西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

救急医療を考える

2012-08-06 22:27:01 | 日記

何度かこのブログでも取り上げていますが、地域医療についてちょっとおかしな状況になっています。

それは以前書きましたが宮崎県の二次医療圏の見直しの問題についてです。一般質問でも述べましたが国が医療圏について言及するのはあくまで、国民均等な医療を受ける機会の創出であって、そこに経済問題つまり医療経営を含んだことでは無いはずだと私は思います。

ところが今回、審議会では西都児湯圏の医療圏だけターゲットにして見直しを画策しているように私は感じます。

勿論医療圏の見直しが、一市五町一村の十一万人の住民の命を更に守ってくれるモノなら、私は諸手を挙げて賛成するモノですが、どうも違います。

医療資源の集約などという言葉で、拠点を集中したら(宮崎市に)、只でさえ一秒を争う疾患(脳外科、心疾患)を見てくれる病院が少ないのに、それが見直しによって西都児湯地区から消失することになるのは火を見るより明らかです。まして救急患者の立場で考えると恐ろしい医療状況です、つまり救急車は移動距離が増えて不在が多くなる、ドクターヘリは夜などの運行に問題がある(悪いことに救急疾患はそんな時が多い)、移動手段を問わず近場に救急医療を担う拠点があるのが住民の立場では望ましいのです。

一市五町一村の住民は、一見もっともそうな意見(宮崎市への流失率が大きいから・・などの理由付け。流失が多ければそれを減らす対策するのが本道だと私は思います)の裏で、なされようとしていること(分散型から集中型・・つまり拠点から離れれば離れるほどを救命の可能性が減る、医療弱者を生む施策)を知らねばならないと思っています。これは早い内に何らかの形でシンポジュームか討論会を行いたいと思います。

是非住民の皆さんはこれらの機会を使って、医療圏について自ら考えて欲しいと思っています。

私は医療圏の問題はあくまで「更なる救命の可能性生む」という点で考えて欲しいと考えています。医者が少ない、看護師が少ない(これは医師を増やす施策をしなかった、国の政策間違い)から資源集約などという言葉によって、医療費支払いの負担(国全体の問題です)を国民一人一人の医療を受けるチャンスを減らすことによってまかなおうとする逆進的な考え方に反対したいと思っています(勿論無駄な医療は受けないという国民の考えが必要です、国民が安直に医療を受けるから医療費が国の財政を圧迫していることに一人一人が気づくべきです)。

あくまで考えなければならないのは、国は(県も含む)国民の命の問題をどう守っていくかであり、そしてそれとともに国民は世界に誇るべき医療保険制度を如何に健全に守っていくかであると思います。

 

コメント
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