私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

利神山 りかんやま 372.95m

2020-07-05 11:14:46 | 山歩き
 7月 5日(日)   天気:晴れ   室温:27.1℃

 今回は 2007.7.16に 登った佐用町平福の利神山373mを 紹介します。 山歩きを始めた
当初  ハイキングクラブの人から 山歩きをするのなら 「はりまハイキング」 という本を参考にした
ら と言われ その本を参考に 歩きました。 利神山は 1回目は 2002.4.7に 登りましたが
写真が 見当たりません。 今回は 2回目に登ったときの記録ですが 当日は あいにくの曇り空で 一時
雨も降り ガスがながれてきて 撮った写真は 暗く 遠望もききません・・。
 山頂は 利神山城跡の本丸跡で、 展望 良好で 眼下に 平福の町が望めます。 1回目は 本の地図通り
山頂から 北へ降りましたが 北を回っても 見るものは 何も ありません。 桜の時期だったのですが・・。
 2回目は 南から尾根を登り 同じ道を往復しました。 山頂一帯のの石垣が 崩れそうで 登山禁止に
なっていたのかも しれませんが 何も 問題は ありませんでした。


 道の駅ひらふくに 車を置いて 智頭急行・平福駅の前から 南を回って 尾根に取り付き 尾根を北へ
登ります。 山頂の本丸跡は 広い平坦地で 南から 西、北にかけて 見晴らしは 良好です。 天気が良け
れば・・。 南西方向に 西はりま天文台のある大撫山が 見えます。









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 宿場町・平福は 3月に  ”宮本武蔵ゆかりのちめぐり” で 訪れました。 その時のページは ≪こちら≫です。

 利神城跡(雲突城)は、赤松一族から 最北端の防備の任をうけた別所敦範により 貞和5年(1349)
に築城。 その後、別所一族が 約200年間 この地を治めるが 天正6年(1578) 秀吉の 中国
攻めにからみ 山中鹿之助に攻められ 落城。
 関ヶ原の戦いの後、播磨52万石の領主・池田輝政の甥・池田出羽守由之が 平福2万3千石の領主と
なり、五年の歳月をかけて、標高373mの利神山上に 三層の楼閣を備えた 広壮な城郭を築いた。
 連郭式山城は 東西300m、南北500mにも及ぶ 総石垣造りの広大な山城で、これを見た池田輝
政は 天守破却の命を下し、由之は 退去。 最後の城主・輝興が 赤穂へ転封。 これにより 平福は 城
下町としての歴史を閉じ、宿場町として栄えることになる。


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コメント
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