こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

今、改めて「河野談話」を読む

2013-08-18 21:24:00 | 憲法・平和
8月8日~11日の「韓国4日間の旅」を振り返って書いてきた。

日頃はブログの更新にあまり時間はかけないようにしている。
他の仕事に支障が出るといけないので。
日々、心に残ることを思いつくままに記すことが多い。

しかしこの数日の「韓国の旅の記録」には今までになく多くの時間を費やした。
それでも言葉にできなかったことの方が多い。

あえて抽象的な表現にとどめたこともある。

今、改めて「河野談話」を読み返す。
橋下市長は「単なる談話」だと言い、第一次安倍内閣の「軍や官憲の強制連行を直接示す記述は見たらなかった」という「閣議決定」を持ち出して「閣議決定は単なる談話より重い」と繰り返し言った。
「慰安婦」問題について、「軍の関与」「少女たちが強制的に連れ出された。」「抵抗する自由はなく日夜、性的暴行を受けた」・・・それらを示す明白な資料。そして被害者の証言。

それらを見ようとせず、聞こうとせず「強制連行の事実はない」と言い張る政治家は橋下市長だけではない。

しかし本質的な問題は「直接的な強制があったか、なかった」(それが問題だと橋下氏は強調するが。)ではないはずだ。

日本がかつて犯した侵略行為、民族の誇りも言葉も文化も・・・無数の命とともに奪った。その戦争遂行の道具として植民地化した国の少女たちを生け贄にした。
残虐で恥ずべき歴史の生き証人として沈黙を破った「元慰安婦」のハルモ二たち。

戦争が終わっても連れていかれた土地に取り残され、身をひそめ生き抜いて長い時を経て「ナヌムの家」での暮らしにたどりついたのは奇跡のような幸運かもしれない。
何十倍、何百倍の「ハルモ二」たちが無念のうちに、孤独な生涯の終わりのときを迎えたに違いない。


「河野談話」を橋下市長は「単なる談話」と言い放ったが、それはあまりに事実に対して傲慢不遜ではないか。
「『慰安婦』問題は、政府や軍ではなく民間業者が行ったもの」と言う国会答弁をきっかけに「私が元慰安婦」と名乗りをあげたひとりの女性がいた。
それに続く多くの女性たちがいた。
そしてようやく日本政府は調査を始めた。被害女性からの聞き取りだけでなく「元慰安所経営者、付近の居住者、研究者等」からの聞き取り、「警視庁、防衛省、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館」などの諸機関を調査対象としたことも明らかにされている。韓国政府が作成した報告書、日本国内での「慰安婦」問題についての出版物の「ほぼ全てを渉猟した」と政府の文書に書かれた。

つまり「河野談話」は戦後半世紀近くを経て、ようやくたどりついた「到達点」。被害者女性の告発と韓国・日本国内の人々の世論と運動の結実であったのだと思う。
「到達点」であると同時に、「過去の侵略の歴史を乗り越え新しい時代へ」と歩みを進める「出発点」でもあったはずだ。

1993年8月4日の「河野談話」からすでに20年。
いわゆる橋下市長の暴言以来、「談話」の一部の引用や要約を目にすることはあっても全文を読んでいない方も多いのではないかと思う。

このブログをお読みいただいた皆さん。「河野談話」とは何だったのか。一緒に考えてください。以下に全文を掲載します。(外務省HPより)


慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話

平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。














コメント (2)
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