私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

上月城跡 と 佐用城跡

2015-06-15 18:02:25 | 歴史探索

 6月15日(月) 天気;曇りのち晴れ  室温:31.0℃  地図:上月

 きょうは 佐用町の花しょうぶ園へ行った ついでに 上月城跡と 佐用(福原)城跡を訪れました。

昨年の大河ドラマ・軍師 官兵衛が 放映されているとき 訪れたかったのですが 時期を逸してしまいま

した。  上月城へは 「はりま歴史の山ハイキング」 を参考にして かなり前に登ったことがあります。

 佐用・花しょうぶ園を 後にして 11:39 国道373号線に戻り 北へ行きます。 姫新線の上月

駅の手前で 左折して 細い道を進むと 上月歴史資料館があります。 土日しか 開いていませんが 広

い駐車場には 車が停められます。 11:44 駐車。 国道373号線に 出てから 1.5kmでした。

 歴史資料館の前が 大手道の登山口です。 隣の紙すき文化伝承館で 「時を越え戦国の地へ 官兵衛

ゆかりの佐用’三城’を巡る」 という佐用観光協会発行のパンフレットを いただきました。

11:49 スタート。 まず 登山口から 川沿いに 右へ進み 顕彰碑を見ます。

 川に沿って 右へ進むと すぐ 顕彰碑があります。 尼子勝久、山中鹿之介の碑を見ます。
 横にある五輪塔は 誰かの墓でしょうか。

 登山口に戻り 大手道を登ります。 2、3度 折り返すと 尾根の先端に出て 北の上月の町が見晴らせます。

 堀切の表示を 左に進み 尾根をまっすぐ登ると 山頂の本丸跡に出ます。 赤松政範の碑
があります。 説明板があり 縄張り図も 描いてありますが ちょっと見難い・・。
 上月城は 戦乱の世 東の織田、西の毛利のはざまで 半年間に 2度 落城した城です。
天正5年 播磨を ほぼ手中に収めた羽柴秀吉は いまだ 従わない佐用の地へと 兵を進め
ます。 このとき 上月城と 福原城(作用城)、利神城の三城が 攻撃対象だったようですが
山頂にある説明板の図には 北東に 仁位山城、東に 高倉山城、南に 大亀山城、西に
上月城(太平山) などが 描かれていて 砦などを含めると 多くの城があったようです。

 一度目は 秀吉が 備前・宇喜多氏の援軍を 打ち負かし 撤退させ 落城。 凄惨な結末を
むかえます。 次に 尼子勝久を主とする山中鹿之介らが入ります。 しかし 天正6年 毛利方
約3万の軍勢によって取り囲まれ 秀吉や荒木村重らの援軍は 高倉山城に 陣を置き こう着
状態が続きます。 三木の別所長治が 突如 織田氏に背いて 毛利氏に付きます。 織田信長
は 上月城への援軍を諦め 孤立無援となった上月城は 2度目の落城。 尼子勝久は 切腹、
鹿之介は 備中・松山城へ護送の途中で 殺害されます。

 西の二の丸跡へ行きましたが 見るものはありません。 昔は 見晴らしも良く 四方が
見渡せたようですが・・・。 本丸跡へ戻り 登ってきた大手道を降ります。


 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
 車へ戻り 一息 入れて 佐用城(福原城)へ 向かいます。 国道373号線を 北へ行き
大坪橋を探します。 が 通り過ぎ 少し先から引返しました。 左に 佐用城の表示があり
ますが 50センチほどの大きさで 車から見えたときには 通り過ぎています。
 パンフには 駐車場がないと書いてありますが 何とかなると 登って行きました。 霊社
の脇に停めましたが 帰るとき 狭いスペースでの切り替えしには 苦労しました。 上月
城から 5.1km、12:48 駐車。
 福原城には 福原霊社があり 頭脳明晰だったと伝えられる 城主・福原則尚が 祭られてい
ます。 福原城は 中世に築かれた 代表的な平山城で 東に 川、後背に 山の堅固な立地で
空堀、防塁、馬落としなど その原形を とどめています。  赤松三十六衆のうち 福原氏が
城を継いだので  福原城といわれ 西の上月城、南の高倉城、東の利神城ともども 赤松
一族の城郭群を形成していた・・・。 

 福原城は 天正5年 佐用に攻め込んだ秀吉が 官兵衛と 竹中半兵衛に 城攻めを命じ
落城しますが 「黒田家譜」 の三方を囲み 一方を開けて 敵を逃がす孫子の兵法は どうも
ウソらしい。 「黒田家譜」 に書かれていることは まず 疑ってみる方がいいようです。

 「播磨佐用軍記」 には 黒田・竹中隊は 攻めに苦戦し 蜂須賀隊の加勢によって 優勢に
なり 蜂須賀隊が 搦め手から鉄砲を撃ち 城兵を分散、大手側から黒田隊が 城主を誘い
出し その隙に 竹中隊が 城を攻略したと 記されているそうです。
この戦いは 城兵すべてが斬られるという 凄惨な状況であったようです。

 社がある場所は 土塁が L字に延び 社の西の農道は 堀切で 東の平坦地が 本丸跡。
周りには いくつかの平坦地があったようです。 東の見晴しは よく 南北に流れる 佐用川、
智頭急行が 見渡せます。

 13:15 帰路につきます。 堀切の先に 車を止めたので 方向転換には 苦労しました。
帰りは 国道を北へ回り 国道179号線・出雲街道を走ります。 市ノ上の信号で 右折して
県道28号線で 急坂を登り テクノ中央へ出て 13:43 播磨新宮ICから 播磨道に入り
ます。 播磨道から山陽道に回り 13:56 龍野西ICを降ります。 播磨道は 15.2km
540円でした。 国道2号線に出て 国道を走って帰りました。 15:07 帰着。 

 本日の走行距離は 往路:花しょうぶ園まで 48.8km、上月城まで 10.4km、福原城まで
5.1km、復路:家まで 44.6kmで  計:108.9kmでした。
 。。。。。。  。。  。。。。。。。  。。  。。。。。。。  。。  。。。。。。。  。。  。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐用・花しょうぶ園

2015-06-15 17:42:35 | ドライブ
 6月15日(月)  天気:曇り のち 晴れ   室温:31.1℃

 きょうは 天気が まずまずのようなので 佐用町西新宿の 「おじちゃんと おばあちゃんの
花しょうぶ園」 へ行きました。 山奥の辺鄙なとことにあるのに 結構 多くの人が 来ていまし
た。 佐用まで来て 花しょうぶだけ見て 帰る訳には行きません。 前からの懸案として 残
っていた 上月城跡と 佐用(福原)城跡を 訪れました。 が 上月城と 佐用城は 別ページに
します。
 9:12 出発。太子町から たつの市に入り 龍野新大橋を渡り 県道5号線に入ります。
上郡までは 一本道で 車も信号も少なく 走りやすい道です。 峠を二つ越えて 踏切を渡り
9:52 上郡で 国道373号線に入り 北上。 10:10 円光寺で 橋を渡ったところで 左
折して 県道368線に 入りますが この県道は 走り難い。 道幅が狭く 緩い登りで カー
ブが多く 前方が見通せない。 狭いところで 対応車に出合うと・・・。 こんな道を 9kmも・・・。

 幟のあるところで 右折して 5、600m登ると 花しょうぶ園に 着きました。 国道373号線
から 9.1kmでした。 10:29 着。 家から 48.8kmです。 環境保全協力金500円。

 新聞によると 今年は 開花が1週間ほど早く 今が 見頃とか・・。 過疎化で 荒れた棚田を
地域おこしに役立てようと 地元自治会が 1999年ごろに 開園。 今年 開園から 18年。
0.7ヘクタールの花畑に 170種、50万本のハナショウブが 植えられている。 昔の田んぼを
使っているので 土が 酸性?で ハナショウブに適しているそうです。
 園内の斜面には ササユリも 自生して 手入れしたら 200本ほどに増えた。 ホタルブクロ、
ユキノシタなどの山野草も咲いています。 ハナショウブの株の販売もあります。









 花しょうぶ園を後にして 県道に戻り 円光寺へ戻ります。 この川沿いの渓谷は 天狗岩渓谷という
のでしょうか。 この後 国道に出て 北の上月城跡へ行きますが それは 別のページで・・・。

 。。。。。  。。。  。。。。。。。  。。。  。。。。。。。  。。。  。。。。。。。  。。。  。。。。。。。  。。。  。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする