8月20日(土) 天気:曇り 後 雨 後 曇り 室温:27.7℃ 地図:笠原
きょうは 加西市の法華山・一乗寺に お参りしてきました。 これで 「播磨天台六山」 は 完了です。 朝方
明るい曇り空で 雨は 大丈夫そうでしたが 帰る頃には 雨が降ってきました。 一乗寺には 何度か訪れて
いて 2007.12.9 には 法華山にも 登りました。 以前の記録を再編集して アップしようかと 思いまし
たが 写真も 少ないので もう一度 行くことにしました。 確か 前回は 本堂は 修理中だったような・・。
今回は 賽の河原までしか 行っていません。 法華山への山登りは 前回の記録の書き直しです。
9:42 出発。 姫路バイパスから 播但道に廻り 10:09 花田ICを降ります。 播但道は ほとんど走って
いないのに 出口で 100円取られます。 ここまで 23.9km。 国道372号線に廻り 東へ7.4km走る
と 小原の交差点に出て ここで 右折。 坂を下り 畑の道標で 左折しますが ここは 加古川市?
県道717号線に入ると うっそうとした森林、山道です。 加西市に入ると 直ぐに 一乗寺に着きます。 左
の駐車場の入口で 300円(環境整備協力費)を 支払います。 10:28 駐車。 家から 34.5kmの距離
です。 前に 水子供養の お堂がありますが 一乗寺とは 関係ない とあります。 直ぐ スタート。
白壁に沿って 100mほど行くと 入口です。 この辺りには 石塔が いろいろ あります。 石橋を
渡ると 石灯籠があり 宝暦12年の銘が彫ってあります。 1762年? 江戸時代のものです。
正面の笠塔婆は 石英粗面岩で造られ 二重の基壇上に立って 総高2.9m。 反花座をつけた
台石に 方柱状の塔身をすえ 正面に 正和五年(1316)の刻銘が あり 県指定の文化財です。
入口で 拝観供養料400円を支払い パンフレットを もらいましたが 案内図がありません。 係りの女
性に聞き 手描きの案内図を見せて頂きました。 是非 案内図を設けてほしい。 大きな杉の木が あり
ますが 雷が落ち 枯れそうです。 境内配置図を見ると 常行堂、三重塔、金堂が ほぼ 一直線に並
んでいます。 このように 山の斜面に平坦地を設け 伽藍を 直線的に配置する方式を 禅宗式というよ
うです。 しかし 金堂(本堂)へ上がるには 三カ所の長い階段を クリアしなければ なりません。
最初の階段は 確か 76段ありました。 きょうは 曇り空で 涼しいのですが 汗が出てきました。 階段
を上がると 左に 常行堂が あります。 二階建て? 大きな 立派な建物です。 聖武天皇 勅願 建立と
伝えられるが 嘉吉の乱にて 焼失。 明治元年 今の姿となる。 本尊は 阿弥陀如来。
階段を上がると 三重塔の前に 出ますが その前に 前にある経蔵を。 白壁の蔵のような建物です
が それにしては 向拝?は 立派です。 緩やかな曲線を描く唐破風の屋根で 木鼻や彫り物もあり・・・。
三重塔は 一乗寺の建造物では 唯一 国宝。 承安元年(1171) 平安末期の建立。 年代のはっき
りした我が国八番目の古塔である。 上の層ほど 屋根や軒出が小さくなっていて 安定した調和美が
よく味わえます。 また 最上層の屋根が 波形となっているのも この塔の特色で 蟇股にも 平泉の中尊
寺金色堂 同様の平安末期建築の特徴が うかがえます。 相輪が大きく 特に 水煙が美しい。
ただ 私のカメラでは 撮影場所に困ります。 下や横からは 全体が撮れないし 階段を上がると 逆光
になり 塔が 暗くなるのです。 金堂の回廊から 三重塔の屋根を 撮ることができます。
三番目の階段を上がると 金堂ですが 金堂へ上がるには 裏へ廻らなくては・・。 金堂の横に 鐘楼が
あります。 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造り、本瓦葺の建物は 寛永六年(1629)の本堂再
建に続いて 建立された。 江戸初期の特徴を示し 木造構造物としての優雅さを誇っている。 入口には
鍵が掛けてあり 鐘を撞くことも 鐘を盗るこもできません。
金堂の裏へ廻り 金堂に お参りしますが ここに 手水舎が・・。 靴を脱いで 縁側のような回廊を歩いて
正面に廻ると 大きな額に 「大悲閣」 とあります。 金堂(本堂)は 大悲閣とも いうようです。
大きな赤い提灯には 南無観世音とあります。 格子の天井には 風車のようなものが たくさんあります。
聞くと 江戸時代の納め札だそうで 柱に打ち付けられていたものは 全部外したそうです。 柱を見ると
釘の跡が 無数に付いています。
寺伝によると 一乗寺は 孝徳天皇の勅願により 白雉元年(650)に 建立され 開基は 法道仙人です。
法道仙人は 紫雲に乗り 中国・朝鮮を経て 法華山に来ると ハスの花に見えたので ここに 降りた。
仙人伝来の観音像を安置し 護国国家の道場となし給う。 後 西国33所巡礼の26番となり 花山法皇
の御詠歌は 春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
あぁ それで あちらこちらに 橘が 植えてあるのですか・・・。 橘には なにか宗教的な意味があるの?
お参りを済ませ 裏へ戻り 手水舎で 手を漱ぎます。 水が チョロチョロ流れていて 気持ちがいい。
ここに 手水舎があるということは 昔は 階段の参道はなく 東の西国霊場の石仏の並ぶ道が 参道
だった? 手水鉢は 立派なもので 裏に 正徳四年と 刻んであります。 金堂の背後に 鎮守三社があ
ります。 左は 行者堂ですが 写真がないっ・・。 役行者が 祀ってあるそうですが・・。
一間社春日造の弁天堂と 三間社流造の妙見堂が 並んでいます。 鎌倉時代の様式と 室町時代
手法を伝える優秀な建物である。 護法堂は 一間社春日造で 石垣の上にあります。 一間社は 柱
の間が 一間で 建物の幅は 約2mとなります。 鎮守三社は 弁天堂、妙見堂、護法堂の三社です。
北へ降りて うっそうとした森林を 開山堂へ向かいます。
開山堂は 奥の院ともいわれ 法道仙人が 祀られているそうです。 開山堂手前の階段は 工事中で
脇を通らせてもらいました。 開山堂の横では 太い木を伐採中で 重機が稼働中。 通らせて と頼む
と アカン! しばらく待っていると 12時前なのに お昼休みで 作業休止。 これ幸い 倒された木の
枝を踏み越えて 賽の河原へ行きましたが・・・。 あまりいい雰囲気では ありません。 木が茂り始め
河原の感じがしません。 水子供養場? 今回は 上の石造九重塔まで行って 引き返しました。
********
ここからは 前回(200712.9) の 法華山への 山登りの記録を 再編集したものです。 当時 ブログ
は まだ 書いておらず ホームページビルダー8で 記録していました。
やや荒れた岩の道を上がると 直ぐに 傾いた重文・石造九重塔があります。 今回 傾いた石塔は 真っ直
ぐに 立て直して ありました。 ここから 本格的な山道。 少し登ると シダが現れますが 幸い 山頂まで 登
山道は シダは刈られ 道は はっきりしていました。 前回 来たとき 何所で 撤退したのか 分かりませんが
山頂まで ずっと シダヤブだったので シダが刈ってないと 結構 距離もあり 山頂まで 登るのは 困難でし
た。 今は 赤い道標が 何ヶ所もあリ 道もはっきりしています。 雑木の小枝が 張りだし 切られた切株に
足を取られ 雑木のヤブで 見晴らしはなかったが 大した困難はなく 10:34 山頂に 出ました。
九重塔から12分。 三角点の周りのシダは 刈ってありますが 山頂も 雑木ヤブで 展望は 全然ない。
道標と同じ赤いプレートに 法華山裏山243mとあります。 左の木に 赤い大柿プレートが ぶら下り 「シダ、
シバのヤブにマイッタ!」とあります。 きれいな三等三角点の点名は 上ノ垣内で 点名:法華山は 北の笠
松山のようです。 道が整備してあり 簡単に登れたので シダヤブを掻き分け 西へ進むと 雑木の疎らな
所があり 木の枝に脚をかけ 西の写真を撮りました。 直ぐ西の尾根に 鉄塔が2本ありますが 王神峰?
南西方向の右が 切れ落ちる山は 形からして この前 登った高山でしょう。
南が見える所からは 僅かに 赤い播磨灘が望めます。 三角点から 北へ進むと 枝越しに 笠松山が見え
ます。 降りようとして 東を見ると 雑木の疎らな所があったので シダを掻き分けると 目の前に 面白い形
の山が 見えましたが きっと 北東方向の善防山でしょう。
私も かなりヤブと格闘してきたので これくらいのシダと遊ぶのは 何ともない。 楽しかった。
結局 休憩を含め 何も無い 狭い山頂で 40分近く 一人 遊んで 11:12 下山。
*******
という訳で 山から降りてきました。 降りるときは 金堂の方の階段・参道は 通らず 左の坂道を下りま
した。 昔の参道だったのか 33ヵ所巡りの石仏が 並んでいます。 その中に 四天王が並んでいます。
四天王の観音様は 初めて 見ました。 涎掛けまで付けられて・・。 中国から 怒りの仏像を 持ち帰った弘
法太子こと空海も 怒りの表情? 四天王を崇拝した聖徳太子は・・。 放生池にあるのは 弁才天?
赤い鳥居を潜り 東へ登り 見子堂へ。 ここには 白妙稲荷大明神と 見子大明神が 祀られています。
なにか 伝説があるようですが・・。 見子堂から戻ると 下に 太子堂があります。 これで 全部廻ったか
な? そうそう 太子堂の下の川の右奥に 五輪塔があります。 パンフレットには 元亨元年(1321)
の刻銘があり 石造美術品で 重要文化財だそうです。 苔もなく 新しそうに 見えましたが・・。
境内の外へ出て 右へ行くと 地蔵院があります。 一乗寺・本坊で 事務所。 地蔵院を見て
車に 戻りました。 12:12 車に戻りましたが 霧雨が降ってきました。 すぐ 帰路につきま
す。 来た道を そのまま戻ります。 国道372号線に戻り 12:29 花田ICから 播但道に入
り 姫路バイパスを走り 途中 寄り道して お弁当を買い 13:38 家に 帰ってきました。
帰りは 本降りになりましたが 家に着くころには ほとんど 止みました。
本日の走行距離は 往路:34.5km 復路:36.9kmで 計:71.4kmでした。
。。。。。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。。。
きょうは 加西市の法華山・一乗寺に お参りしてきました。 これで 「播磨天台六山」 は 完了です。 朝方
明るい曇り空で 雨は 大丈夫そうでしたが 帰る頃には 雨が降ってきました。 一乗寺には 何度か訪れて
いて 2007.12.9 には 法華山にも 登りました。 以前の記録を再編集して アップしようかと 思いまし
たが 写真も 少ないので もう一度 行くことにしました。 確か 前回は 本堂は 修理中だったような・・。
今回は 賽の河原までしか 行っていません。 法華山への山登りは 前回の記録の書き直しです。
9:42 出発。 姫路バイパスから 播但道に廻り 10:09 花田ICを降ります。 播但道は ほとんど走って
いないのに 出口で 100円取られます。 ここまで 23.9km。 国道372号線に廻り 東へ7.4km走る
と 小原の交差点に出て ここで 右折。 坂を下り 畑の道標で 左折しますが ここは 加古川市?
県道717号線に入ると うっそうとした森林、山道です。 加西市に入ると 直ぐに 一乗寺に着きます。 左
の駐車場の入口で 300円(環境整備協力費)を 支払います。 10:28 駐車。 家から 34.5kmの距離
です。 前に 水子供養の お堂がありますが 一乗寺とは 関係ない とあります。 直ぐ スタート。
白壁に沿って 100mほど行くと 入口です。 この辺りには 石塔が いろいろ あります。 石橋を
渡ると 石灯籠があり 宝暦12年の銘が彫ってあります。 1762年? 江戸時代のものです。
正面の笠塔婆は 石英粗面岩で造られ 二重の基壇上に立って 総高2.9m。 反花座をつけた
台石に 方柱状の塔身をすえ 正面に 正和五年(1316)の刻銘が あり 県指定の文化財です。
入口で 拝観供養料400円を支払い パンフレットを もらいましたが 案内図がありません。 係りの女
性に聞き 手描きの案内図を見せて頂きました。 是非 案内図を設けてほしい。 大きな杉の木が あり
ますが 雷が落ち 枯れそうです。 境内配置図を見ると 常行堂、三重塔、金堂が ほぼ 一直線に並
んでいます。 このように 山の斜面に平坦地を設け 伽藍を 直線的に配置する方式を 禅宗式というよ
うです。 しかし 金堂(本堂)へ上がるには 三カ所の長い階段を クリアしなければ なりません。
最初の階段は 確か 76段ありました。 きょうは 曇り空で 涼しいのですが 汗が出てきました。 階段
を上がると 左に 常行堂が あります。 二階建て? 大きな 立派な建物です。 聖武天皇 勅願 建立と
伝えられるが 嘉吉の乱にて 焼失。 明治元年 今の姿となる。 本尊は 阿弥陀如来。
階段を上がると 三重塔の前に 出ますが その前に 前にある経蔵を。 白壁の蔵のような建物です
が それにしては 向拝?は 立派です。 緩やかな曲線を描く唐破風の屋根で 木鼻や彫り物もあり・・・。
三重塔は 一乗寺の建造物では 唯一 国宝。 承安元年(1171) 平安末期の建立。 年代のはっき
りした我が国八番目の古塔である。 上の層ほど 屋根や軒出が小さくなっていて 安定した調和美が
よく味わえます。 また 最上層の屋根が 波形となっているのも この塔の特色で 蟇股にも 平泉の中尊
寺金色堂 同様の平安末期建築の特徴が うかがえます。 相輪が大きく 特に 水煙が美しい。
ただ 私のカメラでは 撮影場所に困ります。 下や横からは 全体が撮れないし 階段を上がると 逆光
になり 塔が 暗くなるのです。 金堂の回廊から 三重塔の屋根を 撮ることができます。
三番目の階段を上がると 金堂ですが 金堂へ上がるには 裏へ廻らなくては・・。 金堂の横に 鐘楼が
あります。 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造り、本瓦葺の建物は 寛永六年(1629)の本堂再
建に続いて 建立された。 江戸初期の特徴を示し 木造構造物としての優雅さを誇っている。 入口には
鍵が掛けてあり 鐘を撞くことも 鐘を盗るこもできません。
金堂の裏へ廻り 金堂に お参りしますが ここに 手水舎が・・。 靴を脱いで 縁側のような回廊を歩いて
正面に廻ると 大きな額に 「大悲閣」 とあります。 金堂(本堂)は 大悲閣とも いうようです。
大きな赤い提灯には 南無観世音とあります。 格子の天井には 風車のようなものが たくさんあります。
聞くと 江戸時代の納め札だそうで 柱に打ち付けられていたものは 全部外したそうです。 柱を見ると
釘の跡が 無数に付いています。
寺伝によると 一乗寺は 孝徳天皇の勅願により 白雉元年(650)に 建立され 開基は 法道仙人です。
法道仙人は 紫雲に乗り 中国・朝鮮を経て 法華山に来ると ハスの花に見えたので ここに 降りた。
仙人伝来の観音像を安置し 護国国家の道場となし給う。 後 西国33所巡礼の26番となり 花山法皇
の御詠歌は 春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
あぁ それで あちらこちらに 橘が 植えてあるのですか・・・。 橘には なにか宗教的な意味があるの?
お参りを済ませ 裏へ戻り 手水舎で 手を漱ぎます。 水が チョロチョロ流れていて 気持ちがいい。
ここに 手水舎があるということは 昔は 階段の参道はなく 東の西国霊場の石仏の並ぶ道が 参道
だった? 手水鉢は 立派なもので 裏に 正徳四年と 刻んであります。 金堂の背後に 鎮守三社があ
ります。 左は 行者堂ですが 写真がないっ・・。 役行者が 祀ってあるそうですが・・。
一間社春日造の弁天堂と 三間社流造の妙見堂が 並んでいます。 鎌倉時代の様式と 室町時代
手法を伝える優秀な建物である。 護法堂は 一間社春日造で 石垣の上にあります。 一間社は 柱
の間が 一間で 建物の幅は 約2mとなります。 鎮守三社は 弁天堂、妙見堂、護法堂の三社です。
北へ降りて うっそうとした森林を 開山堂へ向かいます。
開山堂は 奥の院ともいわれ 法道仙人が 祀られているそうです。 開山堂手前の階段は 工事中で
脇を通らせてもらいました。 開山堂の横では 太い木を伐採中で 重機が稼働中。 通らせて と頼む
と アカン! しばらく待っていると 12時前なのに お昼休みで 作業休止。 これ幸い 倒された木の
枝を踏み越えて 賽の河原へ行きましたが・・・。 あまりいい雰囲気では ありません。 木が茂り始め
河原の感じがしません。 水子供養場? 今回は 上の石造九重塔まで行って 引き返しました。
********
ここからは 前回(200712.9) の 法華山への 山登りの記録を 再編集したものです。 当時 ブログ
は まだ 書いておらず ホームページビルダー8で 記録していました。
やや荒れた岩の道を上がると 直ぐに 傾いた重文・石造九重塔があります。 今回 傾いた石塔は 真っ直
ぐに 立て直して ありました。 ここから 本格的な山道。 少し登ると シダが現れますが 幸い 山頂まで 登
山道は シダは刈られ 道は はっきりしていました。 前回 来たとき 何所で 撤退したのか 分かりませんが
山頂まで ずっと シダヤブだったので シダが刈ってないと 結構 距離もあり 山頂まで 登るのは 困難でし
た。 今は 赤い道標が 何ヶ所もあリ 道もはっきりしています。 雑木の小枝が 張りだし 切られた切株に
足を取られ 雑木のヤブで 見晴らしはなかったが 大した困難はなく 10:34 山頂に 出ました。
九重塔から12分。 三角点の周りのシダは 刈ってありますが 山頂も 雑木ヤブで 展望は 全然ない。
道標と同じ赤いプレートに 法華山裏山243mとあります。 左の木に 赤い大柿プレートが ぶら下り 「シダ、
シバのヤブにマイッタ!」とあります。 きれいな三等三角点の点名は 上ノ垣内で 点名:法華山は 北の笠
松山のようです。 道が整備してあり 簡単に登れたので シダヤブを掻き分け 西へ進むと 雑木の疎らな
所があり 木の枝に脚をかけ 西の写真を撮りました。 直ぐ西の尾根に 鉄塔が2本ありますが 王神峰?
南西方向の右が 切れ落ちる山は 形からして この前 登った高山でしょう。
南が見える所からは 僅かに 赤い播磨灘が望めます。 三角点から 北へ進むと 枝越しに 笠松山が見え
ます。 降りようとして 東を見ると 雑木の疎らな所があったので シダを掻き分けると 目の前に 面白い形
の山が 見えましたが きっと 北東方向の善防山でしょう。
私も かなりヤブと格闘してきたので これくらいのシダと遊ぶのは 何ともない。 楽しかった。
結局 休憩を含め 何も無い 狭い山頂で 40分近く 一人 遊んで 11:12 下山。
*******
という訳で 山から降りてきました。 降りるときは 金堂の方の階段・参道は 通らず 左の坂道を下りま
した。 昔の参道だったのか 33ヵ所巡りの石仏が 並んでいます。 その中に 四天王が並んでいます。
四天王の観音様は 初めて 見ました。 涎掛けまで付けられて・・。 中国から 怒りの仏像を 持ち帰った弘
法太子こと空海も 怒りの表情? 四天王を崇拝した聖徳太子は・・。 放生池にあるのは 弁才天?
赤い鳥居を潜り 東へ登り 見子堂へ。 ここには 白妙稲荷大明神と 見子大明神が 祀られています。
なにか 伝説があるようですが・・。 見子堂から戻ると 下に 太子堂があります。 これで 全部廻ったか
な? そうそう 太子堂の下の川の右奥に 五輪塔があります。 パンフレットには 元亨元年(1321)
の刻銘があり 石造美術品で 重要文化財だそうです。 苔もなく 新しそうに 見えましたが・・。
境内の外へ出て 右へ行くと 地蔵院があります。 一乗寺・本坊で 事務所。 地蔵院を見て
車に 戻りました。 12:12 車に戻りましたが 霧雨が降ってきました。 すぐ 帰路につきま
す。 来た道を そのまま戻ります。 国道372号線に戻り 12:29 花田ICから 播但道に入
り 姫路バイパスを走り 途中 寄り道して お弁当を買い 13:38 家に 帰ってきました。
帰りは 本降りになりましたが 家に着くころには ほとんど 止みました。
本日の走行距離は 往路:34.5km 復路:36.9kmで 計:71.4kmでした。
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