西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

無名

2010-09-30 23:38:50 | 日記
写真を撮るときに、いらだちに似た焦りを感じることがあります。

それは今自分の中にある感情をなかなか表現できない焦りです。写真は何かが写っています(当然です)、それは人であったり、ネーチャーであったり、静物であったりします。
他の人が撮った写真を見て、僕の心に届く写真は撮り手の気持ちが明瞭に現れているものです。ザックリ言ってしまうと被写体に撮らされているか、被写体を撮っているかの違いです。
例えばアイドル写真に私は全く興味がありません(うーーむ、全くは訂正します。)、それはあるルール(アイドルがキレイに撮れるやり方)に従い、撮られているからです。
そこに撮影者の感情はおろか、被写体の感情さえ写っていません。

こんな事言っていいのかわかりませんが、よく撮影会(写真クラブなど)で、ここをこう撮った方がいいよとアドバイスする指導者がいます。すると皆そこから、撮ります。構図だけでなく、露出(カメラの絞りと、シャッタースピードの事です。脱ぎ具合じゃありませんよ)まで一緒。できあがった写真はキレイで、うまい写真が出ます。撮った人は「オーースゲーッ、格好イイ写真が撮れた」と喜びます。でもそれは指導者の写真であって、彼の写真じゃありません。

勿論写真を学ぶためには、ある程度教育(もしくは稽古)として必要です。でも教えられた形をなぞるだけの写真は早く脱却すべきですね、写真はどう撮るかより、何故撮るのかを指導者の生き様から学んだ方がよいです。

僕は私小説ならぬ私写真が好きです、そこには撮らずにはおられなかった写真があるからです。そこに構図や露出などと言う小賢しいものはなく、実際の生活の中のぐつぐつした熱を感じます。
写真家で言えばアラーキ、ナン・ゴールデン、ラリー・クラーク(これはちょと引くぐらいコアですが)、最近(最近ではないな)では神蔵美子の「たまもの」です。

さて前にブログで沢木耕太郎の「無名」を買ったと言いましたが、読みました。今日(9/30)9月議会が閉会し決算は全て採決を終わり、早めに帰宅できたので読めたのです。

久しぶりに沢木さんの文章を堪能しました、僕の大好きだった沢木節です。
彼の父が臨終の時を迎えます、その中で父のことを思いだしながら淡々(この淡々さが好きなところでもあります)と文書にしています。一工場従業員だった父の生きてきた姿を考え、父の残した俳句を句集にしようと沢木さんは思い、父の書いた俳句を詠みながら、そこに沈んでいた父の気持ちに気づき、無名だった父の一生に思いを寄せていく内容です。

その中で沢木さんでも自分にわき起こった確かな感情を文章にする難しさ、葛藤が出ていました。
父が亡くなり、母に促されて父の髭を剃ります。そこはこんな文章です

「お父さんの髭を剃ってあげてくれないかしら」「カミソリはどこにあるの」母が洗面所から持ってきてくれたのは電気カミソリだった。
ー(略)ー
低いモーター音のする電気カミソリで、父の頬や顎を剃っているうちに、激しい感情がこみ上げてきそうになった。いつかの夜に、絞り出すような声で父が呟いた言葉を思い出したからだ。
「何も・・・しなかった。何も・・・できなかった」
沢木さんはずっと、激しく揺れた心の動きを文字に定着させたいと思っていましたが、なかなか出来ません。散文でなく、父が好きだった俳句の形で表現しようとします。何ヶ月かすぎたある日のこと、銀座三越の横にある地下鉄口の階段を下りようとした瞬間に五.七.五で定着しました。

「なきがらの、ひげをそるへやに、ゆきよふれ」

でも、その後沢木さんは迷います。それは父は自分の死の時「雪が降ること」(自分の死が特別であるという比喩として)を望まなかったのではないかという思いです。この「無名」の最後はこう締められています。

そのように自分の死が特別に浄化されることなど望みはしなかったはずだ。ただ死を死として受け入れてくれる家族がいればそれでよかった。
地下鉄口の階段の手前で立ち止まり、夕暮れどきの空を見上げると、そこにはとうてい雪など降りそうもない冬の透明な空があるだけだった。それでよし。私は父の代わりにそう呟いた。
コメント (2)
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