ビクトル・エリセ DVD-BOX紀伊國屋書店このアイテムの詳細を見る |
1983スペイン/フランス
監督・脚本:ビクトル・エリセ
原案:アデライダ・ガルシア=モラレス
撮影:ホセ=ルイス・アルカイネ
出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ボリャン、ロラ・カルドナ、オーロール・クレマン 他
昨年末にDVD鑑賞
やはりすばらしい映画でございました。
少女エストレリャの成長を、少女の抱く父親像の変遷をもって表すというプロットがとても美しいと思う。少女は父を喪失すると同時に、父のルーツである「南」への帰属の機会を手に入れる。父を理解する旅は自分自身を知る旅とも重なるだろう。もしかしたらエストレリャはダウジングの能力を発揮するかもしれない。あるいは祖母やミラグロスに囲まれ、普通の女性として過ごすのかもしれない。そうした可能な物語のすべてが、父の形見の振り子とともに彼女の旅行カバンに詰められた。その瞬間に向って映画は冒頭のかすかな光から始まる。窓からの日差しを精いっぱい受けながら父を想うエストレリャの像をとらえる。まるでいま初めて映画が生まれたかのようにみずみずしい。
少女時代のエストレリャを演じたソンソレス(いい名前だ)が素敵だ。ダウジングで特殊な能力を発揮する父の傍らで誇らしげに助手を務める姿、父にもまた父の悩みがありその深いことを知るときの困惑と親近感のないまぜになった表情。カフェの窓の外から父を見て目を合わせるときの戸惑いの仕草。演技とは思えない。
彼女が自転車に乗って、エリセ的奥行きを体現する家の前の通りを奥へと走り去る、それが彼女の退場シーンだ。これでもう彼女に会えないかと思うと何とも寂しいシーンである。
その道のむこうから次にやってくるのは15歳になったエストレリャだ。彼女を演じたイシアルも負けず劣らずすばらしい。普通の女の子に育ちながらも心のどこかで彼女は父を理解し、深いところで繋がっている。父との最後の会話はととえも印象的なシーンだ。ほとんど意思疎通とは言えない会話なのだが、お互いをちょっぴり未知な、しかしどこかでわかり合っている存在だとわかっている、そんな趣を感じる。レストランの片隅で、その奇跡はさりげなくおこる。隣室の披露宴から聴こえてくる音楽。泣けるなあ;;
ふたりとも映画初主演ということです。
『ミツバチのささやき』のアナ・トレントとくらべても負けない豊かな演技だったのに、なんだかアナの人気ばかりが高いようなのは、やはりあの愛くるしいマスクのせいかしらん??
使用人ミラグロスは『ミツバチ~』でもでてくるね。
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『ミツバチ~』では屋内の続き部屋を見通すシーンが印象的だったが、ここでも「かもめの家」の前のさびしい道を画面の奥行きを出すアングルで多用しているのが美しい。自転車やバイクで人が移動するのだが、画面自体は静止の構図なのに運動性があるし、それだけで期待感や寂寥感を表せてしまう。
エストレリャの家である「かもめの家」の内部もなかなかよいつくりだ。家のまんなかにある階段を上下する縦の線。最上階の父の部屋の床から階下に伝わる音の表現。画面を上下する意識の動きがまたまた美しい。
しかしなんといってもラストのエストレリャの弱々しくも期待に満ちた表情のアップとそれを包む部屋の光の淡さにはやられた~
これは冒頭の振り子を見つけるシーンの記憶と重なって、ラストにふさわしい感動のショットだ。
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父アウグスティンの悩みというのははっきり示されはしないのだが、死に至る病のようなものだろうか。冒頭のシーンは1957年秋という設定だったから、スペイン内戦後、フランコ独裁政権の確立期であることも無関係ではないだろう。ミラグロスが寝室でエストレリャに語るように、明らかに父は共和派であり、そのこと(を含めてもろもろ)で祖父と対立し、教会を嫌った父親の胸中は、明示されないが濃密な空気として映画の底のほうを漂っている。
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十分完結した作品であれ以上のラストはないだろうと思うのだが、この作品の原案となった小説には、さらに続きがあるという。そこではエストレリャが南にいってからのことも書かれているという。それはぜひとも読まなければいけないだろう。
DVD付属の解説によると、その原案がまだ小説として完成する前にこの映画を作ったということだ。なんでこういうことになるかというと、原案を練っていたのがエリセのパートナーだったということで(笑)つまり映画と小説は同時進行かつ別進行だったのだ。
小説は1月下旬にインスクリプトから発売ということだ。amazonにはまだ出ていないが(投稿日現在)。
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