私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 12月号 「日和山」

2012-12-18 22:58:58 | 歴史探索
 12月18日(火)  天気:曇り  室温:17.1℃

 きょうは 公民館の 「歴史教室」 に 出席しました。 11月は 欠席しましたし 1月は 休講
です。 本日の講師の 姫路地名研究会の田中早春 先生です。 先生は 以前は 播磨学
研究所でしたが 最近は 姫路地名研究会・・・。
 きょうの題目は 「気象予報台の役目を担った日和山」 です。 
 12月の 「公民館だより」 には
 ”皆さんは 「日和山」 と聞いて どこの山を思い浮かべますか。
 私は むかし 観光で訪れた城崎の 日和山を思い出しました。
 日和山は 日本各地にある山の名前ですが いずれも 読んで字のごとく
 日和を 見るための山なのです。
 この日和山が 室津の海が 一望できる場所に 小字地名として残されています。
 今回は その物語を 話しましょう。” とあります。

 きょう 配布された資料: 「気象予報台の役目を担った日和山」 は

1】全国的に有名な城崎の日和山です
 ・古くから温泉の町として知られる城崎です
 ・城崎温泉の観光の一翼を担う日和山海岸です

2】播磨国室津にも 日和山があります
 ・「播磨国風土記」 の記述を見てみましょう・・・「此の泊 風を防ぐこと 室の如し」
 ・行基菩薩が定めたという 「摂播五泊」 のひとつです
    室津泊、韓泊(高砂)、魚住泊、大輪田泊、河尻泊
 ・室津の地形を見てみましょう・・・室津は 三方を山に囲まれた 天然の良港です。
 ・風待ち港・潮待ち港とも 呼ばれていました
 ・室津は 姫路藩の飛び地でした
   江戸時代 室津には 最大 六軒の本陣があったそうです。
       一津屋、肥前屋、薩摩屋、筑前屋、肥後屋、紀伊国屋

※下の地図は 平成13年発行の地理院の 2.5万:網干+相生 です。
 地図には 日和山に 44.0mの四等?三角点がありますが 基準点閲覧のページから
 点名を調べようとすると 三角点がありません。 最近 廃止されたようです。
 また 北に 嫦峨山(三等:七曲) がありますが 地理院のページでは ”峨” が ”娥” に
 変更されています。 嫦峨山の 峨 は 字が 違っていたようです。
 2月の歴史教室で ”室津に なぜ 嫦娥山?” の説明が あるかも知れません・・・。

※2011.10.4 訪れた 「歴史とロマンの街・室津」 は ”こちら”を見てください。
 日和山を 歩いていますが 三角点には 気付かず・・・。
※嫦娥山の山登りは 2009.2.1 の古いブログを見てください。
 「嫦娥」 の名の由来にも 少し 触れています。


3】室津の日和山は 小字として残りました。
 ・せまい漁村に ひしめく人家は 町でした・・・室津千軒
 ・海上が 選ばれた理由は 何だったのでしょうか

4】日和山の役割は 観天望気です
 ・参勤交代と観天望気の関係
 ・江戸時代 気象に精通したベテランは 気象予報士でした

5】日和山のいくつかの条件をみてみましょう
 ・展望がきくこと
 ・港内を一望できること
 ・高い山は向いていません・・・日和山は 標高44m
 ・海上から目印になる山が良い・・・山に 燈籠堂があり 毎夜 火を灯し 灯台の役目をした。
    室津の西に 赤松鼻がありますが これは 赤松一族とは 無関係?で
    アカマツがあり 猟師の目印だったのではないか・・。

6】資料から日和札を見てみましょう
 ・遠見屋嘉七と 遠見屋嘉十郎は 日和見のものでしょうか
 ・熊本藩 肥後屋の資料からです

※下の資料は 室津にあった本陣が 明治になって 廃止され 取り壊されましたが
 あるとき 海岸で 燃やしていた 襖の裏紙から 見つかったそうです。
 右は 日和見が 21~23日は 海が荒れるというので ここから陸路(西国街道)で
 大阪へ向かった ことが書かれています。  左は 日和札の一例。


≪ 追 記 ≫
 10月の 「歴史教室」 で ”網干の龍門寺と灘屋三兄弟” のことを 学びましたが
 今回 『歴史と神戸』 (神戸史学会)12月号(非売品) に 「網干龍門寺創建にまつわる
 灘屋の 繁栄と終焉を探る」 という題目で 本になったそうで コピーを頂きました。
 歴史教室で 学んだことが 詳しく まとめられています。
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コメント
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