西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

写真で報告を

2012-08-11 20:02:30 | 日記

最近文字ばっかりのブログだったので、今日は写真を入れての報告とします。

まずはターボがオープンキャンパスに行く日の写真です。私は日南市南郷に行くので宮崎駅まで送っていきました。宮崎駅発博多行きのフェニックス号です

「降りるところはわかっているよね?」「わかっちょっが、天神やろ」・・ま~実は天神はフェニックス号の終点なので、眠っていても全然OKなのです。

その日の昼過ぎ、家に電話しました。(薄情な父親なりに心配はしているのです)、妻に「どうだった、何か電話有った?」と聞くと、妻は「ターボから電話があって、どうも違うところに降りたみたい、どうすればいい~(省略)・・で教えてあげたの」、私・・「????どぼじて、なんでわざわざ間違う事ができるんだろう?」我が子ながら、やらかしてくれる奴です。(注)どうも天神の前の博多駅で人がいっぱい降りたみたいで、つられたようです・・判断は自分の頭でするという大切な学びを得たことでしょう。

南郷での人権大会です

虐待じゃないかと思ったら、是非相談してください

さて新田原基地対策調査特別委員会の要望活動と調査活動です。朝7時前に西都市を出発して東京へ向かいました

羽田から京浜急行で品川、山手線で東京、JR中央線で昭島市に行きました

昭島市は東京から35km(電車で東京まで50分ぐらい、ビジネス街の新宿までは更に近い、ベッドタウンですね)面積は狭く17.35平方キロで、そこに11万人の人口を抱えています。市の北に横田基地をかかえています。横田基地は極東地区の米軍部隊および基地に対する物資兵員の輸送、指揮等の中核基地です。

この基地は3.11東日本大震災の米軍の援助である「トモダチ作戦」の拠点となったところです(感謝)

議長さんの挨拶をいただき、担当課の方から市の防音対策について詳しく聞きました。色々と話を聞かせて頂きました、同じ問題を抱える自治体の生の声を聞くことは、自分の市を振り返って考える良い体験となります。色々聞きましたが、私が最も大切(大切というか危険)だと思ったことは「騒音状況調査を安易に行うべきでない」と言うことです。と言いますのは昔に比べ現在の飛行機は騒音が低音化しているし、また性能も飛躍的に上がっているので騒音の数値が出ないのです。事実昭島市では平成17年10月に住宅防音工事対象区域が縮小されました。

うるさいから(確かにうるさい音です)測れ測れと戦略もなく言うのはやぶ蛇になるのかもしれません。(次の日、この件は防衛省の担当の方にこのような言い方で私は伝えました(言い方の細部は違っているかもしれませんが要点をくみ取ってください)。

音に対する感覚は終戦後間もないときと、現在は同じ感覚とは思えません。あの当時の騒音レベルをそのまま持ってくるのはおかしいと思う。何レベルの音かが問題じゃなく、国防を担っている基地のある町だと言うことを考えて欲しい。西都市は新田原自衛隊とはとても友好な関係を持っています。それは住民が国防のため日本の安全安心のため騒音を我慢しているのだと思って欲しい。西都市は何も言わないから(文句を)今のままで良いんだと安直に考えて欲しくない。常に友好な関係を築き続ける努力が大切だと思う。私たち市議会も大局をみて、ある時は住民の皆さんを説得することも有るのだから。だから今は厚木に手がいっぱいだとか言って欲しくはない」このようなことを、強く伝えました。

色々な気づきを得た昭島でした。

昭島市の皆さん有り難うございました、ところで会議でいただいたミネラルウォーターにこんな表示が

分かりますか、販売者が昭島市の水道局です、凄いですね(どうもイベントの時に出すモノらしいけど・・水がとても美味しいことで有名な昭島市です)

昭島市から東京に戻って、県選出の国会議員に要望です。当日は国会がゴタゴタ(もう皆さんしってのとおり)していて、特に衆議院の皆さんは忙しく、その中でも短い時間を私たちのために裂いてくれました。

メンバーを衆議院と参議院に分けそこをまた分かれて、各議員さんの事務所に要望を届けました。私は江藤拓議員の事務所に行きました、そこで要望書を届け、色々と話をさせて頂きました。その時江藤議員からとても重要な情報を頂きました。今問題のオスプレイの事です。どういった情報かは詳しくはかけませんが、運用試験ルートのことです。私は重大な意識を持ってオスプレイの情報を見ていきたいと思います。

全員要望が終わったみたいで、へとへとに疲れてホテルに帰り、皆で夕食を取りました。

道休議員の秘書の方に紹介されたお店は、飲み放題で刺身からもつ鍋までで4000円弱というリーズナブルなところでした。美味しい店でした。写真は私たち議員のスケジュール等の準備や当日の世話で苦労した中武さんです(お疲れ様です)。

夕食後私はホテルに帰り、オリンピックを見ようと思い、酎ハイをシュパッとあけてベッドに横になったら、2口飲んだぐらいで熟睡しました。

おかげで5時ぐらいに目が覚め、ナデシコの最後が見られましたけど(睡眠時間はまるで小学生なみです)。

8/10は国会議事堂に行き、民主党の橋本清仁副幹事長にお会いして要望書を渡しました。

委員会全員意見を述べました。

川村議員と道休議員

その後、衆議院会館に防衛省の担当官がお見えになり、要望と意見交換会です。私は前に書いたような意見を述べました。

急遽、下条みつ防衛大臣政務官と面会、要望できることになりました。ただ時間があまり無く(帰りの飛行機は15:55分で会えるのは14時)危険を考え(間に合わないこと)、荒川委員長、井上議長、と副委員長の私が面会することになりました。他のメンバーは羽田に向かい、私たちは道休議員の友人の議員秘書の方の好意で車を出して頂けることになり、防衛省に向かいました(某秘書さん、本当にお世話になりました)。

14時に下条政務官と会い要望書を提出して、地元の現状等をお話ししました。良く聞いて頂いたと思っています。

さて政務官室は大臣室の隣なのですが、偶然森本大臣が帰省され大臣室に戻られるときに遭遇しました。絶好の機会と大臣室の前で名刺を交換させて頂き、少し話をさせて頂きました。大臣は新富町に住んでいたこと(自衛官時代)があるそうで、西都のことは詳しい方でした。

素晴らしい偶然でした。

こうして一泊二日のバタバタした要望活動と行政調査は無事終了しました。東京をあとにする前にお世話になった道休議員の事務所で秘書の方を囲んで記念写真です。

 

コメント (1)
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