♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■上を見上げて /  関根弘興

2012年03月12日 | Weblog
2012/3/12放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 聖書の最初の書物は創世記という書物です。この書物を最初開きますと、それはすべてのルーツ、起源というものが書かれているんですね。「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)という文章でこの書物は始まります。そして神様はすべてのものの一番最後に人間を造られたと記しているんです。聖書にはこう書かれています。創世記の2章7節

 「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。

 人間の材料は何と塵だというんですね。辞書で「ちり」という意味を引いて見てください。こういうふうに書かれています。「利用価値のない細々(こまごま)とした汚いもの、まったく値打ちのないもの」 こう記されているんですねえ。実は神様は人を創造された時に価値のない塵・土くれから私たち一人一人を造られたというのです。私たちをスーパーマンのような強靭な存在として造られたのではなく、脆くそして弱い存在として私たちは造られたというんですね。

 そしてそれは一体どういう意味があるんでしょうね。それはお互いが助け合い支え合う存在として造られているんだ。神様の助けなしには人は生きていくことができないのだ。そういう存在として造られてるんだということなんです。そんな弱くもろい私たちを神様はご覧になって、「とても良かった。はなはだ良かった。」こう語ってくださるんです。そしてまた別の箇所では、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ書 43章4節)と言われるんですねえ。そんな弱い私たちを見て、高価で尊いと言われているそういう神様が聖書の神様です。

 そして新約聖書は、ま、ギリシャ語で書かれているんですけども、新約聖書では人ということばはアンスローポスと言います。これは「上を見上げる」という意味から出てきたことばなんですね。人間とは塵に過ぎない弱い存在だけれど、人は上を見上げて生きることのできる存在だという訳です。

 私たちの人生は前も後ろも右も左もまるで八方塞がりのような状態を経験するかもしれません。しかし覚えていただきたいんですね。決してあなたが見上げることのできる上は塞がれてはいないということです。神様に呼び求め祈ることができるからです。

 私たちは下ばかり向いている人生が私たちの人生ではありません。自分の弱さを認めつつ天地を創造された神様の愛のまなざしを受けながら、上を見上げながら神様を見上げながら歩んで行く、それがあなたの人生なんです。

  (PBA制作「世の光」2012.3.12放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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