私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

書写山・圓教寺

2011-08-15 20:57:47 | 日記
 8月15日(月)  天気:晴れ+風   室温:33.0℃

 このページは 2008.11.15の 「紅葉まつり」の書写山円教寺(えんぎょうじ)を 再編集したものです。
 写真には 2005.8.16 のものが 含まれています。(この日は 晴天でした)
・・・・・・・・・・
 11月15日(土) 天気:晴れ・曇り やや暑い   地図:姫路北部(北西部)

 きょうは 姫路の書写山に登ってきました。 日曜日は 雨 今日 土曜日も 予報が よくなかったので 止
めようかと思っていましたが 朝 起きるといい天気。 近くの書写山に 行くことにしました。 『ふるさと兵庫
50山』の43番の山ですが 何で こんな山が 50山? 三角点もないし 何所が 山頂か 分かり難いし・・。
 まあ きょうは 山登りと言うより 西国霊場27番札所・円教寺の紅葉めぐりのハイキングで もみじまつり
も 始まったようです。 でも 観光客の多いのには 参りました。
 山頂近くに 白山権現があり 性空上人が 六根清浄の行をつんで 心眼を開いたとされます。 それ以前
に 祠があり それは 素盞鳴尊(すさのうのみこと)を まつるお堂で 故に この山を「素盞の杣そま」 と 呼
んだ。 書写山の名は これに由来する といわれるそうです。
 

 8:00 出発。 国道2号線を 東へ走り 夢前橋を渡り 直ぐ 左折。 県道516号線を北へ向かい 上手
野の信号で 左折して 田井橋を渡り 右折して 夢前川沿いに 北へ。 曽左小学校で 左折して 少し 西へ
進むと 広い空地があり 前方に 書写山の全容が望め ロープウェイ山上駅も見えます。 写真を撮って
川沿いの道に戻り 北へ。 書写橋を過ぎ 山陽道の高架下を 西へ入ります。 いつものように 道路脇に
駐車しようとしたが 1台も 停めていない。 通りかかった人に聞くと 高架下のフェンスの中が 無料駐車
場らしい。 いつの間に? 8:45 駐車。 家から 寄り道も含め 15.4km。 すぐ スタート。

 書写山の登山道としては 本にあるように 東坂、西坂、置塩坂、六角坂、刀出坂、鯰尾坂の六本の参
道があるそうですが 私は 書写山には 3、4回登ったが いつも この東坂コース。 この六道は 仏教で
いう六道 と関係があるのでしょうか? いつだったか 『播州野歩記』さんが 一日に この六コース全てを
登り、降りされた記録を見たことがありますが・・・。 上のマップには ロ-プウェイ山上駅までの登山道
は 描かれていません。  高架下から 住宅街を抜け ちょっと 分かり難い道を 登山口へ。 女人堂は?

 この道は よく踏まれていて 凄く硬いが 長年風雨に曝され 岩も露出し デコボコで 荒れて歩きにくい。
9:07 五丁の大日如来を過ぎると 林の中のなだらかな道になります。 後方の景色を 見ながら登り
9:13 岩場を登っているとユニホーム姿の小学生が登ってきた。 挨拶をしてきたので 何人?と聞く
と 23人とのこと。 何人か 先に行かせ 写真を撮りました。 分岐が あったので 少年達と別れ 右の紫
雲堂跡へ上がります。

 東屋のある紫雲堂跡は 南が開け シートが敷いてあり ハングライダーの基地のようです。 見晴らし
は いいが 南は 今日もモヤが濃い。 紫雲堂は 昔の湯茶の接待所で 性空上人が来たとき 紫の雲
が たなびいていた? 紫雲堂跡の上が ロープウェイ山上駅です。 少年野球団について ベランダに
出ると 丁度 下りの 9:30の電車?が 発車した。 階段を上がって 誰もいない展望台に上がりました。
 南の見晴らしは いいのですが モヤで・・。 ここから姫路城は 見えないのか? 低い山が並び・・・

 全然同定が できない。 瀬戸内海が 赤く染まっていたが 写真は ぼやけてしまった。 展望台から降
りて 志納所で 300円を払って 円教寺の境内へ入ます。 六っつの登山道で 料金を徴収するのは ここ
だけ。 ここからの登り道は 西国三十三ヶ寺巡礼の道で 10mおきに並ぶ仏像を見ながら 歩きます。
 石仏ではなく ブロンズ像なので 細かい描写が 具現され 芸術的で 見るのも楽しい。 千手は 分か
りますが 千眼は どのように 表現されているのでしょう?

 仁王門に近い所に 馬頭観世音菩薩像が ありました。 地元の朝日山の山頂近くに 石仏があり やま
あそさんに 馬頭観音だと 教えてもらったのです。 人が死んだら 六道で 生死を繰り返す いわゆる六
道輪廻の畜生道を救済する観音様で 悪を滅ぼすに 相応しい憤怒の表情が 私は好きです。 この馬頭
観音は 右ひざを立てた輪王座の形です。 右手には オノを持っています。 しかし この馬頭観音を撮る
のは 大変でした。 観音の高さは 私の背より高く 馬を 撮るのには 台座の上に 上がらなければならな
い・・・。 誰も 見ていなかったかな・・・。

 9:59 そうこうしているうちに 仁王門に出ました。 ここは 十八丁。 やっと一本だけ紅葉しています。
ここから しばらく 何もない道を歩き 円教寺会館を過ぎ 10:06 十妙院の前に出ると 白壁の上に い
い紅葉の木が 見えたので 階段を上がり お庭から 紅葉を撮りました。 もみじまつりの期間中 この
十妙院の内部が 公開されていて 狩野永納の襖絵を 見ることが 出来たのですが・・・。

 ここから 右に カーブして 降りると 右の弁慶が お手玉して遊んだ 弁慶石を横目で 見ながら 10:
15 摩尼殿の前に出ました。 摩尼殿の前の はづき茶屋や 放生池、本坊事務所の辺りも きれいに
紅葉していました。 摩尼とは 梵語にて 如意の意なり 六臂なるは 六道に迷える衆生を意の如く 助
け給うとて「六臂如意輪観世音菩薩」と称す。 後白河天皇 摩尼殿 と名付け給うと どこかに書いて
ありました。

 私のカメラでは 摩尼殿の周りの紅葉を含めた全貌が 収まりません。 この辺りの紅葉も ほぼ 見頃
を迎えています。 階段を上がり 靴を脱いで 摩尼殿にお参りしました。 中国人と思える若い女性の
グループと 一緒になりましたが 引率の男の人も 居たので 集団就職してきたのかな? 中国語が 話
せないので 声は 掛けられません・・・。
 書写山円教寺は 平安中期の966年 性空上人が 開いた 天台宗の大寺で 宝灯千年の歴史をもつ
由緒あるお寺で 西の比叡山と呼ばれている。 現在 境内は 国指定の史跡です。


 摩尼殿の裏から 書写山に登れますが 前回 道が 荒れていたので 階段を降りて 摩尼殿の下から 西
へ坂道を上がることにします。 瑞光院の前を通り 10:38 常行堂の前 本多家廟所に出ると 木々が紅
葉しています。 ここも 祭りの期間中公開されています。 門を潜ると 中に 五棟の廟屋があり 本多忠勝、
忠政、政朝、政長、忠国のお墓となっています。 お墓と言っても 五輪塔です。
 本多忠政、政勝は 姫路城の城主だったそうです。 左奥の建物の無い五輪塔は 忠政の子・忠刻と 孫
の幸千代のお墓で 忠刻は 千姫と結婚し 姫路城で 幸せに暮らしたが 31歳で 没し ここに 葬られた。
千姫は 大河ドラマで 注目されているお江の長女です。
 このように 大きく立派な五輪棟は 滅多にありません。 そうそう 大寺山の南の梅岳寺の新宮藩主のお
墓・五輪塔も 立派でした。

 廟所の前は 広場で 大きな木造の建物が コの字形にあり 左が 常行堂で 正面が 食堂で 右が 大
講堂です。 本多家廟所を 後にし 大講堂の右から 北へ登り 山頂を目指します。 100mも 行くと 右
に 細い道があり ここから 山に入ります ここから 白山権現までが 本当の山道で 4階建ての森林。
 高木層、亜高木層、低木層、草木層からなり どの層も適当に 木漏れ日を受けて 成長している。
10:50 白山権現に 登りました。

 白山権現の謂れについては 頭書に書いたとおり 性空上人が 悟りを開いた所です。 白山権現
の右から 石碑を見て 左に廻ると 神戸ツキワ会のプレートのある辺りが 書写山の山頂でしょうか?
10:50? 登頂。 前回 あった西宮勤労者山岳会のプレートが 見当たりません・・・。 ここは 三角
点がなく 371mの標高点しかないので 何所が 山頂か 分かり難いのです。

 登ってきた道を降ります。 分岐へ降りて 右の大講堂へ降りたのですが 直進して 仙岳院へ行けばよか
った。 大講堂の前は 人が多くなっています。 常行堂の横から 南へ歩き 11:02 鐘楼の前から法華
堂へ。 この辺りの紅葉も 見頃です。 十地院の前から鐘楼を撮ったのですが 手前の木が 邪魔でした。

 西の榊原家の墓所を見て 西へ廻り 11:09 金剛堂へ。 金剛堂は 三間四方の小堂で 性空上人の
住居とされています。 ここも公開されていて 天井に描かれた 天女が舞い踊る様子を 見ることができま
す。 天井絵は やや ぼやけています。 この辺りの紅葉が 一番の見頃だったように思います。
≪追記≫ 後日 ウェブを見ていると 榊原家の墓所にあるのは 五輪塔と 亀趺(きふ)なのでしょうか?
       亀趺があるのなら 是非 見てみたい。 姫路城・城主のお墓には 亀趺は付き物?
 南の東屋のある展望所へ行きましたが 展望は モヤで よくない。 家島は 全然見えません。 金剛堂
の西の広場では 草笛愛好会の演奏会が 行われていて その横で 摩尼殿で 会ったチャイニーズが 車
座に座り お弁当を 食べていました。

 西へ降りて 石垣の横を 北へ歩き 刀出坂・登山道を左に見て 奥の院へ。 奥の院にも見所は 色々
ありますが 生憎 工事中で 鉄パイプの櫓に覆われています。 護法堂拝殿と開山堂の全景は 撮るこ
とができません。 開山堂も この時期 公開されていて 上がると 住職が 女性のグループに 説明され
ているのを 横で聞くことが できました。 現在の建物は 1671年に 再建されたもの。 軒下に 左甚五
郎の作といわれる像(力士?)があります。 

 開山堂の北に ヤブに埋もれそうな宝篋印塔があり これが 「和泉式部の歌塚」で 和泉式部は 平安女
流歌人の第一人者で 性空上人を訪れた際 詠んだ 「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ
山の端の月」は 居留守を使われた無念さを 歌にしたもの。 当時 女人禁制だった? それを 知った性
空上人が 返した歌は 「日は入りて 月まだ出ぬ たそがれに 掲げて照らす 法の灯」
 和泉式部と紫式部は ライバルだったが やがて 歌は 和泉式部 小説は 紫式部と言われるようになり
よき友となった?

 開山堂の横に 同じ造りのお堂があり これが 護法堂で 性空上人が 当山で 修行中 いつも傍らで 仕え
た乙天護法童子(不動明王)と 若天護法童子(毘沙門天の化身)をまつる祠で 室町末期の神社建築の特
色を よく表している。 向かって右が 乙天護法堂で 左が 若天護法堂です。 その右の 石垣の上の建物
は 不動堂。 奥の院周辺には 紅葉は 見られませんでした。 

 奥の院を後にして 食堂の裏から弁慶の鏡池( 弁慶が 寝ている間に 顔に落書きをされ この鏡池で 自
分の顔を見て 怒った弁慶が この辺りを 丸焼きにした? 大正末期に 失火で 全焼したそうですが これ
は 時代が違うようです )を見て 大講堂の前に出て 広場を横切って 本多家廟所の横のベンチに 座り
まだ 12時少し前ですが ここで お弁当を食べました。 食べている間も ベビーカーの赤ちゃんから 80
過ぎと思える老人まで 色々な人が 通り過ぎて行きます。 犬を連れた人も 多かった。 
 腰をあげ 坂を下り 樹齢700年の大杉を見上げ 大仏の前から大黒堂の横に降りて 瑞光院の紅葉を
撮り 摩尼殿へ下り 来た道を てくてく歩いて 12:49 ロープウェイ山上駅に戻りました。
 ロープウェイで 降りようかとも思ったのですが・・・。 東坂を降りながら 一応 一通り 全ての施設を見た
つもりだったが パンフレットを見ると 仙岳院、薬師堂、松平家墓所、文殊堂、妙光院などを 見ていませ
ん。 また いつの日にか・・・。

 13:22 車に戻りました。 スタート時 路上駐車の車は 1台も無かったが 路上に車があふれています。
ガードマンが出て 交通整理中。 私が車を出すと 入れ替わりに 1台入ってきた。 驚いたことに 川沿いの
道に曲がると 駐車中の車が ずらっと 書写橋近くまで並んでいます。 書写橋の周辺も 車が多く 特に 東
西方向は 渋滞気味で 信号の無い交差点を 抜けるのに 苦労しました。 14:06 家に帰えりました。
 翌日の日曜日は 午前中 雨が降ったので 土曜日に行っておいてよかった。 書写山 特に 円教寺は
いい勉強になりました。
 本日の走行距離は 往路:15.4km 復路:13.9kmで 計:29.3kmでした。
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