アナーキー小池の反体制日記

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#1973 醜怪な”日本会議”の陰謀(4)

2016年06月02日 | 国内の話題
日本会議のルーツは”生長の家”という名の右翼宗教団体のようです。
ボクが学生のころ、学内に”生長の家”グループがありました。
主に武道系体育部の学生がメンバーとなり、左派学生が行っていたデモや校舎のバリケード封鎖を妨害する役目を担(にな)っていたものです。
ボクたちの穏健な学生が校舎のバリケード封鎖に参加していると、学ランを着て木刀を持った右翼学生が肩を怒らせて通り過ぎたものです。
学生運動に対し大学側は、”生長の家”を含む右翼学生と、道警を通して集めた暴力団員で対抗していたものです。
ただ当時は、左翼学生が大多数なため、右翼学生や暴力団員は”帰れコール”に見舞われるなどし、存在感は乏しかったのを記憶しています。

当時の全国の大学では、反安保に加え、学内の民主化を訴える運動が盛んでした。
今もあまり変わっていないようですが、大学というところは戦前のように封建的なものが残っています。
そしてそのころボクは学生寮にいたのだけど、大学側から寮の自治権を無くし、いずれは廃寮にしたい意向が示されたのです。
ボクたちは反安保はもとより、寮の自治権を守るため、デモや校舎のバリケード封鎖に参加し、徹夜でバリケードを右翼学生や暴力団員から防衛したものです。

昔の思い出が長くなりました、本題に戻ります。

”生長の家”について説明します。
ボクが学生のころの”生長の家”と今の”生長の家”は、全くと言っていいほど異なったものになっています。
生長の家は、世界中の宗教をごった煮にし、その中から皇国史観(天皇陛下万歳!)を生み出す、そんな宗教です。
創価学会と同様、政治に積極的に係わっていたのですが、この20~30年前から方針を大転換し、政治と決別し今は環境保護団体と見紛(みまが)ふほどの穏健な団体へと大変身をしたのです。

この大変身に不満を持つ”生長の家”信者がたくさんいました。
政治に係わり続けたい!、そんな信者が日本会議の旗揚げに重要な役割を担ったのです。
”日本会議”は、70年代初頭の右派宗教団体で天皇崇拝を掲げた生長の家の学生信者による右翼学生運動の闘士が元始であることが明かされています。(ボクと同年輩の団塊の世代人でしょう)

政治運動から撤退した生長の家の”路線変更を良しとしない古参信徒たち”の生長の家原理主義者が日本会議やその周辺に蠢(うごめ)いていることが明かされています。
あのアベ政権がこの”生長の家原理主義者”という特殊なインナーサークルの強い影響下にある、という構図が出来上がってしまったのです。

醜怪な”日本会議”シリーズ、まだ続くのです。
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