私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

岡山県の一等三角点の山 16座

2020-04-20 11:44:47 | 山歩き

 4月20日(月)   天気:曇り のち 晴れ?   室温:19.8℃

 いま 外出を自粛する必要があり また あちこちの展示が 休止され 行くところもありません。
むかーし ブログを書き始めたころは ”サンデーマイカー日帰り登山” の名称で 山歩きのレポ
を書いていました。 あるとき ぷららブローチのブログが 店を閉じ 特に 「宍粟50山」 のペー
ジが 何ページか 消えてしました。   最近 暇なので 2008年のページを修復していますが
きょうは その中のページから ”岡山県の一等三角点の山” を復活しようと思います。
 兵庫県には 一等三角点の山が 21座あり 全山踏破し ページを書きました(2008.7.
30
)が 岡山県には 一等三角点の山が 14座あり 全山踏破しました。 花見山は 岡山県の

山?  また 兵庫県との県境には 日名倉山があり、鳥取県との県境には 仏ヶ仙があり、これら
を含めると 16座になります。   そして 京都府には 一等三角点の山が 7座あり、5座 踏破
したので 時間があれば これも いつか書きたいと思います。 自宅謹慎はいつまで 続く?
  
1.滝山 1196.47m 2007.5.3登頂 ・・・・・・・・・・・
  滝山へ登るのには 苦労しました。 『岡山県の山』の欄外に 自衛隊の演習場 内の通行は
  演習実施中は 禁止されるので 奈義町役場に問い合わせするよう書いてあり 役場に 電話
  すると 原則通行禁止です と言われ・・。  調べると 自衛隊も日曜は 休みますよ という
  人もあり・・。  思い切って 決行すると 案ずることはなかった。 那岐池横の入口の扉は
   開いていて 近くにいた人に聞くと どうぞ と言われました。

  演習地内の道を みそぎ橋まで行き 駐車。 渓流沿いの雰囲気のいい道を登り 滝神社へ。
  奥ノ院分岐を過ぎ クマザサの道を ブナを見ながらの登りは 長く しんどかった。
  稜線に出て 左へ少し登ると展望台のある山頂。 展望台の階段の下に 一等三角点があります。
  このときは 山頂で 会った人に誘われて 縦走路を 那岐山まで 往復しました。



2.妙見山 519.2m  2005.3.21登頂  地図:日笠 ・・・・・・・・・
  山と渓谷社の分県ガイド 『岡山県の山』 46番の妙見山は 大芦高原にあります。 備前ゴルフ
  場を 目指して 山道を登り 大芦高原温泉雲海の湯を 過ぎ ゴルフ場の手前の道路脇のスペースに
  車を置き 5分ほど歩き 三角点に到達。 超省エネ登山で 山歩きする暇も ありません。
  周辺を散策しましたが 特に見るものはありません。 車で 大芦池に降りて 本にある長福寺の
  三重塔を見に行きました。


3.烏泊山 319.14m 2005.12.11登頂 地図:日生・片上 ・・・・・・・・・・
  この山は 本には載っていませんが WEBの レポを参考にしました。 国道250号線を走り
  赤穂線 日生駅を過ぎた 少し先で 右に曲がり JRを越え 池の西から日生の斎場を目指します。
  斎場の手前から 左の林道のような道を進みますが 何年も整備されていないので 草ボウボウで
  歩きにくい。  狭い平坦地の山頂に 一等三角点があります。 山頂から見晴らしがよく
  日生湾が見え また 日生港から 街の奥に 烏泊山の山容をを望むことが出来ます。   


4.泉山  1209.11m 地図:奥津  2004.11.7登頂 ・・・・・・・・・・
  泉嵓神社の近くに 車を置き 山へ取り付き 福ガ乢へ出て 左の尾根を登り 井水山1150mに
  登る。 この稜線には リンドウの花がたくさん咲いています。 井水山から前方にピークが並ん
  いるのを見ながら ピークを越えていく。  西の覗き岩へ行き 1198m峰への登り下りは
  思ったより 楽に登れました。 山頂へは 一番乗りだったが 直ぐに 北から 若いグループが
  登ってきた。 三角点の北の岩の上から 360度の展望らしいが モヤで 展望は 良くない。



5.星山 1030.29m 地図:横部  2007.10.28 登頂 ・・・・・・・・
  山と渓谷社の 『岡山県の山』 24番の星山を参考に 登りました。 中国道・落合ICから
  国道181号線を走り 折角なので 神庭の滝を見ようと 県道201号線を登ったのですが・・
  登山口から雰囲気のいい道は 見晴らしも良く 申し分ありません。 南の前山から見上げる
  星山は 素晴らしい。 山頂からの北の見晴らしが 今一だったので 少し北の尾根を歩いてみと
  扇山943mの先の鞍部まで行きました。 ここから大山や蒜山の山並を眺めることが出来ます。


6.大平山 698.09m 2009.6.27登頂 地図:有漢市場 ・・・・・・・・・
  大平山は 岡山県のほぼ中央部 岡山自動車道の有漢ICの直ぐ 東にあり 車で 行くには
  大変便利です。
  農道を進み 大平山の道標から細い舗装林道に入り 、曲がりくねった道を登り 山頂尾根道に
  突き当たる。 案内図によると この辺りは 大平山生活環境保全林として 整備された公園。
  ここは 地図の696m標高点で 電波塔の印のある頂ですが 駐車場がなく・・。 
  尾根道に戻り 真直ぐ 北へ進むと 大平山。 展望台からは 南から北へかけて 大展望ですが
  モヤが・・・。  三角点が見当たりません・・。 一輪のササユリが 咲いていますが・・。

   なんと ササユリの後ろのフェンス際の 雑草の中に 三角点がありました。 残念ながら 角を少し
  削られていましたが 一等三角点は さすがに大きい。 あまり広くない山頂で 三角点を探すのに
  30分近く費やしてしまいました。 三角点を撮って 東屋に降ります。

7.八丈岩山 280.90m 2006.4.29登頂  地図:犬島・宇野 ・・・・・・・
  岡山市の南に児島湾があり 児島湾大橋を渡って 児島半島に渡ると 岡山市と玉野市の境界に
  山が並んでいます。 児島半島に渡り 県道を真直ぐ 南へ進むと 自然と金甲山へ登ってしまいます。
  山頂のレストランの直ぐ横に 二等三 角点があります
。 児島半島の八丈岩山281m、金甲山403m、 剣山277m、貝殻山288mの四山に登れば
  一等、二等、三等、四等三角点を 揃い踏みできます。 金甲山から降りて 市堺の県道463号、
  別称光南台スカ イラインを 東に向かい 天目山に登り、貝殻山に登り、東に移動し 岩の三頂山に登り
  八丈岩山へ歩きます。 この辺りには いい遊歩道があり 瀬戸内海の展望は 良好です。



8.花見山  1188.1m  2010.5.15登頂 ・・・・・・・・・・
  新見ICを降りて 国道180号線を北上し 成地で左折して 県道111号線に入り 桑平峠を越え
  鳥取県に入り 花見山スキー場の道標で スキー場へ向かいます。  舗装されたスキー場内の林道を
  上がり 林道最上部に 駐車。 ゲレンデ最上部が 登山口。 尾根を真直ぐ北へ歩くと 花見山山頂です。
  標高980m辺りに 駐車し 1188mの山頂へ登るので マイカー登山に最適の楽チン登山です。


  山頂から 大山は見えないようなので 尾根を北へ歩いてみます。 北の千屋温泉へ 道があるよう
  です。 クマザサを掻き分け 2、300m下ると 右前方の雑木の疎らな所から大山が覗いてい
  ました。 ヤブを右へ降りて 大山を撮りました。

9.天神山 777.3m 2010.7.17登頂 ・・・・・・・・・
  県道33号線・坂本辺りにある登山口に車を停め 本のルートを登ります。 山上にある天満神社へ
  の参道のようで 一本道です。 尾根?に出たところにある道標が 天神山・天満神社の分岐と勘違い
  をして この辺りを 彷徨い・・・。 岡山県 最後の一等三角点:天神山 を踏み、引き返して
  天満神社から 鈴振岳まで 行きました。
  

  天神山に登頂しましたが、雑木に囲まれた平坦地に 一等三角:天神山 がありました。
  見晴らしのない 面白味のない山頂です。 これでは 一等三角点も 浮かばれません。
   
10.二上山(両山寺) 688.9m  2010.5.22 登頂 ・・・・・・・・・
  細い舗装路を 西へ回ると 分岐があり 二上山の標識に従って 右へ進むと 電波塔の林立する山頂。
  駐車場はありませんが 建設省二上山無線中継所フェンス脇のスペースに 駐車できます。
  山頂の遊歩道を ひと廻りしましたが 三角点は 見当たりません。 フェンスに沿って歩くと
  フェンスに挟まれた 一番高いところに 三角点がありました。 今回は 簡単に見つけることができました。
  三角点は 一辺が欠けて セメントで補修してあります。 周囲は 高木と鉄塔で 見晴らしはありません。


11.龍王山(三山竜王山) 504.18m 2010.6.19登頂 ・・・・・・・・
  井原市美星町の三山竜王山は 残念ながら 『岡山県百名山』では ありませんが 一等三角点の山で
  岡山県に一つしかない 天測点もあります。
  山陽道・笠岡ICを降りて 県道48号線を北上し まず 天文台へ寄ります。 手前に 歴史公園・
  中世夢が原があります。  次に 一等三角点の三山竜王山に 車で登り 三角点を踏みました。

  天測点は 三角点の脇にあります。 調べると 天測点は 天文測量に使われる観測機器・子午儀が大変
  重く、観測台が必要で 昭和26~33年の間に 全国に 48点 設置されたそうです。
  京都府、兵庫県に 二つづつ 岡山、広島、山口、島根には 一つづつあるそうです。 天側点は これで 4つ目。

12.金山 499.3m 2009.11.21 登頂 ・・・・・・・・・・
  きょう 本宮高倉山に登ったのですが ついでに 西にある金山にも登ってきました。
  車で山頂近くまで 行けるので お手軽な登山です。 高倉山から降りて 県道27号線に出て
  西へ向かい 新大原橋を渡り 約2km走り 右折して 踏切を越え 北へ向かいます。 少し
  先に 金山寺があるので 寄りましょう。 金山寺は 天平勝宝元年(749)に 報恩大師が
  創建したお寺で 備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹です。

  曲がりくねった坂道を登り 山頂南の階段の下に出ました。 路上に駐車し、幅の広い階段を
  上がると 山頂です。 山頂一帯は 金山休暇村として整備されたようですが 今は訪れる人も
  なく 荒れ始めています。 山頂に神社があり  神社の裏から 北へ進むと 大きな鉄塔が 2基
  立っていて 三角点は 神社と 電波塔の間あるはずです。 ありました。 神社の直ぐ裏の木立に
  囲まれて。 落葉に埋まりそうです。 一等三角点を撮って 降ります。 階段を一段降りた所に
  道があり 左(西)へ進むと 広場があり 展望台になっています。
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13.種松山 257.9m 2010.4.3 登頂 ・・・・・・・・・・・
  きょうは お花見をかねて 「岡山県百名山」33番 種松山に登ってきました。 岡山県では
  数少ない一等三角点の山なのです。 これで 岡山県の一等三角点の山14座中 10座に登りました。
  山陽道を 西へ走り 倉敷JCTで 瀬戸中央自動車道に入り 水島ICで降りて 西へ。 3km
  足らず 西へ行き 広江から北へ登ると 種松山の山頂へ着きます。

  車から降りて 手ぶらで山頂へ向かいます。 平坦な山頂公園を北へ進むと 暗い木立の中に
  四天王岩に守護された三角点:258mがありました。 北は 展望が広がっていますが 遠
  くはモヤにかすみ 近くには 目立つものが何もありません。 この一等三角点から 南西は こ
  の前行った 真鍋島、東は 児島半島の八丈岩山、北東は この前登った金山、北西は 未登の竜
  王山へと つながります。

14.真鍋島 120.4m 2010.1.10 登頂 ・・・・・・・・・・
  山陽道で 笠岡まで行き 笠岡港から高速船で 島へ渡りました。 船の便が少ないので 9:10の船に
  乗らなくては・・。 国道2号線で 笠岡駅前で 右折すると 笠岡港に出ます。
  船は 少し遅れて10:00頃 真鍋島に到着。

  船着場から北西端の天神鼻へ行き 南へ登り ふれあいパークから 一等三角点の阿弥陀山へ。
  一等三角点の点名は 真鍋島ですが 山の名前は 阿弥陀山というのでしょうか?
  海岸に沿って 遊歩道を北へ歩き 左に上がると 天神社でした。  天神社から北へ下ると 東屋が
  ある天神鼻展望台。 引き返し 擬木階段を南へ登ります。

  ふれあいパークのアスレチック運動広場を過ぎ 花の広場まで登り ふれあい広場を過ぎ 小高い
  110mピークを過ぎ 少し登った次のピークが 一等三角点の山でした。 説明板があり 山の
  名は 阿弥陀山。 地元では 山の神と呼ばれているようで 昔から農神「山の神」が祀られていて
  龍王様も祀られており、円福寺の主催で 雨乞いの行事も行われていたそうです。 千手観音石仏も
  あります。  一等三角点:真鍋島は 直ぐ分かる所にあり これで 本日の目的は 達成できました。 

15日名倉山 1047.1m 2005.5.3 登頂 ・・・・・・・・・
  本にあるルートで登りました。 日名倉神社の奥に 車を置き 林道を歩いて 奧海越へ。
  右へ進み 一ノ丸、二ノ丸を越え 山頂へ。 山頂からは 大展望で 北の山が一望できます。


16.仏ヶ仙 743.5m 2010.7.24 登頂 ・・・・・・・・
   犬挟トンネルへ曲がる分岐点の手前から細い林道に入ります。 正面に 仏ヶ仙を見ながら 慎重に
  進み 登山口の峠  登山口の路肩に 駐車。 標高600mあたりの登山口から ほぼ真直ぐ 北へ登ります。
  低いササは茂っていますが はっきりとした道になり 登り始めは なだらかでしたが 林の中のやや
  急な登りを だらだらと ほぼ一直線に北へ登り 約20分で 登頂。 雑木に囲まれていますが 北に窓が
  あり わずかに北の景色が見えますが・・・。
 ※仏ヶ仙は 中央分水嶺にあり、都道府県の境界にあり、一等三角点の山で 「三冠王の山」 と呼ばれています。


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多肉植物ベルゲランタスの花が咲きました

2020-04-18 10:58:39 | 日記
 4月18日(土)   天気:曇り 一時 にわか雨    室温:20.5℃

 秘密の花園で ミニの多肉植物を20鉢ほど 育てていますが ベルゲランタス・照波の花
が 一輪だけ咲きました。 午後 陽が当たると 花が開き 夜は 花弁を閉じます。 ハオル
チアの花も咲いていますが こちらは 色気のない花です。 昨秋 グリーンペットの白い小
さな花が 一つだけ咲きました。 ペンテリーや エケベリアや アロエの花も咲いてほしいの
ですが ミニなので 花が咲くまでは まだまだ時間がかかりそう。 ん? サボテン・フラ
イレアの先っぽから 白いひげのような・・。 花芽なら うれしいが・・。 センペルビウ
ムは カイガラムシ(浸透性?) にやられ) 2回も 枯れてしまいました。
 GW明けに 手柄山の温室植物園で 多肉植物展が 予定されていますが 中止にならなけ
れば いいのですが・・・。  4月22日 多肉植物の寄せ植えを買いましたが・・・。






※4月22日 カフェ・エルミタージュで 多肉植物の寄せ植えを買いましたが 黄色い花が
 咲いているのは ルビーネックレスと言うのでしょうか? グリーンネックレスの花とは
 全然 違いますが・・・。

 エアープランツもあります。 100円ショップで買ったものは 枯れてしまいました。

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オープンガーデンなかはりま 網干公園

2020-04-16 14:18:46 | 日記
 4月16日(木)   天気:晴れ    室温:23.4℃

 きょうは ”オープンガーデンなかはりま2020” の  ”10: 網干公園 みどりの会” へ行きました。
オープンガーデンなかはりまの前期は 17日~19日ですが あすからは 天気が良くない予報なので
天気のいい きょうにしました。 新型コロナの影響で 草遊庭など オープンを中止したところもありま
すが、ここは 公園なので いつでも オープンしています。 きょうは 誰もいなく 誰にも会いませんでし
た。 公園を 一年中 花の絶えないように、楽しんで お世話しているそうです。
 近くの22:諏訪邸にも 寄ってみましたが ここは 後期日程(5月22~24日)なので 当然 閉
まっています。 諏訪邸は バラとクレマチスが 中心だそうです。
 











 
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姫路の旧街道を歩く 西国街道篇 ①改

2020-04-14 13:59:51 | 歴史探索
 4月14日(火)   天気:晴れ   室温:19.1℃

 きょう あるところで FMゲンキのフリーマガジン ”2020春号” を入手しました。 今回の
”気まぐれ途中下車 姫路の旧街道を歩く” は 西国街道①改 (大手前~船場~龍野町)です。
 このルートは 以前 紹介され 歩いたことがありますが 今回は リメイク版です。  初めに
平成27年7~9月号から掲載をスタートした小稿。 今回の区間は 第1回に とり上げているので
すが、内容が 薄過ぎて 読み返すたびに 凹むので 再度 とり上げさせていただきます とありますが
武徳殿跡、姫路警察署跡、靄楽園跡、高札場、境橋 など 今は 見ることのできない箇所が多く、歩
いても 面白くないかも・・・。 以前 このフリーマガジンを参考に 西国街道 大手前~龍野町
を歩いたときのページ(2015.9.4) は <こちら> を見てください。
  
  
1.城下町建設以前
   陰陽師 芦屋道満の子孫とされる 芦屋道海が 1576年に著した 「播磨府中めぐり」 では、その頃の姫山
  周辺の様子を 「姫山の南に 戸数100戸ばかりの中ノ村があり、その南に 100戸ばかりの宿村、その
  南東に 約40戸の高尾の宿村があった」 と記しています。 「府中」 とは 国府に由来する地名です。
2.西国街道
   16世紀後半頃の姫山周辺には、先述の中村と宿村のほか、宿村の西に 福中村、宿村の東に 國府寺村が
  あったとされ、池田輝政の城下建設にあたっては、これらの村は 解体され 城下に組み込まれました。
   秀吉時代にも 城下町は 形成されていたと考えられていますが、それは 城の北東部の生野町、竹田町、
  堺町辺りであったと推測されています。
   市川を渡河し、外京口門から 外曲輪に入った西国街道(山陽道)は、中曲輪を避けるように 大国町で
  南下し 元塩町で 右折、坂本町まで 西進し 備前門から 船場川を渡ると 北上し、龍野町から 西進しますが
  この不自然な南下と北上は、輝政の城下建設により 西国街道が 付け替えられたことを示唆しており・・・
3.高札場
   姫路城の大手門と中ノ門を結ぶ大手筋と本町通の交差する辻の南西隅に 高札場があり、藩からの触書が
  掲げられていました。 キリシタン宗門禁止や 捨馬禁止令などが 多かったそうです。
4.二階町通り
   地図上の表示と異なり、城下が 建設された頃は、西国街道は 本町通を通過していたと 考えられています。
  江戸末期の姫路藩士 福本勇治が 著した播磨の 「村翁夜話集」 には、築城から20年余りの寛永の頃、中堀に
  堆積した泥土を さらい、その泥土で 西国街道の坂本町の道を補修したが、道がぬかるんで 通行に支障をき
  たし、人馬は 本町で南に下って 俵町を西進して 福中町に出た・・とあるそうです。
   その後、こちらが 往還(西国街道)と呼ばれるようになったそうです。
5.中ノ門跡
   中曲輪正面5門の中央にあるので 中ノ門。 外門は 南向きの高麗門(切妻屋根)。 内門は 東向きの
  櫓門(門の上に櫓)。 外門の外に 出番所、内に 大番所があり、内門に接して 櫓が設けられていました。
  中曲輪には 武家屋敷が置かれましたが、特に 中ノ門と大手門を結ぶ筋には 大身家臣の屋敷が置かれました。

6.長壁神社
   祭神の刑部大神は、古くから姫山の地主神として祀られ、羽柴秀吉の築城の際に 城下の外れに移転しまし
  たが、1583年 長壁神社として 新たに 総社に祀られました。 輝政の姫路城築城後、場内に異変が続き、
  輝政夫妻への呪いを予言した怪文書騒ぎが起こり、輝政も 病身となります。 このため 輝政は 城内に 社殿を
  建て、刑部大神を遷座したところ 病が治まったという 逸話が残っており 池田家は 実際に 八天塔を建てた。
7.姫路警察署跡
   明治34年、旧飾磨県庁舎(龍野町) から 移転。
8.靄楽園(あいらくえん)跡
   酒井家家老 本多家の下屋敷の池泉回遊式庭園を 靄楽園と称しました。 その後は 料理旅館として 不動の
  地位を築き、阪神間にも 名所として知られたそうです。

9.武徳殿跡
   日露戦争後、武道奨励から 武道殿設置の世論が盛り上がり、当時の姫路警察署長 海江田権蔵ら 有力者を
  中心に 寄付が集められ、明治40年 姫路藩の監獄後に 建設されました。
10.竪町
   1608年の町割りで 成立しました。 立町とも書かれたそうです。 江戸期の地誌 「播磨鑑」 によると
  姫路七不思議の一つとして 「横に竪町」 と言われていたそうです。 「横に長いのに 竪町」 とか・・・
  竪町筋の楯のラインは、池田輝政の城下建設において 町割りの基準となる重要な基準線でした。 ラインを
  定める時は、竪町筋から 広峰山を望んで決めたと考えられています。
11.鵰門(くまたかもん)跡
   名前の由来は 不明。 外門は 高麗門、内門は 櫓門で。外門を入ったところに 番所がありました。
  中曲輪の門のうち、土橋(撤去できない)のあった門は 中ノ門と 鵰門だけだけです。
12.福仲橋・西国橋
   先述のように 中曲輪以内は 陸軍省の管轄となった一方で、外曲輪における城郭の構造物は 大蔵省の管轄
  でした。 明治6年には 城郭構造物の諸門は 撤去・払い下げられましたが、それに伴って 町民から 道路改修
  の要請が起こりました。 二階町から福中町を経て 備前門に至るには、「コ」の字状に迂回しなければ・・・
13.船場本徳寺
   浄土真宗の播磨の布教拠点として 蓮如により開かれた 英賀本徳寺は、英賀城落城後により 秀吉によって
  1582年 亀山に移され 亀山本徳寺になりました。 その後、京都の本願寺は 東西の二派にわかれ、亀山
  本徳寺は 東派に 属しましたが、姫路藩主 池田輝政が 東本願寺の教如と不仲になり、領内の信州寺院を亀山
  本徳寺から外し、すべて 西派に替わらせたため 亀山本徳寺も 西派に属することになりました。
14.白鷺橋
   大正の初期から 姫路城の中堀は、公共用地確保の目的で 埋め立てが進められました。 昭和7年からは
  城南部の約20mの中堀が 埋め立てられ、翌8年 船場川に架かるこの橋の竣工を待って 国道2号線が 開通
  しました。 その後、昭和20年7月の姫路空襲で 周辺一帯は焦土と化します。 その時の黒い焦げ跡は・・・
15.車門跡
   船場川沿いに設けられた城門。 二重枡形で 前に木橋が掛けられ、その北に 船場川へ出るための水門 車
  道門があったためこの名前になりました。 第一門・第二門は いずれも高麗門、内門は 櫓門で 第一門の横に
  番所がありました。 中曲輪の門の構造としては 最も重要で 西郷への軍事的出入り口として 重要な役割を
  担っていました。
16.龍野町
   龍野へ通ずる街道の入り口だったのと、龍野辺りからの移住者が 多かったことが 町名の由来とのこと。
  英賀落城後、秀吉は 寺内町としての自治都市英賀の存続は許さず、徹底的に 解体しましたが、英賀一向宗には
  厳しい処断は行わず、英賀御堂に 寺領を寄進し 亀山に移しています。 門徒の多くは 秀吉によって 龍野町に
  移されました。 これは 寺と門徒を分離する目的があった言われていますが・・・。
17.ノコギリ状の街並
   姫路城かでは 野里地区でも見られるノコギリ状の道路。 敵の攻撃から身を隠すためとも、あとで斜めの
  道路ができたからとも 言われますが、実際のところは よく分からないそうです。
18.境橋
   たつの町と隣接する濃人町の境界に 架かる橋。 1749年、姫路に入封した酒井忠恭が 一帯を整備した
  際に架けられたそうです。 家格を維持する費用や 放漫財政のため 前任地の前橋6万石で 赤字財政に陥って
  いた酒井家では、表向き15万石で 実収は はるかに上といわれた姫路への国替えによって 窮地を脱しようと、
  家老 本多光彬らが 藩主和田既婚で 転封を推進しますが、反対派の家老・川合定恒と激しく対立。
   結局、川合を通さずに 秘密裡に国替えが行われました。 定恒も 藩主の説得で受け入れますが、入封準備に
  向かった姫路は 寛延の大一揆のあとを 大雨による大洪水が 襲うという最悪の状況でした。 定恒は 独断で避
  難民を城内に収容、備蓄米被災民に 与えますが、酒井家の財政は ますます悪化しました。
   後始末を終えた定恒は 光彬らを殺害したのち 自害。 川合家は 断絶しますが、のちに 息子の宗見が 累進し
  家老に復職。 そして、この宗見の息子が のちに 姫路藩の財政を立て直す河合道臣(寸翁)です。
  ちなみに この境橋は 「世界一短い90cmの橋」 として 「ナニコレ百景」 に登録されています。
 
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きょうは たつのへ

2020-04-11 15:32:07 | 日記
 4月11日(土)   天気:晴れ 時々 曇り    室温:19.9℃

 きょうは たつの市龍野町のカフェギャラリー結へ ”hibifuku展” を見に行きましたが
入口に 「しばらくお休みします」 と書かれています。  きのう 結のブログを見ましたが 何も
書かれていませんでした・・。 というより 1月から 更新されていません。
 龍野城周辺の桜でも見ようと 歴史資料館へ行くと 休館!  観光駐車場へ車を停めて 龍野城、
龍野神社周辺を歩いて 桜を見てきました。 ソメイヨシノは ほとんど散った木も 翠の葉を出し始め
た木もありますが 紅枝垂れ桜は ちょうど見頃でした。 聚遠亭へ行きましたが ここも 閉鎖!










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