(1174):後白河法皇が 7日間ご参籠のときのお休み処
  ・永禄元年(1558):長英中興も 焼失、貞享(1684)~元禄年間に再興
 4.塔頭・十妙院(江戸時代・国重文)
  ・円教寺型塔頭(壽量院とは左右逆の配置、狩野永納作襖絵(国重文、迎賓館として利用

 5.摩尼殿(昭和時代・県重文) 西国三十三ヶ所観音霊場 第二十七番札所
  ・天禄元年(970):創建(如意輪堂)
  ・本尊:六臂如意輪観世音菩薩(県重文)、四天王立像(国重文)
  ・大正10年(1921)焼失、昭和8年再建
  ・懸造り(舞台造り)

 6.湯屋橋(江戸時代)
  ・元和6年(1620):姫路藩主 本多忠政再興
  ・湯屋橋:この付近に湯屋(沐浴所)があった
 7.三之堂(講堂、食堂、常行堂)(室町時代・国重文、コの字型、修行道場として円教寺の中心)
  7-1.大講堂(円教寺本堂・僧侶の学問・修行の場)
   ・寛和2年(986)花山法皇勅願創建
   ・本尊:釈迦三尊像(平安時代・国重文)(中央・釈迦如来像、右・普賢菩薩、左・文殊菩薩)
   ・天台宗の伝統的な本堂形式(内陣・土間(瓦敷))
  7-2.食堂(修行僧の寝食のための寮)
   ・承安4年(1174):後白河法皇勅願創建
   ・本尊:僧形文殊菩薩像
   ・総2階建(桁行15間、梁間5間)の仏堂
  7-3.常行堂(常行三昧※をするための道場)
   ・本尊:丈六阿弥陀如来像(平安時代・国重文)
   ・方5間東向き常行堂、北摂し中門・楽屋および中央舞台(大講堂の釈迦三尊に舞楽奉納)
    ※「常行三昧」:ひたすら阿弥陀仏と唱えながら 本尊の周りを廻る修行

 8.金剛堂(室町時代・国重文)
  ・塔頭普賢院の持仏堂(普賢院は現存せず)
  ・本尊:金剛薩埵座像(南北朝・県重文)
  ・天井画(室町時代):金剛薩埵と性空上人が対面する周囲で天女たちが様々な楽器を手に
             踊る様子を描く
 
 9.鐘楼(鎌倉時代・国重文)
  ・袴輿付鐘楼(正規)で 最古  ・建物元弘2年(1332)再建、鐘:元享4年(1324)再鋳
  
10.薬師堂(鎌倉時代・県重文)
  ・性空上人創建と伝わる  ・本尊:釈迦如来  ・元応元年(1319)頃の建物
11.法華堂・十地院
  ・寛和元年(985)播磨国司藤原季孝建立、 ・建物は江戸時代の造立

12.奥之院(開山堂・護法堂・護法堂拝殿(国重文)・不動堂
 12-1.開山堂(江戸時代・寛文13年(1663)再建)
  ・寛弘4年(1007)性空上人入滅後、弟子延照が創建
  ・開基性空上人を祀る   ・本尊:木造性空座像(国重文)(像内に上人の遺骨発見)
  ・軒下(3か所)力士像(左甚五郎作)  ・蟇又(21ヶ所・中国神仙彫刻等)
 12-2.護法堂(室町時代・永禄2年(1559))
  ・創建は 開山堂と同時期か(延照)  ・一間社隅木入春日造・檜皮葺
  ・性空上人に 終生仕え守ってきた 右・乙天(不動明王)、左若天(毘沙門天)の護法童子を祀る
 12-3.護法堂拝殿(安土桃山時代・天正17年(1589))
  ・創建:開山堂と同時期か、護法堂に向かい合って建つ、「弁慶の学問所」とも呼ばれる伝説


 ≪伝説≫
  ・逃げ出した力士像(左甚五郎作)・・開山堂の軒下で屋根を重みを必死に支える力士像
   ただ 北西隅にはなく、あまりの重みに耐えかねて 逃げ出したという。
  ・武蔵坊弁慶伝説:弁慶が 7歳から10年間、書写山で修業したといわれ、ゆかりの伝説も
   残る。・・・「弁慶お手玉石」、「弁慶の鏡井戸」、「弁慶の机」
 12-4.和泉式部歌塚
  ・「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥に照らせ 山の端の月」
 12-5.書写山に眠る姫路城主たち
  ・本多家廟屋(県指定重文):本多忠勝・忠政・政朝・政長・忠国(以上廟屋)
                本多忠刻・幸千代・宮本三木助・宮田角兵衛・岩原牛之介(以上墓碑)
  ・榊原正房・政祐墓:榊原政岑・享保19年(1734)建立
  ・松平直基墓:松平直矩・寛文10年(1670)建立

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・私が 円教寺へ行った2011年の記録は <こちら>
・東坂から 三等三角点:書写山 349.8mに登ったのは 2015.12.7 です。
 
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ルネッサンス・スクエアで 小林隆之作品展

2021-10-18 16:29:42 | ギャラリー散策
 10月18日(月)   天気:晴れ   室温:25.7℃

 きょうは、姫路市三左衛門堀西の町のギャラリー ルネッサンス・スクエアへ ”小林隆之
作品展-風の回廊-” を見に行きました。


    案内状には
 10月の企画展は、加西市在住の日本画家・小林隆之さんの個展です。
 小林さんは 岩絵具など 伝統的な日本画の材料に アクリル絵具を組み合わせ、独自の
手法で 心の赴くままに 自分らしく描きたいとの想いで 作品を制作されています。
 
 
 作品は、流れる雲、 一輪の花、佇む人物、壁に映る影、風の流れ、時の移ろいなど、
美しいを感じる 断片を集め、自分のイメージを創ります。 具象的でありながら 抽象的
でもある 不思議な世界観を創り出しています。


 今回の展覧は 当館で 25年ぶりとなる個展で、会場には これまでに制作されてきた
作品から 近作まで、大作・小品あわせて 約40点が並びます。
 ぜひ、小林さんが描く様々な美の形を 時代を追いながら お楽しみください。


・小林さんの略歴
 1960年 加西市生まれ、 1984年 愛知県立芸術大学 大学院 修了、
 1992年 青垣2001年 日本画展 河北倫明賞 受賞、 1995年 青垣2001年
     日本画展 大賞 受賞、 1998年 佐渡アートビエンナーレ グランプリ 受賞、
 1999年 絵の町尾道四季展 金賞 受賞、 2001年 版画京都展出品、
 2021年 絵のまち尾道四季展 優秀賞 受賞、世界絵画大賞展 大賞 受賞

 
 


 
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