Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ウォン・カーウェイ「恋する惑星」

2005-12-07 15:15:03 | cinema
恋する惑星

コロムビアミュージックエンタテインメント

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1994香港
監督:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン、フェイ・ウォン
   ブリジット・リン、金城武

前から気になっていたので観た。
途中寝てしまったので、もう一度観た。レンタルの強みだ(?)

で、この映画が前半と後半で違うエピソードを扱っていることに2度目にしてようやく気づく。なんだかマヌケ~。

後半のフェイ・ウォンのエピソードの人気が高いようですけど、私は前半のほうが好きだったな。映像がスタイリッシュで、ストーリーは二の次、音楽もちょっと初期ゴダール的暗さ。ヤクの密輸のいかがわしいプロセスも小気味よいテンポで描かれていて、全体の雑多なアジア感を醸し出している。
「恋にも賞味期限がある」
そうか?

後半はちょっとフェイ・ウォンのキュートさに寄りかかりすぎてしまったかも。
勝手に他人の部屋の模様替えをするのも笑いだが、それに気づかずにタオルやぬいぐるみに話しかける男も男だ。
前半にあった映像美は後退し、フェイ・ウォンの奇行が中心となる。
すり替わったタオルから水が滴るのを見て「本質的には同じタオルだ」なんてモノローグはいいな。

う~んでもヒットする映画かなあ?
もっと若い頃に観たかったな。波長が合う人には宝物のような映画なんだろうな。
コメント (2)
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山下和美「不思議な少年」4

2005-12-07 14:38:11 | book
不思議な少年 4 (4)

講談社

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「不思議な少年」第4巻が出た。

3巻までの絶妙なバランスに比較すると、やや手ぬるくなった感がある。
第12話終盤で少年がつぶやく「人間ってなんなんだ」という問い、
この問いが、作者のなかでこの作品集のテーマとして明確に意識されてきたのではないか。そしてこの意識性が、これまでの意識と無意識の境をたゆたうような作品の自由な飛翔と奇想を奪ってしまったのではなかろうか。

これは、少年のとるポジションが4巻では変質してしまっている事に表れているだろう。

3巻までは、少年は時空を越えた存在であって、しかしリアル人間界にもしかるべきポジションをもった者として存在し、見える者にだけゲルマン民族(?)の少年の姿で存在する。少年はつねに多重な存在であるがゆえに、超越存在のくせに人間に深く関わり、それが物語のレベルを多様にしていたと思うのだ。

でも4巻では、中心となるのはリアル人間界の物語であって、少年は傍観者、目撃者、注釈者の域を出ない。そのせいで物語の相は一皮薄っぺらくなった「普通の」人間ドラマ集になってしまった。
「不思議な少年」の成功はまさに少年の特異な立ち位置にあったのに。残念。

まあ読み手(=わたし)のテンションが落ち気味なせいでのめりこめなかっただけかもしれませんが・・・^^;

しかし、この巻での人間観、残酷で無慈悲で運命的で儚い人間観はなんなんだろう・・・希望も絶望も突き詰めれば同じといわんばかりの境地は、これでいいのか?人間もっと明るいだろう?という優等生的意見をつぶやきたくなってしまふ。

ぱん・ぱんと人が死んでゆく残酷なテンポは、80年・90年のコミックや映画をくぐり抜けてきた感性であるとともに、著者がよく彷徨する中世や古代における命の「軽さ」を意識したものだろう。

**

既刊は面白いですよ~
不思議な少年 (1)

講談社



不思議な少年 (2)

講談社



不思議な少年 (3)

講談社





関係ないけど、マーク・トウェインがこういう小説を書いている。
面白そうだ。
不思議な少年

岩波書店



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