4月20日(土) 天気:曇り 室温:23.9℃
きょうは、姫路市林田町の林田大庄屋 旧三木家住宅へ ”揖保郡三窯と周辺の焼物展” (企画運営:NPO法人
新風林田)を見に行きました。 併催として、版画家 乾 太作品展と 端午の節句展も 行われています。
揖保郡三窯を インターネットで 調べると、たつの市を含む揖保川下流域(昔の揖保郡地域)には 江戸時代から
明治時代にかけて 林田焼・野田焼・新宮焼の三窯があり、陶器や磁器が 焼かれていました とあります。
たつの市龍野町北龍野の版画家 乾 太さんは、細部までこだわり、人・時・祭り・心の風景を描き、作品を見ている
と まるで その中に 自分もいるような錯覚を覚える、心にしみる作品を いつもとは違った雰囲気の中で ご覧ください。
昭和18年(1943)龍野国民学校 卒業、戦後すぐに版画家を志して 京都の親戚に 仮寓。 暫くして 帰郷、家居して
晴耕雨読の傍ら 様変わりしていく故郷の風景を版画として残すことを思い立つ。 高度成長期に 急速に普及した 「ベ
ニヤ板」を版木とすることで 大作の版画を可能にした。 平成14年(2002) 兵庫県ともしびの賞を 受賞、平成20年
(2008) 姫路市芸術文化賞 受賞、令和5年(2023)1月 永眠、94歳
林田焼 政宇公御手焼龍繪甲皿:十枚で一組の甲皿が収められた木箱のふたには、政宇公御手焼龍繪甲皿」 と
記され、林田藩 第十三代藩主 建部政宇が 作陶されたのではないかと される幻の林田焼。 甲皿の見込み(器の
内側の部分)には 貞享(16841688)年製とあり、政宇在位とも重なっている。
林田焼:姫路市林田町の八幡と上構に日窯があったと伝えられており、近隣の旧家には林田焼と伝えられる
名品が残っています。
野田焼:当時の窯の一部が 今も現存しており、寛政9年(1797)から 明治43年(1910)の約110
年の長期にわたり、磁器や陶器をやいています。
新宮焼:江戸時代後期に 三千石の旗本 新宮 池田家が 直接作陶に携わったことが、古記録で確認できる。 なお
かつ 新宮八幡神社に隣接した窯跡伝承地から 陶片が発掘され、それは 古来より伝世した新宮焼といわれ
ていた同種のもので、ともに 「末広焼」と 陶印が 器底に押されていた。
日山焼:大正時代に 龍野の陶器商 加瀬氏が 陶工を招いて 日山粒座神社の境内で 作陶させたといわれるが、不明。
北山焼:昭和終戦直後の約3年間 龍野の富永で 生産された陶器群。 「竜野」、「たつの」の陶印が押されている。
源谷焼:宍粟市山崎町に 窯跡が存在する。 江戸時代の終わりに、山崎藩主の支援で 始まったといわれ、昭和39年
(1959)に廃窯。 「源谷」の陶印が押されたものが多い。
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