私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

三木家住宅で 林田焼と河野鉄兜展

2016-11-18 14:45:01 | ギャラリー散策
 11月18日(金)   天気:晴れ   室温;19.4℃

 きょうは 林田町の大庄屋旧三木家住宅へ ”~まぼろしの焼き物~林田焼 と ~幕末の
漢詩人~河野鉄兜展” を見に行きました。 今回は 同時開催で ”趣と匠 ~手作り~ 蔵の
作品展” も 行われています。 19、20日には ”林田まちなかあるき” も行われるよう
ですが 林田のまちは 以前 歩いたことがあるので 不参加。 きょうは 見落としている
林田出張所の東にある 因幡街道?の道標と 段家住宅(重要建築物)を 見に行きました。

 大庄屋旧三木家住宅の三木家は 英賀城主三木氏の出自と伝えられ 天正8年(1580)
羽柴秀吉による播磨侵攻により 英賀城が 落城した際 一族は 各地に逃れた。
 三木家は 林田に来て 帰農し 江戸時代を通じて 林田藩の大庄屋をつとめた。 主屋
をはじめ 6棟の建物は 平成2年 兵庫県指定重要文化財に指定されました。

 庭園は 江戸時代に作られた 池泉回遊式庭園で 家屋の修理に合わせて 2010年に 再
整備されたものです。 池周囲の園路に沿って歩くと 様々な景色が展開します。
 庭園には およそ60種類もの植物があり 季節ごとに 様々な お花や紅葉、また 実を楽し
むことができます。 晩秋のカエデの紅葉は 見応えがあります。

 林田焼は 江戸時代前期に 西播磨地方の中でも 古くから焼かれた焼き物で 京都で活躍
した 野々村仁清が 林田に来訪し 指導したとの伝説があります。 証拠資料は ありませんが
古清水焼の色絵や 鉄絵の上品な雅陶品が 残っていますので 仁清と林田焼の関係は 否定でき
ないと 述べている 研究者もあります。

 林田藩3代建部政宇が 地元産業の奨励のため 林田町八幡東山麓と 鴨池西北丘陵地の
2ヵ所に 窯を築き 製陶したと 伝えられています。
 6月19日 書写の里・美術工芸館で見た 林田焼のページは こちら を見てください。

 河野鉄兜は 文政8年 播磨国揖東郡網干垣内村に生まれた。 鉄兜は 号で 名は 通称 絢夫。
5歳の時から 父について 漢籍を学び 15歳のときに 一夜にして 漢詩を100編つくりあげ 神童と
呼ばれるなど 儒学、国学、漢詩、和歌などに秀で 特に 「芳野」 の詩は 梁川星巌、藤井竹外と
ともに 芳野三絶と言われ 全国的にも知られています。  今年は 没後150年となりました。
 嘉永4年(1851) 27歳のときに 林田藩主・建部政和により 林田藩校・敬業館の教授とし
て 迎えられ 安政元年(1854)からは 林田に居を移しました。


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 ここからは 趣から匠 ~手作り~ 蔵の作品展です。 






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 三木家住宅を出て 林田まちなかあるき に行きます。 まっすぐ北へ行くと 突き当りが 姫路市役所 林田出張所
で 角に道標があり 祝田神社を示しています。 道に沿って 右へ行くと 因幡街道の角、 スーパーの前に 林田村
道路元標と 道標があります。 道標は 風化して 字が 読めません。 北へ行くと 最初の角に ”段医院道” の道標
があり 左へ入ると 段医院があり 隣が 段家住宅。 姫路市の都市景観重要建築物です。


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