日本共産党大阪18区国政委員長の、もちづき亮佑(りょうすけ)さんは、高等専門学校在学中に、小型原子炉を使った実験に参加、原発について学び、その直後に3・11の福島原発事故。
「原子力の分野で国民の側に立つ研究者が必要」との思いで、京都大学大学院で原子力工学を学びました。
そんな、もちづきさんが、「汚染水海洋放出」の問題についてフェイスブックに投稿した文書が以下。
本人の了解を得て、転載させていただきます。
ぜひ、読んでください。
【何を言おうと放射能で海を汚す現実は変わらない】
福島第一原発の「処理水」の海洋放出を政府が決めました。このことについて私の考えを書いておきたいと思います。
前提として、放射能汚染水をどうするかは容易に解決できない原理的な難しさを抱える問題です。放射能そのものをなくす技術を人類は未だ持っていないからです。現時点で取り得る「解決法」は、結局のところ〈濃縮してどこかに固めておく〉か〈薄めてどこかに捨てる〉かのどちらかということになってしまうと思います。
しかし、今回の決定にはいくつものごまかしや問題のすり替えがあり、このまま見過ごすわけにはいきません。
ひとつは、海洋放出が決定された「処理水」には、除去が困難だと政府の説明するトリチウム(三重水素)以外にも、多数の放射性元素が含まれているということです。東京電力が公表しているデータを見れば、いくつものタンクで放射能の濃度が基準値を上回っていることが確認できます。
【東京電力:タンク群毎の放射能濃度推定値/実測値 https://www.tepco.co.jp/…/watertreatment/images/tankarea.pdf 】
NHKのニュースでは、このトリチウム(三重水素)のもつ性質が解説されたようですが、トリチウム水の危険性の議論から、「処理水」海洋放出の妥当性を導き出すのは、悪質な論点のすり替えです。
ふたつは、外国の原発が海洋放出するトリチウム水の濃度やWHOの示す飲料水の基準値を持ち出して、「処理水を十分薄めれば安全だ」と政府が説明していることです。
今日の気候変動や環境破壊がなぜ引き起こされているのかといえば、結局は海洋も大気も有限の大きさしか持たないものだからです。「薄めれば大丈夫だ」という議論は、海は無限に広いのだと言うに等しく、それならば海には何を捨ててもよいことになってしまいます。
海洋放出に踏み切れば、そのぶん海水中の放射能は増えるわけです。「飲んでも影響がない」とか「世界中で行われてる」とか、そんなこととは無関係に、海は汚されるのです。
みっつは、海洋放出を巡って必要な対応として、政府や与党の関係者は決まり文句のように風評被害への対策にしか言及しないことです。
「処理水」の海洋放出はその分、確実に海を汚すわけです。そのことの影響を「風評被害」と表現することは、これを受け止める側の気持ちの問題へと、問題を矮小化するごまかしです。
10年前の原発事故によって故郷を追われた人がいて、そして今も復興に努力する人がいるただ中で、こんなごまかしができてしまう人には、現実を認識する能力が不足しているか、あるいは、人の道を知らないかのどちらかでしょう。
最初に述べましたが、この問題は現時点で確実な解決策が存在しない原理的な難しさを孕んでいます。だからこそ、状況を正確に把握し、周知した上で、丁寧な議論を経て社会的な合意を形成する努力が欠かせないのです。困難な問題に際したときに、議論をすり替え、ごまかし、反対する側に「責任を持て」などという言葉を投げつけることは、大きな誤りです。
ところで、谷川俊太郎の「生きる」のなかに、こんな一節があります。
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生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
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生きることは、美しいものに出会い、隠された悪を拒むこと。
難しい世の中で、人間としての一生の在り方を日々問われている思いがしています。