私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

檀特山 と 徳道上人生地

2015-01-07 15:12:28 | 山歩き
 1月 7日(水)  天気:曇り のち 晴れ  室温:13.3℃

 きょうは カフェ・エルミタージュへ ”小物展” を見に行った ついでに 檀特山に登ってきました。
お正月に 「播磨の山々」 のしみけんさんが 矢田部登山口から 登っておられた ページ を見て
太田や 大谷の登山口しか 登ったことがなので 一度 矢田部登山口から登って 感動岩とか 狐
塚を 見ようと 思っていました。 山から降りて しみけんさんのページにある 徳道上人の生地と
糸の井を 自転車で 回ってきました。 徳道上人は 山の麓・矢田部の出身なのです。

 エルミタージュを後にして 自転車・ロシナンテ号で 県道を北へ行き パチンコ・ターザンの脇
まで行きます。 並木に 「檀特山 ふるさとの森」 の表示があり ここから 駐車場の間を 山の方
へ行きます。 県道から 100mほど行くと 表示板のある登山口です。 12:21 登山口。

 途中 左に 天神さんと 六地蔵があります。 天神さんは 菅原神社で 菅原道真を祀って
います。 全国各地の葬場にみられる 六地蔵は 徳道上人が 発願、創起したのだそうです。
登山口近くで フクロウ?が 出迎えてくれました。

 登山口にある案内図を見て 狐塚へ行くので 登山口から トロッコ道を南に行き 狐塚を見て
山頂へ行くことにしました。 歩いてみると これは ちょっと遠回りだった? トロッコ道は 炭焼
きが 行われていたころの運搬道です。
 ところで 檀特山では 2度 戦いがあり 一度は 応仁の乱で 山名軍と赤松軍(細川方)
の戦い、 二度目は 天文元年(1532)の斑鳩寺と朝日山大日寺の領地争い だそうです。

 トロッコ道を 南へ行き 山頂の道標を見て 左へ折り返し 斜面を登ります。 トロッコ道は
まだ先へ続き 先端には 徳道上人が 修行したといわれる 「籠り塚」 が あるようですが・・・。
 少し行くと 分岐に 道標があり ここで 右の山頂方向へ 曲がります。 上に 見晴し岩の表
示があったので 右へ行くと 岩があり 南が 見晴らせますが 手前に 木が茂り 標高も低い
ので 朝日山が 邪魔で 展望は いまいち。 もう少し上の 狐塚の上の方が 見晴しがいい。

 狐塚の場所が分からなかったので ちょっと遠いように感じましたが 途中に 狐塚の
表示があり 右に曲がると 狐塚がありました。 狐塚は 千年坊という古狐が 村人に
害をくわえていた。 徳道上人の徳力で 感動岩の下敷きとなり 死んでいたのを 村人が
哀れみ 葬ったのだそうです。

 狐塚の上からは 見晴しが良く 淡路島から 小豆島まで 瀬戸内海が 一望できます。
きょうは 雨の降りそうな どん曇りですが 意外と 家島、小豆島は はっきり見えます。
狐塚から 更に登ると 本来の登山道と合流し 山頂まで 200m。

 なだらかな所を過ぎると 山頂へは 段差のある丸太階段です。 12:53 山頂に出ました。
登るのに 30分くらいかかりました。 きょうは 山頂には 誰もいません。 一応 山頂から
四方の景色を撮りました・・・。 京見山の西尾根の稜線上に 明石大橋の橋脚(淡路島側)
が 見えたような気がするのですが・・。 手前にある鉄塔だったのか・・・。



 段差のある階段の下りは 難儀です。 膝に衝撃がかかります。 ゆくり降りて 下の分岐
で 右のゆったりコースへ回りました。 直進は 健脚コースです。 途中に 東南への分岐が
2ヵ所ありましたが いずれも直進して 登った矢田部登山口へ 降りました。

 登山口の近くにあった 丸い岩が 「感動岩」 のようですが これを見ても 何の感激も
ありません。 「感動岩」 は 徳道上人の偉業鴻恩に感じ 自然に動いたという奇端を
たたえ 名付けられたそうですが・・・。 13:22 下山。 下山は 20分ほどでした。

 山を後にして 新幹線の高架下を 西へ走っていると 「牓示石」 の表示があったので 行って
みました。 「鵤荘牓示石」 は 聖徳太子が 推古天皇から賜ったという 法隆寺領播磨国鵤荘の
故地であった所で その境界を明示する 「牓示石(ぼうじいし)」 を 置いていた。
 昔の絵図には 12ヵ所あったが 現在 牓示石と考えられる石は 県文化財4ヵ所、参考地5
ヵ所が 知られる。 これらの石は 聖徳太子が 領界を決めるため 檀特山の上から投げた と
言い伝えられる。

 徳道上人出生地へ行く手前に 清光寺があったので 寄ります。 徳道上人の草庵があったので
しょうか・・。 檀特山清光寺は 浄土真宗のお寺で 親鸞上人の銅像があります。 本堂の向拝
の 象の木鼻、龍の蟇股も なかなか立派です。
 しみけんさんのページに 清光寺に 徳道上人の産湯の井戸がある とありますが 写真は 徳道
上人堂の前にある手水舎の井戸ですが・・・。 本堂の右手前に 屋根のない井戸があったような・・・。
 気になるので 清光寺さんへ電話して 確認すると 徳道上人の産湯の井戸は お寺の奥の庭に
あり 公開されていないそうです。

 清光寺の角を曲がると 徳道上人出生地のお堂がありました。 徳道上人は 斉明天皇656
年 この地・矢田部で 出生。 年若くして 父母とわかれ 出家入道して 徳道上人となる。
各地を巡錫して 多くの寺を建立されたが 中でも 大和国・長谷寺は 有名。 神亀年中(727
~728年) この地に住む。 六地蔵を始めたとありましたが 確か 西国33ヶ所めぐりを 始めた
のは 徳道上人だと思いますが・・・。 一時 廃れていたが 花山法皇が 再興・・・・。

 県道に出て 網干へ戻ります。 途中 糸井のみなと銀行の信号で 東へ曲がり 100mほど
行くと 右に 「糸の井」 があります。 「糸の井」 は 鎌倉時代中頃に この辺りに 浄土宗を広
めた 朝日山大日寺の顕実上人の硯水と伝えられる。 顕実上人の歌碑があります。
 いろいろの 木の葉流るる 糸の井は ゆききの人の しるしとぞきく

 きょうは 天気は よくありませんでしたが 風も穏やかで あまり寒くなく 未知の地を
いろいろ訪れ いい勉強ができ 低い山を歩き 適度の汗をかき 運動にもなりました。

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