私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

書写の里 美術工芸館で 高砂染展

2020-01-08 15:19:58 | 日記
 1月8日(水)   天気:曇り のち 晴れ+風    室温:19.0℃

 きょうは 書写の里 美術工芸館へ 開館25周年 新春特別展示 ”ー播磨の型染、ことほぎ
の美ー 高砂染展” を見に行きました。   江戸時代の姫路藩 幻の高級染物 めでたさを
象徴した  相生の松の図柄に親愛を込めて  名だたる人物の交流の証となった絹製高砂染
そして 明治時代以降、木綿製高砂染へ・・・  播磨の名産品として 高い評価を受けていく
 残念ながら 写真撮影は 禁止。 11月に 好古園で見た ”高砂染展” の写真を入れます。
※好古園で ”ー播磨の型染、ことほぎの美ー 「高砂染展」” を見たのは 11月4日 です。


 受付で おみくじを引いて下さいと言われ 1mほどの箱をひっくり返すと 出てきた番号は
8で 大吉。 瓦型を使った姫路はりこの 「ねずみ」 のオリジナルストラップをもらいました。

   


 本展では 高砂染の歴史を 布や着物、布団地、型紙や文献などで 紹介するとともに
昭和期に廃れた 高砂染の現代における復元の試みについても 迫ります。

 高砂染は 高砂市にある高砂神社の 「相生の松」 にちなみ、松の枝葉や松笠などをあしら
った模様で 夫婦愛や 長寿などを表現。 二つの異なる型を使って 三色に染め上げる。
 江戸時代は 姫路藩の特産品だったが 明治時代以降に 衰退し、昭和初期に 消滅したとされる。
 高砂神社は 堀川界隈散策で 2017.9.19 に訪れました。


 10月5日の新聞に ”姫路藩特産品 「高砂染」 の幕府献上 大奥の実力者、日記に” と
載っていました。 幕末、江戸城大奥の実力者だった 瀧山の日記に、姫路藩特産の高砂染が
贈答品として 何度も記されていたことが分かった。 幕府への献上を示す藩の記録は 知られ
ていたが、受け取った幕府側の記録が確認されたのは 初めて。 瀧山は 11代家斉から 15
代慶喜まで 徳川将軍に仕えた。


 工芸館によると 原書で確認できる 最も古い高砂染に記述は 1749年。 河合寸翁が
姫路藩の家老だった 江戸後期には 幕府に献上したり、姫路に立ち寄った幕臣で 文人の太田
南畝らに贈ったりした記録が 残っている。 姫路藩の財政再建に手腕を振るった河合寸翁が
1787年に 家老職に就いて以降、高砂染は 幕府への献上が 頻繁に続いた記録が残る。
 だが、受け取った側の記録が なかなか見つからず 歯がゆい思いをしてきた・・・。
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 ここからは 11月 4日の好古園での ”高砂染展” の様子です。 

 高砂染は 高砂の 「相生の松」 をモチーフに 松葉や松かさ、熊手を持つ尉と 竹箒を
持つ姥などをあしらった 高砂染は、二種類の異なった型から 生み出される緻密な模様が、
概ね 二色から三色で 染められています。


 「高砂染」 とは、
 ▲江戸城大奥で 盛んにやりとりされていた姫路藩献上品。
  御年寄・瀧山の 「瀧山日記」 より明らかに
 ▲能の 「筆頭祝言曲『高砂』」 を モチーフに、高砂神社の相生の松と 吉祥紋を 意匠化。
    「日本で もっともめでたい染め物」
 ▲幕府への献上品として 姫路藩家老・河合寸翁によって 大いに新興された献上品。
    酒井氏に 輿入した 徳川家斉の娘・喜代姫を通じて 大奥に送られていた。
 ▲姫路城下・東紺屋町の相生屋井上勘右衛門と、高砂町鍛冶屋町の紺屋尾崎庄兵衛が 創始。



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コメント
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