西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

一般質問ー救急医療ー

2013-07-03 12:57:26 | 日記
若い頃は「肉!」「肉!」「肉!」と肉のない食事は許せなかった私です。
大学時代のアルバイト選びも、肉のいっぱいある食事を出してくれるところが第一条件でした。

ですので私がやったのは、牛丼の吉野屋、トンカツを出す定食屋(名前忘れた)、スパゲッティー専門店のカロリー(もう今はないです、でもあそこのピカター豚肉をたまごで包んだ上にソースーは今でも夢に出るおいしさです)と飢餓学生そのもののセレクトでした。

あのころはどれだけ食っても太らなかった、(毎日の空手稽古で消費し、太る分のカロリーがなかった)ラーメンやカレーなんかおやつ感覚でした。代謝率の良さは、まるで1960年代のでっかいアメ車の燃費並です

ただそんな私でも食べるのに「ふ~ふ~」言っていたお店が大学のそばにありました。今たまにテレビで出ます「マウンテン」というお店です。カレーの大盛りなんか鍋みたいなやつで出てきました。名古屋(昭和区で南山大学と中京大学の間にあります)に行くことがあったら食べに行ってください、びっくりすること請け負います。

ちょっと話が飛びましたが(いつも・・と言う声が)、成長すると(歳をとると同意味)代謝が悪くなってきます、「いいんだよ~もう成長するところなんかないんだから、あとは生きていくギリギリのエネルギーだけあればいいんだよ~・・」という体の声が聞こえそうです。
今の私の代謝率はPHVのプリウスの燃費並です、エネルギーを使わないし、余ったエネルギーはそのまま(ありがたいことに)貯蓄してくれます(大きなお世話ですけど)

そんなことも関係あるのかもしれませんが、昔ほど(あくまで昔ほどは・・です、今でも焼き肉大好きです)肉は欲しません、その代わりに野菜が好きになりました。少年の頃はウサギが食べるものを人間が食えるかい!なんて言っていたのですが、変われば変わるものです。それで
昼は野菜サラダと何か一品という形になりました、もちろんいつもじゃないけど。

先週の土曜・日曜日は空手の試合だったので、マルシェに行けませんでした。そこで行われた姉妹都市の西海市の「物産展」は是非いきたかったのですが残念でした。ただ妻が代わりに行ってくれ、西海市の特産品を沢山買いました
その中の一つに「わかめ」があります、昨日食べたけどとろみがあって美味でした

と言うことで、今日の野菜サラダには西海市のわかめ(たぶんわかめだと思いますが)がたっぷりと入っていました。
美味でした、そして髪にも効けばありがたいな~と(強く)思いながら、昼食をいただきました。

さて、本日で一般質問は最後です。これも私にとって大きなテーマ「救急医療についてです」

それでは

最後は救急医療についてです、壇上からのお答え有り難うございました、大変厳しい状態であるというのは私達文教厚生常任委員会でも、同じ危機感を持っているところでございます。答弁の中での現在の常勤医への負担、疲弊問題、また現在の体制では年内に資金ショートはまさに待ったなしの状況なのだと私達も思っています。それでは、それを解決する糸口を委員会としても議会としても探っている状況です。答弁にもありましたが医師確保というのが最大の要件であると私達も考えているところです。そこで先ほど非常勤医師であるのですが、何人か診察をしてくれる方が出て、好転しつつあると言われましたが、その辺りをもう少し詳しくお答え頂きたいのですが。


*現在の非常勤医師の状況は、消化器内科の医師が毎週火曜日に主に内視鏡検査を担当し、一般内科の外来診察も対応している
*健診担当の医師については週二回程度、事業所検診を始めとした健診全般を対応
*一次救急の夜間外来診療に対して、本年五月の状況では大学から14回、医師会から8回の派遣が行われている


医師確保の方法として宮崎大学からの派遣以外に大学以外からの情報収集と言われましたが、具体的にはどのようなものでしょうか?


*県内外出張や各種会合の際に、地元出身者との会合を持ち、医療センターの現状を伝えると共に本市の医療機関への勤務に関心がある医師の情報提供等をお願いしている
*医療センタ-では県が県内外の医師や学生を対象に主催する病院説明会に参加され医師の招聘に取り組んでいる
*これ以外にもあらゆる手段を活用継続していきたい


西都児湯の救急医療を守る為に今最も力を注がないといけないのは、医師確保問題です。
現在浜砂先生、それと後藤院長が常勤医として勤務されています。特に浜砂先生の勤務状況は激務の一言です。答弁にありましたが非常勤、常勤関係なく医師確保を働きかけなければ、経営が立ちゆかなくなります。
失ったものを再びよみがえらすのは、大変な労力が必要となります。市民のたっての希望で住民、行政、地元医師会、議会が一体となった取り組みで昭和55年に病院が設置されました。県内でも先進的な病院でした、その後30年にわたって西都児湯の安心安全を守ってきたのです。その後経営主体は医師会から官民共同方の医療センターへと移行しましたが、現在存亡の危機を迎えています。
私は設立したときと同じように、住民、行政、地元医師会、議会が力を合わせて存続への道を歩かねばならないと信じます。
西都児湯の10万5千人の安心と安全を守るという 同じ目的を共有し確認し合い、質問の冒頭に言いましたが、今できる小さな事をおろそかにせず、こつこつと誠実に行うことが、救急医療の再生という大事をなすことだと思っています。再度もうします、住民、行政、地元医師会、議会が力を合わせることこそ救急医療の再生への道だと信じ、私の質問の全てを終わります


以上です
コメント
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