Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

海に行った

2005-06-02 10:44:39 | diary
いい写真がとれたらCDのジャケットに使おうと思って、
海に写真を撮りにいった。

けど不作。

空気がかすんでいて残念。
朝9時から夕方4時までねばったけど空気はビミョウにしか変わらず。

でも紫外線は強かった。
長袖パーカー着てったんだけどうっかり腕まくりしてたら、
肘から先だけ真っ赤に焼けてしまった。
時計焼けもくっきり。
失敗した。

この海は私が小さい頃よく遊んだ海。
いまはサーファーがいっぱい来る。
夕方になるとバーベキューを始める家族もいる(禁止だけど)。
昔はなかった光景だ。

帰り道、かつては友達がいっぱい住み、今は廃墟となった団地などを撮りながら歩く。

ひとりの人間の尺度から見て
変わらないものと変わるものがこの世にはあるんだなあ・・・
コメント (4)
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吉本ばなな「虹」

2005-06-02 09:49:46 | book

 

私の実家(というか両親の住む家)の庭には、枇杷の木がある。
隣家におおいかぶさるほどの勢いで枝が伸びている。
実のなる季節には我々もそれを楽しむが、近所の鳥たちも楽しみにしている様子。

その枇杷の木、もともとは私が幼少の頃食べた枇杷の実の種なんだそう。
自分では記憶がないのだが、食べたあと種を植木鉢に植えてみたところ、
しっかりと芽が出て成長し、その後引っ越しをした際も転居先に持っていき、
庭に植えたんだそうだ。

で、よしもとばななの「虹」に
これに似たような話がちらっと出てくる。
食べたあとの枇杷の種を植えたら育つ話。

どうもばななさんの小説とはこういう共通点というかシンクロすることが多い。
やっぱり同世代なのかなあ・・・枇杷に世代は関係ないか・・・

この小説は、「世界の旅」シリーズでありながら、なんだか閉鎖的な空間で物語が展開する。
場面も人間関係もとても狭い。
狭いなかで話だけがどんどん膨らんでゆく。
複雑な仕組みの風船をふくらましているような気分になった。
面白い。

原マスミ画伯の絵もますますエソテリックな趣。
彼はまだ音楽をやっているんだろうか。


関係ないけど、庭に枇杷の木は植えないとよく言われる。
私の実家ではそういうことを気にしない傾向にある。
しきたりとか慣習とか。
とらわれないというよりは「知らない」のではないかと思っている。

なので私も幾つになっても世間知らずなのかもしれない。


グレッグ・イーガン読後の反動というか、
気持ちがバランスをとろうとしたらしく、
一気に読んでしまった。

コメント (2)
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