♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の「しかし」 / 福井 誠

2016年09月08日 | Weblog
2016/9/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神の『しかし』」です。それでは第一サムエル記19章1節から読んでみましょう。

 「サウルは、ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた。しかし、サウルの子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。

 妬みと憎しみに駆られたサウル王はダビデを敵視し、これを殺そうと固く決意して行きますね。ダビデにとっては余りにも不本意な人生の展開でした。ただ神を信じ、神と共に歩み勝利を得たダビデ。けれどもそのあとはまるで神に見捨てられたかのようにいのちを狙われる人生へと流されていくのです。神と共に生きる時になぜこんな事が起こって来るのか、と思うところですね。しかし神を信じたとしても人生の困難は尽きず、うっとうしい日々もあれば、狂おしい日々もある。これが現実ではないでしょうか。神様を信じても何も良いことはない。こんなんじゃ信じなきゃ良かった。あるいは、神様なんて結局気休めなんだよ、と思ったりする方もいるでしょう。けれどもこの罪の世の中に生きている限り、人生の悩み苦しみは尽きないものです。神を信じる信じないにかかわらず、そういう現実があるものですね。大切なのは神を信じる人はそういう中で必ず神が最善をなしてくださる。この暗いトンネルもいつまでも続くわけではなく、必ず出口にたどりつく信仰を持ち続けることで確かにその祝福に与ることです。つまりどんな悩みにも神の「しかし」があることに注意しなくてはなりませんね。

 サウルはダビデを殺す腹を決めて、それを息子ヨナタンや家来の全部に告げていました。しかし「サウルの子ヨナタンはダビデを非常に愛していた」と言います。つまりサウルの思いや決意があろうと、神はそこに「しかし」という出来事を起こしてくださるのです。ダビデは、この神の「しかし」の積み重ねによって生き延び、やがてイスラエルの王として立つところまで導かれていくのですね。どんなに人生が厳しいと感じても、慌てずに神がつくり出してくださる小さな「しかし」を見つけるようにしたいものです。神はあなたを祝福するために召されています。その神を信じ、祝福に与るものでありたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.9.8放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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