「毎日更新!」を看板にしているブログですが、昨日は飛びました。
大切に思っていた方とのお別れの時を迎えて、しとしと冷たい雨が降る中でお見送りしました。
長い長いお付き合いの中で思い起こすことは数限りなく、「もう会えない」と思うことは何度経験しても辛いものです。
そしてまた「生きている今が大切」と、しみじみ思うひと時でもあります。
ご葬儀に参列させていただいて、昼過ぎに帰ると「ご相談したいことが・・・」と家の電話にメッセージがありました。
骨折してほとんどベッドの上で過ごされている夫さんの介護認定更新で要介護2から、要介護1に。
「介護保険でレンタルしているベッドは使えない」とケアマネさんから告げられ途方にくれているというお話でした。
「泉大津は、そんなにきびしいのですか?」とおっしゃるので、市の独自の制度ではなく「福祉用具の貸与は要介護2以上」というのは国の制度であることをお伝えしました。
2006年の制度改悪で、「車いす、ベッドなど福祉用具の介護保険での給付は要介護2以上」となりました。
ほんとにひどいことです。
多くの方が、自費で買い取り、自費でのレンタルを余儀なくされました。
車いすでについては、さすがに「移動困難」という医師の意見書で要介護1以下でも利用できる道が制度改悪とほぼ同時に開かれましたが、ベッドはダメだったと記憶しています。議会の質問でも取り上げました。
高齢介護課に問い合わせると、「ベッドについても要介護1以下でも、寝返り、起き上がりができないなど身体状況によって介護給付を受けられる場合がある」ということでした。
お電話いただいた方は、ご夫婦ともに80代のいわゆる「老々介護」。ベッドがなくては暮らせません。
「必要なものは使える」のでなければ、公的社会保険としての意味がない。
「全世代型の社会保障」などと安倍総理は言いますが、高齢者施策を冷たく切り捨ててきたことの一つが介護保険の福祉用具取り上げでした。
大切に思っていた方とのお別れの時を迎えて、しとしと冷たい雨が降る中でお見送りしました。
長い長いお付き合いの中で思い起こすことは数限りなく、「もう会えない」と思うことは何度経験しても辛いものです。
そしてまた「生きている今が大切」と、しみじみ思うひと時でもあります。
ご葬儀に参列させていただいて、昼過ぎに帰ると「ご相談したいことが・・・」と家の電話にメッセージがありました。
骨折してほとんどベッドの上で過ごされている夫さんの介護認定更新で要介護2から、要介護1に。
「介護保険でレンタルしているベッドは使えない」とケアマネさんから告げられ途方にくれているというお話でした。
「泉大津は、そんなにきびしいのですか?」とおっしゃるので、市の独自の制度ではなく「福祉用具の貸与は要介護2以上」というのは国の制度であることをお伝えしました。
2006年の制度改悪で、「車いす、ベッドなど福祉用具の介護保険での給付は要介護2以上」となりました。
ほんとにひどいことです。
多くの方が、自費で買い取り、自費でのレンタルを余儀なくされました。
車いすでについては、さすがに「移動困難」という医師の意見書で要介護1以下でも利用できる道が制度改悪とほぼ同時に開かれましたが、ベッドはダメだったと記憶しています。議会の質問でも取り上げました。
高齢介護課に問い合わせると、「ベッドについても要介護1以下でも、寝返り、起き上がりができないなど身体状況によって介護給付を受けられる場合がある」ということでした。
お電話いただいた方は、ご夫婦ともに80代のいわゆる「老々介護」。ベッドがなくては暮らせません。
「必要なものは使える」のでなければ、公的社会保険としての意味がない。
「全世代型の社会保障」などと安倍総理は言いますが、高齢者施策を冷たく切り捨ててきたことの一つが介護保険の福祉用具取り上げでした。
2006年の福祉用具の保険給付に関する制度改悪の時は「車いすは移動困難な場合には特例として認めるが、ベッドはダメ」という冷たい対応でした。
お祖父さまのお話、そのころだったのかもしれませんね。
今はそれほど機械的な対応はしていないようです。やはり「現場の声が制度を動かす」ということを痛感します。
でもやっぱり「根本的な転換」」が必要ですね、
かつて祖母がまだ祖父と二人で住んでいた時、祖母は要介護認定3以上でレンタルしてたベッドがあったんですが、祖母が、リハビリ施設に入所すると回収。祖父は要介護1でたしか使えなかった記憶が...
祖母が亡くなった後、介護ベッドを捨ててしまいましたが..いいものだったので、誰か引き取ってくれるとよかったなあなんて話をてました。
施設だと置いとける期間も短いしなんとかならなかったかなといまだに思います