私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

高砂・堀川界隈 散策

2017-09-19 16:30:48 | 歴史探索
 9月19日(火)   天気:晴れ+薄雲    室温:29.1℃

 きょうは 高砂の街を歩いて来ました。 12日の歴史教室で 「高砂・堀川めぐり」 を学んだので
コミュニティセンターへ車を置き 十輪寺、申義堂、高砂神社周辺を 散策しました。 ところが 帰
ろうとして 駐車料金を払おうと ポケットに手を入れると 財布がない! 落とした! 一瞬 頭の
中が真っ白。 車の小銭入れから 駐車代200円を払い 警察にも届け 家に帰ると 財布は 無事!
持っていくのを 忘れていました。 きょうは 免許証不携帯で 走り回りました。
 10:28 家を出て 高砂のコミュニティセンターに 駐車したのは 11:31。  高砂で 道を間違え
あちこち走り回りました。 家から 32.8km走りました。 帰りは すんなり走って 28.8kmで 帰
りました。    9月12日(火)の歴史教室のページは < こちら > を見てください。
 きょう歩いたのは 下の図の赤線のルートです。

 まず 高砂商工会議所へ行きます。 ここは 観光案内所でもある? 商工会議所は 旧高砂銀行
本店として 建設された昭和初期の洋風建築物で 兵庫県景観形成重要建造物に指定されています。
 ここで 高砂まち歩きMAPをもらいます。

 次に 郵便局前の高砂公民館へ行き ”高砂堀川 再発見地図” をもらいますが やや見にくい。

 西へ行き 国鉄高砂駅後と昔使われていた電車の車輪を見ます。 高砂線は 昭和59年に廃止。
線路は この辺りを南北に走っていたようです。
 北にある梅ヶ枝湯へ。 梅ヶ枝湯は 昭和10年 開業の古い風呂屋で 現在も薪を使って 湯を
沸かす 数少ない銭湯です。 

 十輪寺は 弘仁6年(815) に 弘法大師・空海が 創建し 後に 法然上人が復興した名刹です。
詳しくは 歴史教室のページを見てください。


 本堂の左にある宝篋印塔は 秀吉が 朝鮮に出兵した際 連れていかれ ほとんどの人が亡くなった
高砂出身の船乗りの供養塔です。

 申義堂は 江戸時代に設立された学問所。 高砂の庶民が学んだ 郷学として 教育の原点とも
いえる施設です。 以前 北本町のコミュニティーセンター辺りにありましたが 平成になって
現在地に移設されました。 屋根の飾り瓦は 一見の価値あり。

 魚町を歩いて 東へ向かいます。 魚町の名の由来は 魚介類を売買する魚市場や
魚問屋があったことによる。

 この通りには 魚町倶楽部のレトロな洋館があります。 この建物は 三菱製紙のアメリカ人技師長・
シェイの居住施設として 明治時代に建てられた木造の洋館です。

 さらに東へ行くと 工楽松右衛門旧宅がありますが いまは 保存修理工事中で ネットが掛けられて
います。 松右衛門は 幼少のころから 改良や発明が好きで それまで 脆弱だった帆布の代わりに
播州木綿を使った 厚地大幅物の帆布の織り上げに成功し 「松右衛門帆」 と呼ばれて 全国の帆船
に 用いられるようになりました。 荒巻鮭も松右衛門の発明?  高砂神社に銅像があります。
 最近 松右衛門帆を生産している御影屋に頼んで 厚手で丈夫な生地で バックを作るという? 

 北側には 三連蔵があります。 明治初期に建てられた三連の珍しい蔵。 県景観形成重要建築物に指定。

 東は 今津町です。 町名の由来は 元和年間に 姫路城主・本多忠政が 街づくりを行った際 対岸の
今津町から移住した者が多かったから。 ここは 南堀川に面した船着場です。 南へ行くと 高砂神社です。

 高砂神社は 謡曲高砂のゆかりの地。 境内には 縁結びと長寿の象徴である〈尉と姥〉 が神霊を宿した
相生の松があります。 2013年には 新能舞台も完成。 高砂城の記録は あまり残っていないが 慶長5年
池田輝政が 播磨に入り 姫路城を築いた後 播磨の海の守りを固めるために 高砂城を築きましたが 「一国
一城令」 により 廃棄され 短い歴史を終え 元来 この地にあった高砂神社が 本丸跡に戻されました。
    妺も我もなれてよはひは 高砂の松に千歳を 猶だ契らむ   宣長
    一木かと見れば二木を 二木かと見れば一木を 雌雄のこの松   隆生






 高砂神社を後にして 北へ歩きます。 材木町は 南堀川の北岸沿いに 東西に連なる
町並みです。 町名の由来は 加古川上流から運ばれる材木の集散地であったことによる。
 材木町の北は 東浜町です。

 松宗蔵は 老朽化が進んでいた 江戸時代の米蔵を 地元の方が 街の活性化のために復元した
蔵です。 角の花井家住宅は 藍染体験、歴史資料展示などを開催しています。
 稲荷橋は 江戸時代の東西の水路(堀川)に架かっていた橋です。 今は・・・。 

 稲荷橋を渡り 北へ突き当たると 池田輝政の百閒蔵址の碑があります。 当時 加古川を下る
物資は すべて高砂に運び込まれたため 諸藩の年貢米の集積地として繁栄しました。
 東は 北堀川に架かる永楽橋で 橋の上から 北堀川が見渡せます。

 ここから西へ歩きます。 レトロな赤ポスト以外 見るものはないので 町名由来板を見ながら
歩きましょう。

 藍屋町は 藍(紺)屋が 集住したことに由来する。 東には 南北に二棟の百閒蔵があった。
北本町は 高砂町を南北に貫通する幹線道路沿いの町並み。 以前 申義堂もここにあった。
播州信用金庫がありますが 扇形のガラス張りの景観建築です。

 東濃人町は 町場の北端、北堀川の北岸沿いに 北本町から 西へ濃人町まで連なる町並みで、
町名の由来は 農民や 塩田従事者が 多く住んでいたことによる。
 東濃人町の南は 次郎助町です。 北堀川の南岸沿いにありました。 昔は 遊郭や御茶屋などで
賑わい 栄えた花街でした。 

 銀座商店街を歩いて 北本町通りのコミュニティーセンターへ戻りました。 このページも
長くなったので 財布を落とした?一件は 割愛します。 まあ 財布が 無事でよかった!
 きょうは 10:28に出発し 11:30に駐車し 高砂のまちを散策し 家に帰ったのは
14:55でした。 本日の走行距離は 61.6km。 あぁー疲れた・・・。
 そうそう 出汐館付近などで 行われる予定だった 「万灯祭」 は 延期されたそうです・・・。

 。。。。。  。。  。。。。。  。。  。。。。。  。。  。。。。。  。。  。。。。。  。。  。。。。。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 作用の古民家カフェ・もくもく | トップ | エルミタージュで テキスタイ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史探索」カテゴリの最新記事